越山太刀三郎
表示
越山 太刀三郎(こしやま たちさぶろう、1863年7月14日(文久3年5月29日)[1] - 1929年(昭和4年)6月11日[1])は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。旧姓は高畑[2]。
経歴
[編集]津藩士高畑蔀の三男として伊勢国(のちの三重県)に生まれ、越山みちの養子となり家督を相続する[2]。1881年(明治14年)滋賀師範学校を卒業し、小学校教員となる[3]。ついで内閣、枢密院勤務を経て[3]、伊東巳代治の知遇を得て1891年(明治24年)東京日日新聞日報社専務となる[1]。のち帝国商業銀行監査役、東京電燈常務取締役、日本紙器監査役、東台銀行取締役会長、大正板硝子監査役などを歴任する[3]。
1917年(大正6年)5月の第13回衆議院議員総選挙では津選挙区から無所属で出馬し当選[3]。つづく第14回衆議院議員総選挙でも当選し、2期衆議院議員を務めた[3]。庚申倶楽部に所属した[3]。1925年(大正14年)12月、池上電気鉄道社長に就任し、1927年(昭和2年)3月まで在任した[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
|
|
|