長尾景人
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時代 | 室町時代後期 |
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生誕 | 文安2年(1445年)[1]? |
死没 | 文明4年5月1日(1472年6月7日) |
別名 | 新五郎 |
戒名 | 積翁常善居士 |
墓所 | 栃木県足利市の長林寺 |
官位 | 但馬守 |
主君 | 上杉房顕 |
氏族 | 長尾氏 |
父母 | 父:長尾実景 |
兄弟 | 景住(憲景?)、景人、房清 |
子 | 定景、景長 |
長尾 景人(ながお かげひと)は、室町時代後期の武将。山内上杉家の家臣である足利長尾氏の祖。下野国勧農城城主。
略歴
[編集]長尾実景の次男として誕生。享徳3年(1454年)12月に父と兄・景住が関東管領・上杉憲忠と共に足利成氏に殺害された為、家督を継いで上杉憲忠の弟・房顕に仕えて成氏と戦った(享徳の乱)。長禄3年(1459年)の太田庄の戦いにも参戦している。
寛正6年(1465年)、房顕の推挙で室町幕府から下野足利荘の代官に任命された。翌文正元年(1466年)年11月、足利荘に入部し、勧農城を拠点とした[3][4][5]。以後、景人の一族は足利長尾氏と呼ばれるようになる。
上杉氏はここを拠点にして応仁2年(1468年)の上野国での綱取原合戦、文明3年(1471年)には下野に出陣、古河城を落としている。景人はこれらの合戦に加わったが、翌年になると成氏の反撃によって足利荘に攻め込まれた。
文明4年(1472年)、死去[6]。享年は28と推定される[1]。法名は積翁常善[2]。墓所は長林寺(足利市西宮町)[6]。
嫡男・定景が跡を継いだ。
脚注
[編集]- ^ a b 黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第一巻 長尾景春』(戒光祥出版、2010年)ISBN 978-4-86403-005-2 P17
- ^ a b c 近代足利市史 第一巻 1977, p. 282.
- ^ 近代足利市史 第一巻 1977, p. 278.
- ^ 近代足利市史 第一巻 1977, p. 283.
- ^ “岩井山城跡(勧農城跡)”. 足利市 (2023年2月1日). 2023年2月17日閲覧。
- ^ a b 近代足利市史 第一巻 1977, p. 284.
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 長尾氏歴代墓所 - 足利市