那賀村
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なかむら 那賀村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 田河町、那賀村 → 芦辺町 |
現在の自治体 | 壱岐市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 壱岐郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,433人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 壱岐郡郷ノ浦町、勝本町、田河町、箱崎村、石田村 |
那賀村役場 | |
所在地 | 長崎県壱岐郡那賀村大字中野郷西触362番地 |
座標 | 北緯33度47分25秒 東経129度43分17秒 / 北緯33.79036度 東経129.72136度座標: 北緯33度47分25秒 東経129度43分17秒 / 北緯33.79036度 東経129.72136度 |
ウィキプロジェクト |
那賀村(なかむら)は、長崎県壱岐郡にあった村。1955年(昭和30年)に東隣[1]の田河町と合併し、芦辺町となった。
現在の壱岐市芦辺町の南西部にあたる。
地理
[編集]壱岐島の中部に位置する。
沿革
[編集]平安時代中期に編纂された『和名類聚抄』によれば、壱岐島壱岐郡七郷の1つとして当村のうち大字中野郷と大字国分の区域の一帯を「那賀郷(なかのごう)」と称したとされ、那賀村の名はこの郷名より名付けられた[2]。「なか」の地名は壱岐島の中部に位置する事に由来する[3][4]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、中野郷村・国分村・住吉村・湯岳村が合併し壱岐郡那賀村が発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 田河町と合併して芦辺町が発足し、那賀村は自治体として消滅。
地名
[編集]那賀村では大字(中野郷・国分・住吉・湯岳)を冠称した触を行政区域とする[5]。
- 大字中野郷
- 大字国分(こくぶ)
- 大字住吉
- 大字湯岳(ゆだけ)
名所・旧跡
[編集]那賀村出身の著名人
[編集]参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年3月31日
- ^ 『長崎県壱岐石田郡村要覧』那賀村 沿革
- ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「那賀」
- ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「中野郷」
- ^ 芦辺町発足時に大字が廃止され、触のみの表示となった。その際に全ての触が改称している。
- ^ 芦辺町発足後、中野郷東触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、中野郷仲触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、中野郷西触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、中野郷本村触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、国分川迎触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、国分当田触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、国分東触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、国分本村触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、住吉後触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、住吉東触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、住吉前触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、住吉山信触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、湯岳射手吉触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、湯岳興触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、湯岳今坂触に改称。
- ^ 芦辺町発足後、湯岳本村触に改称。