長野市民会館
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長野市民会館 Nagano Civic Hall | |
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情報 | |
正式名称 | 長野市民会館 |
完成 | 1961年 |
開館 | 1961年4月8日 |
閉館 | 2011年3月31日 |
収容人員 | 1816人 |
客席数 | 該当項目参照 |
延床面積 | 5,193.90m² |
設備 | 大ホール、集会場、応接室、売店など |
用途 | コンサート、演劇 |
運営 | 株式会社ダイナミクス |
所在地 |
〒380-0813 長野県長野市鶴賀緑町1647 |
位置 | 北緯36度38分54.7秒 東経138度11分43秒 / 北緯36.648528度 東経138.19528度座標: 北緯36度38分54.7秒 東経138度11分43秒 / 北緯36.648528度 東経138.19528度 |
最寄駅 | 長野電鉄長野線市役所前駅 |
最寄バス停 | 川中島バス「市役所前」停留所 |
長野市民会館(ながのしみんかいかん・1961年4月8日開業[1] - 2011年3月31日閉館)は、長野県長野市にあった多目的ホール。
略歴・概要
[編集]長野市市制60周年記念事業として1958年(昭和33年)6月18日に建設が議決され[1]、それまで農地だった同市鶴賀緑町1647番地に総工事費1億8千万円をかけて建設[1]。1961年(昭和36年)4月8日にグランドオープンした[1]。設計は佐藤武夫、施工は熊谷組が行った[1]。1983年(昭和58年)に長野県県民文化会館が完成するまで長野県最大の多目的ホールであった。大ホールは一層スロープ式で1816席(開業当初は2250席[1])の座席を持ち、座席の列はいろは順になっている。
経年による老朽化や隣接する長野市役所第一庁舎が耐震性に問題が生じたため、開館から50年となる2011年(平成23年)3月31日をもって閉館した。跡地には新第一庁舎と新市民会館が一体化した複合施設になることが報じられ、2016年(平成28年)5月8日に市民会館の後継となる『長野市芸術館』がグランドオープンし[2]、現在に至る。
施設・客席数
[編集]- 所在地:長野県長野市鶴賀緑町1647番地(旧:同市大字鶴賀字苗平1613番地[1])
- 大ホール:1816名(固定席1738席、補助席78席)車椅子用座席12席
- 集会場:200名(シアター254名、スクール210名)
- 応接室:10名収容
- 給湯室
- 売店
指定管理者
[編集]2010年(平成22年)4月より、第三期の指定管理者として株式会社ダイナミクスが長野市篠ノ井市民会館・長野市松代文化ホールとともに管理運営にあたった[3]。第一、第二期指定管理者は株式会社コンベンションリンケージであった。
交通アクセス
[編集]関連書籍
[編集]- 長野市民会館50年の記憶[4](信濃毎日新聞社・2011年4月発行) ISBN 978-4-7840-7159-3
出典
[編集]- ^ a b c d e f g 「さようなら長野市民会館 -市民のホール 惜しまれつつ-」(PDF)『長野市公文書館便り』第26号、長野市公文書館、2016年4月11日、1-3頁、2016年9月13日閲覧。
- ^ 「ふるさと紹介・長野市『世界と長野市を芸術で結ぶ、新しい交流・創造拠点へ』」(PDF)『クリーンピア千曲・アクアパル千曲 下水道ニュース』第2号、千曲川流域下水道事務所、2016年7月29日、3頁、2016年9月13日閲覧。
- ^ “さよなら長野市民会館 そして50年間ありがとう”. わたしたちの仕事/ホール運営と管理. 株式会社ダイナミクス (2011年3月). 2016年9月13日閲覧。
- ^ Nagano shimin kaikan 50nen no kioku = Archive of NAGANO CIVIC HALL 1961-2011.. Monzen Kenkyūkai, 門前研究会. Nagano: Shinanomainichishinbunsha. (2011). ISBN 978-4-7840-7159-3. OCLC 752009007