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酒井忠嗣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井忠嗣
時代 江戸時代後期
生誕 寛政7年(1795年
死没 嘉永4年9月11日1851年10月5日
改名 安之助(幼名)、忠嗣
別名 与十郎(通称
墓所 東京都港区愛宕青松寺
官位 従五位下大和守安芸守越前守
幕府 江戸幕府大坂加番大番頭奏者番
主君 徳川家斉家慶
安房勝山藩
氏族 酒井氏(雅楽頭家)
父母 酒井忠和:不詳
兄弟 忠美、忠嗣
正室酒井忠実の娘
忠一森忠徳正室ら
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酒井 忠嗣(さかい ただつぐ)は、安房国勝山藩の第7代藩主

略歴

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寛政7年(1795年)、第6代藩主・酒井忠和の次男として江戸で生まれる。文化7年(1810年)7月に長兄の忠美(忠貞)が早世し、10月に父も死去したため家督を継いだ。12月には従五位下、大和守に叙任する。

文化13年(1816年)に大坂加番に任じられ、文政2年(1819年)8月に大番頭弘化5年(1848年)1月には奏者番に任じられるなど、重職を歴任した。

嘉永4年(1851年)9月11日に死去した。享年57。跡を次男の忠一が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女