鄭嘉訓
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鄭 嘉訓(てい かくん、1767年 - 1832年)は、琉球王国の官僚、書家。通称は古波蔵(こはぐら)親方、名は爾方、号は泰橋[1]。
人物
[編集]19世紀の琉球を代表する書家で、行書や草書に優れた。書跡は、沖縄県と鹿児島県に多く遺っている。 子の鄭元偉も書家として知られる[1][2][3]。
概要
[編集]久米三十六姓の子孫として生まれる。1791年に御右筆相対役となり、1796年に清の福州に留学する。中国・鹿児島にそれぞれ3回渡っており、1806年には、尚灝王即位謝恩使の江戸上りに儀衛正として随行した。1816年より、島津斉興の招聘を受けて1年半鹿児島に滞在し、薩摩藩士の書道を指導した。同年、紫金大夫となる。1824年、久米村のトップである総理唐栄司(久米村総役)に就任した。
主な作品
[編集]以下の作品は沖縄県の有形文化財に指定されている(個人蔵)。
脚注
[編集]- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 沖縄タイムス社『沖縄大百科事典』
- ^ 新城俊昭『琉球・沖縄史』
- ^ X 国・県・市町村指定文化財 - 沖縄県教育庁文化財課『文化財課要覧(平成27年度版)』(PDF)
- ^ 鄭嘉訓書「野望」(王績詩) - 那覇市歴史博物館
- ^ 鄭嘉訓書七言律詩「未□平生習筆濃」 - 那覇市歴史博物館
外部リンク
[編集]- 鄭嘉訓 書 沖縄県立図書館蔵 - 琉球大学附属図書館貴重書展「宝庫からのメッセージ~琉球・沖縄の貴重資料」