1958年のテレビ (日本)
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1958年のテレビ(1958ねんのテレビ)では、1958年(昭和33年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
できごと
[編集]テレビ、冷蔵庫、洗濯機の3つからなる当時の新世代電化製品を指す『三種の神器』なる用語も生まれたこの年、前年に予備免許を交付されたVHF(アナログ)を親局とするテレビジョン放送局の開局ラッシュが始まる。NHKはこの年、熊本県などでテレビ放送が開始。民放では、3月1日に6局目となるラジオ九州(現・RKB毎日放送)[1])を皮切りに、1年間で12局が開局することになる。
また年末には、東京・芝に高さ332.6メートルを誇る電波塔、東京タワーが完成。これに伴い、NHKとKRテレビ(現・TBSテレビ)は既存の自社テレビ電波塔(NHK:千代田区紀尾井町 KRT:港区赤坂)から東京タワーに送信所を移し、そして翌年開局の日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)とフジテレビを含め、4局5波(NHKは総合・教育の2波)が東京タワーから関東一円に電波を発信することになった。なお日本テレビも東京タワーから送信を要請されていたものの、自前の電波塔として計画していた正力タワーの建設を目指していたため要請を断り、当時の本社である麹町から送信し続けた(1970年まで)。[2]
- 1月27日 - 日本テレビ、不定時に行っていたカラーテレビ実験放送を、この日から定時のレギュラー放送に改編[3]。
- 2月1日 - 東海テレビ放送(THK)、大関西テレビ放送(KTV。現:関西テレビ放送)設立。
- 2月10日 - 新大阪テレビ放送(NOTV。現:讀賣テレビ放送〈YTV〉)設立。
- 2月22日 - NHK熊本、鹿児島テレビジョン放送開始。
- 2月24日 - ラジオ東京(KR)テレビ(現・TBSテレビ)、『タケダアワー』(武田薬品工業一社提供)の第1作として、川内康範原作のドラマ『月光仮面』放送開始(全5部、- 1960年)。
- 3月1日 - 福岡県初の民放テレビ局、ラジオ九州(現:RKB毎日放送)[1]テレビジョン放送開始。
- 3月3日 - 日本海テレビジョン放送(NKT)設立[4][5]。
- 4月1日 - テレビ西日本(TNC)設立。
- 4月3日 - NHKで30分2週完結の連続ドラマ『事件記者』が放送開始( - 1967年3月29日)。
- 4月6日 - 大阪テレビ(OTV。現在の朝日放送テレビ)・KRテレビ系にてダイハツ工業一社提供のコメディドラマ『やりくりアパート』(花登筺脚本・大村崑主演)放送開始( - 1960年2月28日)。
- 4月7日 - NHKで初の連続帯ドラマ『バス通り裏』が放送開始( - 1963年3月30日)。
- 4月19日 - この日、金環日食が起こる。これを受け、NHKとKRテレビで関連の特別番組を放送[6]。NHKでは12時40分 - 13時30分に『金環食をみる』と題し、鹿児島市、上野・国立科学博物館、三鷹・東京天文台[7]から3元中継を行った。又、日本テレビはこの日、八丈島でカラーフィルムで撮影したそれを、ニュース番組『ニュースフラッシュ』内にて、カラーでの世界初放送を行う[3]。
- 5月4日 - KRテレビにてロッテ一社提供の歌謡番組『ロッテ 歌のアルバム』放送開始( - 1979年)。
- 5月16日 - テレビ受信契約数が100万台を突破。
- 6月1日
- 6月8日 - KRテレビにて、在京局で初のVTRを使った番組「ナショナル日曜観劇会『デン助の裏町人情』」が放送される。[10][11][12]
- 7月1日 - 西日本放送(RNC)がテレビジョン放送開始。当初の放送対象地域は香川県のみで、1979年に岡山県もその対象に含まれる。
- 7月14日 - 日本テレビが、この日のカラーテレビ実験放送枠内にて、日本初のテレビ用カラーフィルム制作による番組『七色のメロディー』と、日本初のカラーアニメーション映画『もぐらのアバンチュール』を放送(後者は同年10月15日に同枠内にて再放送)[3][13]。
- 8月 - ラジオ九州が西部毎日テレビジョン放送と合併、RKB毎日放送に社名変更[1]。
- 8月28日
- 8月29日 - 日本テレビにて三菱電機一社提供番組である『三菱ダイヤモンド・アワー』放送開始。当初は『ディズニーランド』と『日本プロレス中継』との隔週放送であった( - 1972年7月14日)[17]。
- 9月6日 - 大阪テレビで刑事ドラマ『部長刑事』(大阪ガス一社提供)放送開始(1959年より朝日放送で放送)。2002年まで長きにわたって続くシリーズとなった。
- 10月31日 - KRテレビサンヨーテレビ劇場にてドラマ『私は貝になりたい』(加藤哲太郎原作・橋本忍脚本・フランキー堺主演。芸術祭参加作品)を放送。
- 11月1日 - 静岡放送(SBS)テレビジョン放送開始。
- 11月15日 - NHK長野放送局(JONK-TV)が県域テレビジョン放送開始。また信越放送(SBC、10月25日開局[18])も同日本放送開始。
- 11月22日 - 関西テレビ放送(KTV。大関西テレビ放送から社名変更)開局。
- 12月1日 - NHK新潟放送局(JOQK-TV)[19]、北陸放送(MRO)、南海放送(RNB)テレビジョン放送開始。
- 12月23日
- 12月24日 - ラジオ新潟(現・新潟放送)テレビジョン放送開始。[21]
- 12月25日 - 東海テレビ放送(THK)開局。
- 12月28日 - NHK盛岡放送局(JOQG-TV)テレビジョン放送開始。
- 12月31日 - 『第9回NHK紅白歌合戦』放送。
開局・放送開始
[編集]- 2月22日
- 3月1日 - ラジオ九州(※8月「西部毎日テレビジョン放送」と合併、「RKB毎日放送」と改称)[1]
- 6月1日 - 山陽放送(現・RSK山陽放送)
- 7月1日 - 西日本放送
- 8月28日
- 10月15日 - NHK富山放送局
- 10月25日 - 信越放送(11月15日本放送開始だが、ここでは放送局の公式記録にて記載。)[18]
- 11月 - NHK高知放送局
- 11月1日 - 静岡放送
- 11月15日 - NHK長野放送局
- 11月22日 - 関西テレビ放送
- 12月1日
- 12月23日 - NHK長崎放送局(長崎・佐世保)
- 12月24日 - ラジオ新潟(現・新潟放送)[21]
- 12月25日 - 東海テレビ放送
- 12月28日 - NHK盛岡放送局
テレビ番組
[編集]テレビドラマ
[編集]- 事件記者(NHK)
- ヤシカゴールデン劇場(日本テレビ)
- デン助の裏町人情(KRテレビ) - 6月8日 在局テレビ局初のVTR収録による番組[22][10][11][12]
- 私は貝になりたい(KRテレビ) - 10月31日[23]
- マンモスタワー(KRテレビ) - 11月16日[24]
- 部長刑事(大阪テレビ→朝日放送)
- ちんどん屋の天使(大阪テレビ) - 6月1日 日本で初めてVTRによる収録を行った番組
バラエティなど諸分野
[編集]- 上方お笑い劇場(NHK)
- 日本テレニュース(日本テレビ)
- 光子の窓(日本テレビ)
- 二十世紀(日本テレビ)
- 加美乃素日曜劇場(日本テレビ、読売テレビ)
- (東芝)サンデープレゼント(日本テレビ)
- 三菱ダイヤモンド・アワー(日本テレビ)
- ロッテ 歌のアルバム(KR→TBS)
- ナショナル日曜観劇会(KR→TBS)
子供向けドラマ
[編集]- バス通り裏(NHK)
- 悦ちゃん(日本テレビ)
- まりっぺ先生(日本テレビ)
- やりくりアパート(大阪テレビ→朝日放送)
- 怪人二十面相(日本テレビ)
- 幡随院長兵衛(日本テレビ)
- 新吾十番勝負(日本テレビ)
- 風小僧(西日本放送ほか。NETでの放送は1959年)
特撮番組
[編集]テレビアニメ
[編集]- もぐらのアバンチュール(カラー)(日本テレビ)[3]
参考文献
[編集]- 日本放送協会 編『NHK年鑑1959』日本放送出版協会、1958年12月1日 。
- 日本放送協会 編『NHK年鑑1960』日本放送出版協会、1959年12月1日 。
- 日本放送協会 編『放送五十年史』日本放送出版協会、1977年3月10日 。
- 日本放送協会 編『放送五十年史 資料編』日本放送出版協会、1977年3月10日 。
- NHK 編『放送の五十年 昭和とともに』日本放送出版協会、1977年3月30日 。
- 「NHK大河ドラマ大全」(NHK出版、2011年)
- NHKは何を伝えてきたか-NHKテレビ番組の50年
- NHKアーカイブスカタログ―テレビ番組放送記録+番組小史 1953〜2008
- 日本テレビ50周年の物語[リンク切れ]
など
脚注
[編集]- ^ a b c d 法人は2016年に放送持株会社「RKB毎日ホールディングス」となり、放送免許は現・RKB毎日放送に承継された。
- ^ 正力タワーの建設予定地だった場所はその後「日本テレビゴルフガーデン」となり、閉鎖後は売却された。
- ^ a b c d 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、109頁。NDLJP:11954641/67。
- ^ 日本海テレビ「会社案内」
- ^ 翌1959年の同日に開局。
- ^ 日本の新聞に見る昔の日食報道 (PDF)
- ^ 現在の国立天文台の前身。
- ^ 開局当初の通称は「ラジオ山陽テレビ」だった。
- ^ 法人は2019年に放送持株会社「RSKホールディングス」となり、放送免許は現在のRSK山陽放送に承継された。
- ^ a b 東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、280~2、591頁。
- ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、330頁。
- ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、122頁。
- ^ “ぐるぐるナインティナイン 【大人気TV欄クイズ激レア映像SPピコ太郎14年前の(秘)映像!?に赤面】の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)”. 2019年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
- ^ テレビ西日本は1964年よりフジテレビ系列へネットチェンジ、1974年に本社を福岡市に移転した。
- ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、116頁。NDLJP:11954641/71。
- ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、116-117頁。NDLJP:11954641/71。
- ^ 隔週放送は1968年2月16日を以って終了し、同年2月23日以降は『日本プロレス中継』のみとなる。
- ^ a b 信越放送の歩み(SBC信越放送のサイト)(2024年7月17日閲覧)
- ^ a b NHK新潟放送局『みなさんとともに五十年JOQK』NHK新潟放送局、1982年3月22日、210頁。
- ^ 法人は2018年に放送持株会社「朝日放送グループホールディングス」となり、テレビ放送免許は現在の朝日放送テレビに承継された。
- ^ a b 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、543頁。
- ^ ナショナル日曜観劇会
- ^ サンヨーテレビ劇場
- ^ 東芝日曜劇場