足立巻一
足立 巻一 | |
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誕生 |
1913年6月29日 日本・東京市神田区(現:東京都千代田区) |
死没 |
1985年8月14日(72歳没) 日本 |
職業 |
小説家 詩人 随筆家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 神宮皇學館 |
ジャンル |
小説 詩 短歌 評論 随筆 |
代表作 | 『やちまた』(1974年) |
ウィキポータル 文学 |
足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 1985年8月14日)は、日本の小説家、詩人、エッセイスト。元大阪芸術大学教授。
メディアを通して本居宣長の顕彰に大きな功績を残した[1]。代表作である『やちまた』は、盲目の国学者である本居春庭を描いた評伝文学の傑作である[2][3][4]。
来歴・人物
[編集]東京市神田区(現:東京都千代田区)に生まれる。生後間もなく父と死別、母は再婚したため、漢詩人であった祖父足立清三(敬亭)、祖母ヒデに育てられるが、1920年に祖母ヒデが急死、祖父清三としばし流浪の生活を送った。翌年、清三も横死を遂げ、神戸在住の母方の叔父に引き取られる。
諏訪山尋常小学校時代から「少年倶楽部」「赤い鳥」等に頻繁に短文、詩歌等を投稿。関西学院中等部に入学、同校の国語教諭であり、自らも歌人であった池部宗七(筆名は石川乙馬、「夕暮れに苺を植えて」はその評伝である)から短歌の手解きを受ける。
恩師池部の母校である神宮皇學館(現:皇學館大学)を受験するが、2度にわたって失敗、1934年に3度目の受験で合格する。同館在学中も詩誌、歌誌等を中心に活動した。この頃に本居春庭を知り、研究を始める。
1938年、神宮皇學館本科国漢科卒業。高校教諭となるが、同年に応召、中国に渡り北支戦線に従軍。帰国後新大阪新聞社に勤務、学芸部長、社会部長等を歴任した。1948年、井上靖の発案で児童詩誌『きりん』の創刊より編集に携わり、児童詩運動が終生の一事業となる[注 1]。1956年に新聞社を退職して執筆活動に専念する。
毎日放送の『真珠の小箱』(1959年 - 2004年)で番組の構成に参加、出演も多数。立川文庫の研究も行い、1961年には尾崎秀樹、武蔵野次郎が創立した「大衆文学研究会」に編集委員として参加[5]。『文学』(岩波書店)、『思想の科学』、『大衆文学研究』はじめ多くの雑誌に執筆した[注 2]。
1977年、大阪芸術大学芸術学部文芸学科教授を経て、1980年、神戸女子大学文学部国文学科教授。
1984年8月、鈴屋学会の第1号会員となる[1]。同年12月、発会式を兼ねた第1回鈴屋学会大会が本居宣長記念館で開催され、そこで記念講演を行った[1]。翌1985年に死去。
受賞歴
[編集]主な作品
[編集]- 宣長と二人の女性(1943年、佃書房)、『宣長・鈴屋関係資料集 研究篇4』(2012年、クレス出版)に2刷(1944年)再録
- 『全日本児童詩集』Ⅰ(1950年、尾崎書房)竹中郁・星芳郎・浮田要三共編
- 『全日本児童詩集』Ⅱ(1952年、むさし書房)同上
- 『全日本児童詩集』Ⅲ(1955年、創元社)同上
- 『きりんの本』Ⅰ~Ⅲ(1958年、理論社)同上
- (詩集)夕刊流星号(1958年、六月社)
- 石をたずねる旅(1962年、鉄道弘報社)
- 黒部峡谷(1964年、保育社)
- 『日本の旅名詩集』Ⅲ(1967年、三笠書房)小野十三郎共編
- 関西人(1967年、弘文堂新社)
- 大衆芸術の伏流(1967年、理論社)
- 『現代日本の文学』第1部50巻(1969~1971年、学研)
- 鏡―詩人九鬼次郎の青春と歌稿(1970年、理論社)
- バカらしい旅行(1971年、理論社)
- 牛乳びんの歌(1972年、理論社)
- 『現代日本文学アルバム』全16巻(1974年、学研)奥野健男・尾崎秀樹・北杜夫共編
- 『復刊立川文庫傑作選』(1974年、講談社)
- やちまた(1974年、新版1990年、各上下、河出書房新社)、朝日文庫(1995年)、中公文庫(2015年)
- 『現代日本の文学』第2部10巻(1976年、学研)奥野健男・尾崎秀樹・北杜夫共編
- 『真珠の小箱』全6巻(1979年、角川書店)監修・執筆
- 立川文庫の英雄たち(1980年、文和書房)、中公文庫(1987年)
- 夕暮れに苺を植えて(1981年、新潮社)、朝日文庫(1995年)
- 夕刊流星号(1981年、新潮社)
- 虹滅記(1982年、朝日新聞社)、朝日文庫(1995年)
- 戦死ヤアワレ(1982年、新潮社)
- 石の星座(1982年、編集工房ノア)
- 雑歌(1983年、理論社)
- 親友記(1984年、新潮社)
- 足立巻一詩集(1984年、土曜美術社)
- 人の世やちまた(1985年、編集工房ノア)
- 評伝竹中郁 その青春と詩の出発(1986年、理論社)
- 日が暮れてから道は始まる(1987年、編集工房ノア)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『きりん』は1971年に通巻220号で終刊。
- ^ その夥しい仕事は、足立巻一 (1985)所収の「足立巻一略年譜」が、執筆目録ともなっていて最も詳しい。
出典
[編集]- ^ a b c 本居宣長記念館 (2018), p. 48.
- ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』学問と人生の重さ 語学者「本居春庭」の評伝」『読売新聞』1974年11月18日、朝刊、9面。
- ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』」『毎日新聞』1974年12月2日、朝刊、7面。
- ^ 「足立巻一著『やちまた(上・下)』人生の陰影も活写」『朝日新聞』1974年12月16日、朝刊、10面。
- ^ 峯島正行 (2009), p. 378.
- ^ 「芸術選奨きまる 田中絹代さんら11人 新人賞9人 新分野へ、異色の顔」『読売新聞』1975年3月15日、朝刊、18面。
- ^ 「女優の田中さんら 芸術選奨 20氏決まる」『朝日新聞』1975年3月15日、朝刊、22面。
参考文献
[編集]- 図書
- 足立巻一『人の世やちまた』編集工房ノア〈ノア叢書8〉、1985年10月。
- 東秀三『足立巻一』編集工房ノア、1995年8月。
- 峯島正行『荒野も歩めば径になる:ロマンの猟人・尾崎秀樹の世界』実業之日本社、2009年9月。
- 鈴屋遺蹟保存会本居宣長記念館 編『本居宣長年表:(稿)』本居宣長記念館、2018年3月。
- 論文
- 杉山平一「戦後関西詩壇回想(11)足立巻一のことなど」『現代詩手帖』第37巻第1号、思潮社、1994年1月、176-179頁。
- 倉橋健一「詩的60年代:足立巻一・その周辺」『現代詩手帖』第40巻第10号、思潮社、1997年10月、178-179頁。
- 森晴彦「足立巻一最晩年の仕事:整理とその継承」『解釈』、解釈学会、2014年2月、2-9頁。