酒井忠嗣
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政7年(1795年) |
死没 | 嘉永4年9月11日(1851年10月5日) |
改名 | 安之助(幼名)、忠嗣 |
別名 | 与十郎(通称) |
墓所 | 東京都港区愛宕の青松寺 |
官位 | 従五位下大和守、安芸守、越前守 |
幕府 | 江戸幕府大坂加番、大番頭、奏者番 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 安房勝山藩主 |
氏族 | 酒井氏(雅楽頭家) |
父母 | 父:酒井忠和、母:不詳 |
兄弟 | 忠美、忠嗣 |
妻 | 正室:酒井忠実の娘 |
子 | 忠一、森忠徳正室ら |
酒井 忠嗣(さかい ただつぐ)は、安房国勝山藩の第7代藩主。
略歴
[編集]寛政7年(1795年)、第6代藩主・酒井忠和の次男として江戸で生まれる。文化7年(1810年)7月に長兄の忠美(忠貞)が早世し、10月に父も死去したため家督を継いだ。12月には従五位下、大和守に叙任する。
文化13年(1816年)に大坂加番に任じられ、文政2年(1819年)8月に大番頭、弘化5年(1848年)1月には奏者番に任じられるなど、重職を歴任した。
嘉永4年(1851年)9月11日に死去した。享年57。跡を次男の忠一が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 酒井忠和(父)
正室
- 酒井忠実の娘
子女