駒居鉄平
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府城陽市 |
生年月日 | 1982年5月22日(42歳) |
身長 体重 |
180 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト6位 |
初出場 | 2003年8月29日 |
最終出場 | 同上 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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駒居 鉄平(こまい てっぺい、1982年5月22日 - )は、京都府城陽市[1]出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。2021年からは四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスでフロント業務を担当。
来歴・人物
[編集]小学3年の時に野球を始め、中学3年の時にボーイズリーグの世界大会に出場した[1]。関西創価高では、通算打率.418、20本塁打の成績を残した[1]。2000年のドラフト会議にて6位指名を受け、日本ハムファイターズに入団[1]。同校出身で初のプロ野球選手となった。
将来性が期待されていたものの、プロ入り後は、ディフェンス面での評価は高かったものの、売りであった打撃力に関してはプロの壁が高く、二軍でも二割前後の低打率の状態が続いていた。3年目の2003年8月27日に自身初の一軍昇格を果たし、同年8月29日の大阪近鉄バファローズ戦に途中出場を果たすも、その後は出場機会が無いまま同年9月5日に登録抹消となった。その後は、当時正捕手であった髙橋信二、2003年入団の鶴岡慎也の台頭、トレードで移籍してきた中嶋聡の前に一軍に上がることすら出来ず、二軍でも小山桂司、今成亮太の入団により、徐々に出番が減っていった。そして、2008年10月2日に北海道日本ハムファイターズから戦力外通告を受け現役を引退。10月23日付けでブルペン捕手に就任した。2011年をもって、退団した。
2016年2月16日、徳島インディゴソックスの守備走塁コーチに就任[2]。2018年1月30日、ヘッドコーチへの就任が発表された[3]。2020年シーズン終了後の12月28日、ヘッドコーチの退任とフロントへの転属が発表された[4]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2003 | 日本ハム | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:1年 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
記録
[編集]- 初出場:2003年8月29日、対大阪近鉄バファローズ25回戦(大阪ドーム)、7回裏に實松一成に代わり捕手として出場
背番号
[編集]- 56 (2001年 - 2008年)
- 96 (2009年 - 2011年)
- 71 (2016年 - 2020年)
脚注
[編集]- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、228ページ
- ^ “徳島IS 守備走塁コーチ決定のお知らせ”. 徳島インディゴソックス オフィシャルサイト. (2016年2月16日) 2016年2月16日閲覧。
- ^ 徳島IS 駒居コーチ続投のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2018年1月30日)
- ^ 徳島IS 駒居鉄平ヘッドコーチ退団のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2020年12月28日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 駒居鉄平 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)