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Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源

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あの記事を読んで「信頼」とは何なのかすぐに分かる?

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「情報源」は用語の定義に記されていますが、このページの根幹を成す「信頼」は記されておらず、 どういうプロセスで築かれるものなのかページ全体を読んでも非常に分かりづらい(人によっては分からない)ものになっており、 方針とガイドライン#内容にある「文章が明快である。」と「できる限り簡潔に書く。しかしそれ以上簡潔にしない。」に当てはまっていないと考えます。

ですので、以下のうちどちらかでもいいのでページの前半に「信頼」というものを簡潔にまとめておくべきだと思います。--よこくさ会話2024年3月1日 (金) 08:26 (UTC)[返信]

  • 先述した「情報源」と同様、「用語の定義」の中に「信頼」を組み込む。
  • 「『信頼』とは何か?」という節を作成する。

歴史学分野において教科書を使用することの是非

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少なくとも私の観測範囲である歴史学分野において、教科書を出典にすることに対して、一部のユーザーは忌避感があるようです。

確認ですが、Wikipedia:信頼できる情報源では「もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。こうした教科書の著者には、その科目について幅広く権威のある知識を持っていることが期待されるからです。」とのガイドラインが示されており、むしろ教科書の利用は積極的に推進されるように思います。個人的にも教科書は概説書に該当するものであり、論文に書かれない前提を記すものであるので、必要なものであると強く考えています。

逆に、前掲の井戸端の議論では、Wikipediaの教科書化を懸念する声であったり、その断定的な表現を遠慮する意見を忌避する見解、国益による歴史観の偏りや専門的な見解を入手できないときの次善の策とするべきとの意見があるようです。

ここで歴史における教科書使用の是非の合意を取るべきではないしょうか?私としても、現状の制限を設けず教科書を推奨する記述は良くないと思いますので、以下のように提案します。

  1. ここで推奨する教科書は少なくとも高校大学で用いられるものであること(暫定的、概説書として使える最低限度)。
  2. 主に導入など基本的な情報いわゆる共有知の確認・研究史の説明に用いること(教科書は断定的な記述が多いため&「教科書化」対応)。
  3. 歴史教科書問題については、別個で議論し、推奨の如何を問うこと。大学以上とすることで不問に
  4. 国益に基づく歴史観の偏りについては、3と同様他の書籍を参考にすることで最小限に抑えること。
  5. なお4については主に日本史や世界史における日本の記述に限定されるものであり、世界史や関連教科では気にする必要は薄い。
  6. 教科書自体の意見を紹介したいときにはその限りではない。

いかがでしょうか。--デザート会話2024年9月17日 (火) 09:39 (UTC)[返信]

コメント基本的には賛成です。そもそも教科書を推奨していることに以前より違和感を感じていました。
「もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。こうした教科書の著者には、その科目について幅広く権威のある知識を持っていることが期待されるからです。」という文章は初版では英語版からの翻訳(英語版では現在その部分の文章は削除されています)で「もっとも評価できるのはその分野の教科書です。それらの著者たちは幅広く権威のある知識を持っています。一般的に、大学で使われる教科書は頻繁に改訂が行われ、権威を失わないように改良され続けています。しかし、高校や中学校の教科書は権威を保ち続けるような努力はされず、もっぱら政府の認可にのみ従っています。」と書いてあったのものがWikipedia‐ノート:信頼できる情報源/過去ログ2#「偽の権威に注意」の項目についての議論の結果「しかし、高校や中学校の教科書は権威を保ち続けるような努力はされず、もっぱら政府の認可にのみ従っています。」の文章が削られて現在の文章になっているようです。
私の意見としては「高校・中学」の教科書は推奨できない。大学の教科書は許容するが、より高度の出典を探す努力をすべきということです。
高校・中学の歴史教科書に関しましてはデザートさんがおっしゃられている歴史教科書問題についてももちろんですが、そもそも専門家にとって高校の教科書編纂は本業の研究の傍らに引き受ける仕事に過ぎないと思っています。私の偏見である可能性も高いですが。基本的に出典としては相応しくないと思います。
ですので「大学以上の教科書」とすればデザートさんが懸念しておられる3・4・5の問題は解決するのではないでしょうか。--らりた会話2024年9月17日 (火) 11:48 (UTC)[返信]
  • コメント (今よりハードルを上げるという)方向性としては賛成。
  • そもそもガイドライン本文の「もっとも評価できるのはその分野の教科書」という表現は、翻訳によって持ち込まれたもので、「日本の検定済教科書」を限定的に指示しているわけではないでしょうね。
  • 拡大解釈的というか、ある種の屁理屈になりますが、国の検定不合格でも教科書として書かれたものは教科書だ、と言い張ることも可能な感じもしますし。「教科書とはなんぞや」的な定義論争になると不毛ですし。
  • まあ、「歴史分野」「教科書」とくると真っ先に、主に日本の近代史あたりで主義主張思想絡みの政治論争が始まってグダグダになるでしょうね。
  • 「高校の教科書」と一口にいっても、おそらく「その高校の偏差値レベル」とかによって色々でしょうし、それをいうと「大学のテキスト」でも千差万別でしょうねえ。「高校の」とかの外形から限定していくのはなかなか悩ましい。
  • 個人的見解どまりですが、少なくとも現状の「教科書推奨」の文言を改め、らりたさんと同じく「高校レベルの教科書はダメよ」ぐらいまで引き上げてよいと思います。
  • 堂々巡り気味ですが、教科書じゃなくっても、歴史系の文献には「トンデモ」系から「思想的な左右の偏り」とかいろいろあるわけで、最終的には一件毎に検討を要するでしょうね。
  • 2022年の井戸端にも書きましたけど、文脈次第の面もあり、「○○の教科書ではこうなっている」などの帰属化をすればOK、みたいなこともあるでしょう。「鎌倉幕府の成立を何年とするか問題」を書く時とかね。
  • 歴史そのものの記述というよりは、研究史・学説史的な記述の文脈では、まあ教科書はアリという感じもします。--柒月例祭会話2024年9月17日 (火) 14:34 (UTC)[返信]
変更してみました。いかがでしょうか。--デザート会話2024年9月18日 (水) 00:23 (UTC)[返信]