西行一生涯草紙
妻子珍宝及王位 臨命終時不随者 唯戒及施不放逸 今世後世為伴侶の文をこゝろにかけ、かの花山法皇はこの文のゆへにこそ、十善のくらゐをすてゝ、那智の御山にをこなひたまひて、つひに仏道をならせ給ひけり、龍樹菩薩のゝたまはく、とめりといへともねかふこゝろやまされは、まつしき人とす、まつしけれともねかひもとむる心なけれは、これをとめりとす、しよしやのひしりは、ひちをかゝめてまくらとす、たのしみそのうちにあり、なにゝよりてかさらに浮雲の栄耀をもとめんやとかけり、【しよしや恐くはじゆしやの誤ならん】まことに意馬六塵のさかひにはせ、心猿十悪の枝にうつる、やまのかせきつなきかたく、いへのいぬつねになれたり、かたやまかけにたゝすまひ、しいのいほりにこもりいりなんとおもひたつころかくそよみける
いつなけきいつおもふへきことなれは後の世しらて人のすくらん
いつのまになかきねふりの夢さめておとろく事のあらんとすらん
なにことにとまる心のありけれいさらにしも又よのいとはしき
この人つねにこゝろをすまして、人丸赤人のなかれをうけて、和歌をこのむこと、けにすく【 NDLJP:66】れたりけれは、きみも四季をりふしの題をたひて、歌めされけれは、時をたかへすよみてまひらせける中に、初春歌
いはまとちしこはもけさは解初てとけのした水みちもとむなりモらん
たちかはる春をしれともみせかほに年をへたつるかすみなりけり
うくひすのこゑそ霞にもれてくる人目ともしき春のやまさと
鳥羽殿へ御幸ならせ給て、はしめたる御所の御障子の絵の、おもしろかりけるを御らんして、其時の歌人民部卿経信中納言匡房、ならひに基俊ナシモ俊頼 なとめされて、われも〳〵といとなみよまれける中に、範(憲モ)清を召て、この絵とものなかに、さるへきところともに、歌よみてまひらすへきよし、おほせくたされけれは、その日のうちによみつらねて、申あけゝるうたともにいはく、
初春ゆきつもりたるやまのふもとに、谷川のみつなかれたるところをみて、
ふりつみしたかねのみゆき解にけりきよたき川のみつのしら浪
やまさとのしはのいほりに、ひしりのこもりたるまへに、むめの花のさきたるところをかゝれたれは、
とめこかしむめさかりなる我宿をうときも人はおりにこそよれ
花のさきみたれたる下にゐて、月をなかむる男のありける所をみて、
雲にまかモよ ふ花のしたにてなかむれはおほろに月もモは みゆるなりけり
夏のはしめに郭公をたつねて、やまたのはらのすヽきのもとにゐて、なかめたるおのこをかゝれたりけれは、
きかすともこゝをせにせんほとゝき山田の原の杉のむらたち
ほとゝきすの、はつねたつぬるかひありて、きゝつけたるこゝろかゝれたれは、
郭公たモふ かき峰よりいてにけもみやまのすそに声のきこゆる
清水なかれたるやなきのかけに、みつむすふ女房をかきたりけれは、
道野辺のしみつながるゝ柳かけしはしとてこそ立とまりけモつ れ
秋の初風、心ほそくかゝれたりけるところに、
あはれいかに草葉のつゆのこほるらん秋風たちぬみやきのゝはら
やまたもるいほりのほとりに、しかのなきたるところを見て、
をやま田の庵ちかくなくしかのねにモさほ鹿 におどろかされておとろかしけりモかすかな
たかきやまにしら雲のかゝりたるを見て、
あきしのや外山のさとやあくるらん伊駒のたけに雲のかゝれる
おくやまのみねの梢かせにさそはるゝところありけれは、
小倉山ふもとのさとにこのはちれいこすゑにはるゝ月をみるかな
勅宣のかれかたきゆへに、御障子の絵の歌十五首を、日のうちにつらねて奏申けれは、よくよく御れうけんありて、希代の名歌、末代の秀逸なりとて、そのときのてかき定信時信らを【 NDLJP:67】めしてそかゝせられける、大治二年十月十一日かとよ、勅禄にあさひ丸と申御はかせを、あかちのにしきのふくろにいれて、頭弁のうけ給ひにてそ給ける、女院の御かたへめされ、権中納言殿御局御奉行にて、御はしたもの、おとめのまへにて、くれなひの十五かさなりたる御衣をわたきてかつけられける、見る人〳〵めをおとろかしうらやみあひけるこそ、今生の執心とゝまりてあはれにかたしけなく、よろこひのなみたも、袂にあまりておほえける、そのくれにやとにかへりきたりたれは、子息妻子親類兄弟ら、このしたいをよろこふけしきかきりなし、これにつけてもよの中のはかなきことのみ心にしみて、仏のみちにいりなんことのみそおもはれける、をりしも同北面にさふらひける、あひしたしき佐藤左兵衛尉範(衛門尉憲モ) 保、使宣旨をうけたまはりて、かしこまり申なとしてかへりけるか、よへも鳥羽殿より、七条大宮へんまてうちつれて、あしたにはかならす又鳥羽殿へまいりさまには、うちくしてとちきりけれは、そのあしたかくといはんとて、うちよりたりけるに、かとに人おほくたちさわきて、うちにはさま〳〵になきかなしふこゑきこえて、とのはこよひねしにゝしなせ給ぬとて十九になる妻女、五十有余になる母、こゑもをしますなきかなしむをきくに、いよ〳〵かきくらすこゝちして、かせのまへのともしひ、はすのうきはのつゆ、夢のうちのゆめかとのみおほえて、やかてそこにて、もとゝりをきらんとはおもひしかとも、いま一度、きみに今日はかりまいりて、いとま申さんとおもひて、こまをはやむれとも、なみたはたもとにせきあへさりけり、抑この人は、二年のあにゝて、生年廿七そかし、をくれさきたつためし、老少不定のならひ、ことにあはれなる、心のうちにかくそ詠しける、
朝有㆓紅顔㆒誇㆓世路㆒、暮成㆓白骨㆒朽㆓荒原㆒、
こへぬれはまたもこのよにかへりこぬしての山路そ悲かりけるモれ
よのなかを夢とみる〳〵はかなくもなをおとろかぬ我心かな
年月をいかてわか身にをくりけん昨日みし人けふはなきよに
例ならす、ことにきらめきまいりたりけれは、人々もめをおとろかしカき 、君もいみしくおほしめして、作日の歌の御感とも、綸旨をくたすところに、頭弁をもて、出家のいとまの事を奏申たりけれは、ことにおとろきおほしめして、御ゆるされなかりけれとも、心の中におもひしめたることなれは、とゝまるましとおもふにも、かたしけなく龍顔をはひし、宣下をうけたまはらんこと、只今はかり、三台九卿の御まなしりにかヽらんこと、けふ計とおもふにも、なこりすくなからすこそおもひけれ、南庭の花下、西楼の月前、御あそひにはつれすめされしこと、おもひつゝくるに、なみたもとゝまらねとも、こヽろつよくもおもひとりしかは、去二月に、すてに、出家は一定とおもひさためしとき、かくよみしそかし、
空になるこゝろは春の霞にて世にあらしともおもひたつモる かな
いまたそのこやきたらさりけん、二月もすきて、七月にまた一ちやうとおもひきりて、月のおもしろかりしに、かくそよみける、
世のうさにひとかたならすうかれゆく心さだめよ秋の夜の月
【 NDLJP:68】 物おもひモふ てなかむるころの月の色にいか計なるあはれそふモしる らん
おしなへてものをおもはぬ人にさへ心をつくる秋のはつ風
秋もまたのかれて、このたひの出家さはりなくとけさせ給へと、三宝に祈請し申て、やとへかへりたるほとに、としころたへかたくいとおしかりし四歳なる女子、ゑんにいてむかひて、ててのきたるかうれしきとて、そてにとりつきたるを、たくいなくいとおしく、目もくれなみたもこほれけれとも、是こそは煩悩のきつなをきるとおもひて、ゑんよりしもへけおとしたりけれは、なきかなしみけれと、耳にもきゝいれすして、うちにいりて、こよひはかりのかりのやとりそかしと、なみたにむせひてそ、あはれにおほえける、女はかねてより、おとこの家出せんすることをさとつて、このむすめのなきかなしむをみても、おとろくけしきのなかりけるこそ、哀なりけれ、
露の玉きゆれはまたもあるモおく ものをたのみもなきい我身なりけり
十五夜の月のなかはになるまて、なみたをなかして思やう、万法は心か所作、さらに別の法なし、人界にむまるゝことは、梵天よりいとをくたして、大海のそこなるはりのあなをつらぬかんよりはかたく、仏教にあへることは、一眼の亀のうきゝのあなにあへらんかことし、このたひ出家遁世して、仏道をえんとおもふ、人木石にあらす、このめはおのつからといへり、それ流転生死のつたなき身なりとて、不退の浄土にむまれたしと本マヽは ひけそへからす、栴檀のはやしに入ぬれは、ころもおのつからかうはし、あさのなかのよもきは、ためさるになをし、松にかゝれるかつらは、おもはすにちい〔ひカ〕ろにのほる、切(忉カ)利天のそのには、歓喜のいろをふくみ、蓮花世界の鳥は妙法の文をさへつるかことく、たからの山に入て手をむなしうしてかへらんこと、あに仏の御心にかなはんや、しかれは名聞僑慢の心をとゝめて、慳貪嫉妬の思をわすれ、邪見放逸のつみをつくらす、姪酒妄語の戒をやふらす、ひとかたに仏にならんと思とりて、西の山のはに、月もやう〳〵かたふきにしかは、只今こそかきりとおほえて、としころの妻女に、あるへきことさま〳〵にちきりしかとも、この女さらに返事もせさりけり、さりとてとゝまるへき事ならねは、心つよくもとゝりきりて、持仏堂になけおきてかとをさしていてゝ、としころしりたりける、嵯峨のおくのひしりのもとへ、そのあかつきはしりつきて、出家をしけるこそあはれにみえけれ、そのあしたひしりたちあつまりて、こはいかにと申あひけれは、かくそなかめける、
世をすつる人はまことにすつるかはすてぬ人をモこ そすつるなとはいふモりけれ
うけかたき人のすかたにうかひ出てこりすや誰もまたしつむへきモ覧
世をいとふなをたにもまたとナシモゝ めおきて数ならぬ身の思ひてにせん
この人つねに観念窓中心懸三明月坐禅床上眉埀八字霜と観して、常に諸行無常は、天にのほるはし、是生滅法は愛欲の川をわたるふね、生滅々己は劔のやまをこゆるくるま、為滅為閑は八相成道の証果なりと観して、さらにうき代のちりにほたされしとそおもひける、
【 NDLJP:69】 身のうさを思しらてややみなましそむくならひのなきよなりせは
今年もすてにくれなんとす、さてもこそまては、としのくれのいとなみとも、さま〳〵にせしかとも、いまいさすかにとおもひいたされて、
おのつからいはぬをしとふ人やあるとやすらふほとに年の暮ぬる
昔おもふにはにたきゝをつみおきてみしよににもあらぬモもにぬ 年の尊かな
年暮し其いとなみはゝすさもあらてモられて あらぬさまなるいそきをそする
年たちかへるいはひことには、西方にむかひて、臨終正念往生極楽とぞおかみける、たかきもいやしきも、よにある人は、みなむ月のはしめには、嘉辰令月のよろこひ、万歳干秋のたのしみ、長生殿のさかえ、不老門の日月、つるとかめとのたはむれ、子日の松のかさり、野辺のわかなのてすさみ、われも〳〵とすることは、春の夜のゆめそかし、官位のゝそみ、珍宝のたくはへ水のあわ、まもろしのことしと観して、この春のうちに、往生をとけはやとこそ、仏神に申けれは、いほりのまへに梅花のさきたるを、すきける人さへさし入て、
心せんしつかゝきねのむめの花よしなくすくる人とゝめけり
かをとめん人をこそまて山里のかきねの梅のちらぬかきりは
こもカこ りけるあんしちに、またかきねのむめの、なつかしきにほひ、風にさそはれて、
ぬしいかに風わたるとていとふらんよそにうれしき梅のにほひを
花おもしろしとおもひそみて、しつかにおこなひてみるところに、むかしなれたりし人、花みにとて尋ねきたりけるをみて、心の乱けれは、
花みにとむれつゝ人のくるのみそあたら桜のとかにはありける
すてに出家をとけて、菩提心のみちにいりぬ、いまはつくりしところの罪障を、懺悔せんとおもふ一念に、なすところのおもひ、みな三途の業なり、善心はすくなく、悪心はおほし、つみは百丈のいし、懺悔はふねなり、つみおもき百丈の石なれと、懺悔のふねにのりて、生死の苦海をわたりて、菩提の岸になとかつかさらん、事理の懺悔に五体を地になけて、一心に念仏をとなふれは、草木のたきゝを百万里につむといへとも、芥子はかりの火をつくれは、ときのほとにやけうせぬ、在俗のときつくりし、百万里のうちにつみしたきゝのつみなりとも、出家懺悔の芥子はかりの火をつけぬれは、たのもしくこそおほゆる、
泉罪如霜露 恐日能消除 是故応至心 懺悔六情根
このもんにまかせて、今は山林流浪の行をとけんと思て、はしめのいてたちこそあはれなれ、むかしはいさゝかのあるきにも、数百人の郎徒を前後にしたかへ、弓箭兵杖のたくひには、金銀をもてみかきたて、日々にきかへしそかし、いまはあさのころものすみそめにか、きのかみきぬのしたきに、ひかさすゝけさはかりのくそくにて、としころおもひし事なれは、まつ吉野山をたつねて、花をこゝろにまかせてみんとて、たつねゆけとも、おなしこゝろおもふ人もみえさりけれは、
たれかまた花をたつねて吉の山こけふみわけるいはつたふらん
【 NDLJP:70】さくらの枝にゆきかゝりて、花かとおとろきみれとも、花にはあらす、
よしの山さくらの枝に雪散て花おそけなる年にもあるかな
花は東よりひらくといふ事のあれは、きたのかたなれはおそきそとおもひて、みちをかへてたつねいりけるに、
吉の山こそのしほりのみちかへてまたみぬかたの花をたつねん
たつねいりたるかひありて、さきみたれたる花のもとにてみれは、やかてちりけれは、
なかむとて花にもいたくなれぬれはちる別こそ悲かりけれ
吉野山やかていてしとおもふみをはなちりなはと人やまつらん
名をえたるやまの花なれは、さこそおもしろかりけめ、こけのむしろのうへ、いはねにまくらをかたふけ、さすかにいけるいのちのたよりには、たにのしみつをむすひみねのこのはをひろいひ、寂寞莫人声、読誦此経典とよみ、入於深山思惟仏道のをこなひ、こゝろにあかねとも、熊野のかたさまへまいらんとおもひたちて、ゆくみち〳〵のありさま、いとゝあはれのみまさりて、
おろかなる心のひくにまかせてもさてさはいかにつゐの思ひは
世中をおもへはなへてちる花のわか身をさてもいつちかもせん
やかてやかみの王子にとゝまりて、いかきのほとりにさきたる花の、ことにおもしろかりけれは、はしらにかきつけける、
まちきつるやかみの桜咲にけりあらくおろすなみねのやま風
登蓮法師人々をすゝめて、百首の歌をあつらへけれとも、いなみ申て、熊野へまいりけるみち、紀州千里の浜の海士のとまやに、ふしたりける夜の夢にみるやう、別当湛快か、三位入道俊成に申云、むかしにかはらぬ事は和歌のみちなり、これをよまぬ事をなけくとみて、うちおとろきてよみてをくりけるに、この歌をかきそへてつかはしける、
末の世もこのなさけのみ替らぬとみし夢なくはよそに聞まし
さてなちの御山にさんけいの心さし深くて、まいりつきて、和光同塵の垂跡、平等方便の利生、八相成道の果証、般若妙法の法施、真言秘密の法楽、臨終正念往生極楽のためと礼拝して、日かすつもるあひた、千手観音の滝に入堂するほとに、常住僧申云、このうへに一二のたきのおはします、をかみ給へと申けれは、よろこひおもひて、きひしきやまのいはのかけみち、つたひのほりて、二の滝のもとにまいりたれは、如意輪のたきとなん申ををかみまいらすれは、まことにすこしうちかたふきたるやうに、なかれくたれは、いよ〳〵たうとくおほえて、なみたもとゝまらす、そのまへに、花山院の御あんしちのあと侍けるまへに、としふりたるさくらのかれんとするをみるに、このもとをすみかとすれは、おのつからはなみる人になりぬへきかな、とよませ給けんは、こゝやらんとおほえて、
このもとにすみけるあとをみつるかななちのたかねの花を尋て
かれたるさくらの、としふりたるえたのみ、ひとふささきたるみるに、わか身のたくひとあ【 NDLJP:71】はれにおほえて、
わきてみんをひには花も哀なりいま幾度か春にあふへき
このやまにとしころおこなひて、やかてこゝろあらん先達もかな、おほみねへいらんとおもふほとに、僧南房僧都、その時は二十八度のせんたちにて申やふ、いらせ給へ、おほみねのひしよとも、おかませ申へきよし申されけれは、よろこひて入たりける、ことからのあはれさ、さこそと覚けめ、すみそめのたもとをぬきかへて、にはかにかきのころもかみしもになりけん、あはれにこそみえけれ、深山と申やとにて、月おもしろかりけれは、
深きやまに住ける月をみさりせはおもひてもなき我身ならまし
をはかみねと申ところにつきて、おもひなしにや、月ことにあかくみえけれは、信濃の国ならねとも、何しほひてかくおもしろき月はすむやらんとて、
おは捨は信濃ならねといつくにも月住みねのなにそありける
あつまやと申山にて、しくれの後、月おもしろかりけれは、
神無月しくれはるれはあつまやのみねにそ月はむねとすみけれ
平等院のなかゝれたる卒都婆に、もみちのちりかヽりたるをみて、はなよりほかにとよみけん人そかしと、あはれにおほえて、
あはれとて花みし峰になをとめてもみしそけふはともと成ける
ちくさのたけとて、ことに木のしけき峰に、しな〳〵の木々の色みえけれは、
わけて行色のみちらす木すゑさへちくさのたけはこゝちみえけり
ありのわたりとて、木繁くて霧立こめ、心細くあはれにみえけれは
さゝふかく霧こめ峰を朝たちてなひきわつらふありのとわたり
この峰の第一の大事のところには、このきやうしやかへりなり、むかしちことをり候すして、命たえけるところにて、きやうしやはかへりける、ことはりとあはれにみえけり、されはむかしの山ふしは、ひやうふかたけを、たいらかにすきんとおもひて、やう〳〵のいのりしけるそかし、
ひやうふにや心を立て思ひけんきやう者はかへりちこはとまりぬ
三重のたきをおかみけるにこそ、みきやうのこうありて、むしのさいしやうせうめつして、はやくほたいのきしにちかつく心地して、大聖明王のかうふくの御まなしりををかみ、こんからせいたかふたりの童子の御すかたをあらはし、深山の岩屋のほとりに、坐禅入定の心深くそみ、涙とゝまらすして、
身につもる言葉のつみもあらはれて心すみけるみかさねの滝
つ本マヽほた んかはゝ仙のほらをすきて、せうのいはやにまいりてみるこそ、すきぬる百二十の宿々釈迦宿そまくさのたけのめてたさ、かすならすおほえて、平等院の僧正の千日こもりのとき、草のいほなとつゆけしと思けん、もらぬいはやも袖はぬれけり、とよみ給けんこと、いまみるこゝちして、わか身の業障のちり、明王の火炎にもへうせぬとおほえて、なみたもとゝ【 NDLJP:72】まらす思けれは、
露もらぬ岩屋も袖はぬれけりときかすはいかにあやしからまし
此いはやにて往生の素懐をとけはやと、いてまものうくおほえけれは、先達ゆるさゝりけれは、心ならすいてつらなりてゆくほとに、やまとのくにまちかくなりて、人さとゝもみえて、ふるはたのそはに、やまはとこゑもをしますなきけれは、心のすむとき、又かつらきやまを見やれは、をりにもあらぬもみちのみえけれは、人々に、あはれはいかにとたつぬれは、まさきのかつらにて、ときもしらぬもみちと申けれは、
ふるはたのそはのたつきにゐるはとの友よふ声のすこくきこゆる
葛城やまさきのかつら秋ににてよそのこすへはみとりなりけり
ゆふされやひはらかみねをこえ行はすこくきこゆる山はとの声
郷にいてぬれは、つれたりつる同行とも、われも〳〵とおもひ〳〵にゆきわかれけるこそ、あはれになみたもとゝまらね、その中に心有ける同行、ことにわかれををしみて、いつかまたあふへきと、そてをしほりけれは、返事には、
さりともとなきあふことをたのむかなしての山路を越ぬかきりは
其時先達僧南房を中尊にみあけ、百日同心合力の同行を孝子とおもひて、罪障消滅の教化にあつかりて、ふかきたにのこほりをたゝきて水をくみ、たかきみねのたき薪をとりて、ひさけのしたをあたゝめて、しゆくにつきては先達の御あしをあらひて、金剛秘密坐禅入定のひしをつたへ、恭敬礼拝のゆへに、安養浄土の望をすてにとけなんとおほえ、をの〳〵かきのころものそてかへるはかりに、なみたをなかして、ちり〳〵になるあかつき、ぬえのなきける声、心ほそくきゝて、
さらぬたによのはかなさを思身にぬえなき渡る明ほのヽ空
儀式をさためし同行も、をの〳〵わかれぬれは、たゝ一人もとのすみそめになりて、すみよしにまいりてみれは、源三位頼政の朝臣の、すみよしの松のひまよりなかむれはいり日をあらふをきつしら浪、とよみけんも、ことはりとおほえて、又まつのしつえをあらひけんなみ、いまのことゝおほえて、
いにしへの松のしつえをあらひけんなみを心にかけてこそみよ
住吉の松のねあらふなみのおとをこすえにかくるおきつしほ風
そのとしはすみよしにこもりて、おこなひて、あくるとしの春、みやこさしてゆきけるに、津の国のなにはわたりをなかめけるに、春風にはかに、あしのかれ葉をおとろかして、よろづ心ほそくて、
津の国のなにはの春は夢なれやあしの枯葉に風わたるなり
さすかにしなれぬいのちの、まかよひてみやこにかへりきたりてみれは、そのいにしへ住なれしすみかも、ことやうになりて、いつくをやとゝさため、たれをたのみて、しはらくのたよりともおぼえす、いとゝあはれにおほえて、
【 NDLJP:73】 むかしみし庭の木の葉も年ふりてあらしのおとは梢にそきく
いつくにもすまれすはたヽ住てあらん芝の庵のしはしなる世に
むかしみなれしことなれは、法勝寺のはなみにまかりたりけるに、しやうせい門院の女房花みられける中に、兵衛のつぼねのもとへ、むかしの花のみゆきをやおもひ出給けんとて、その日雨のふりけれは、かくそ申つかはしける、
見る人に花もむかしを思出てこひしかるらしあめのこほるゝ
御返事に
いにしへをあのふる雨と誰かみん花もむかしのともしなけれは
かくまとひありくほとに、すみなれしふるさといかゝなりぬらん、わかけをとしたりしむすめの、さすかに心に懸りて、其門を過けるに、み入て立たれは、此児六七計にて、たてしとみのもとに、せんさいの花に遊て有けるを、つく〳〵と哀にみる程に、此児、門にこつしきほうしのみるかおそろしきとて、内ににけいりにけり、かくとつけまほしけれとも、心弱てはと思て、涙にむせひてそ過にける、妻子珍宝及王位の文を観して、山深きすまひそよくおほえける、
山深くさこそ心いかよふとも住まて哀をあちん物かは
西行西住、をなし俗にてありし時、ともに、出家をせんするよし申あはせしに、西行はやく出家をとけてけり、西住ははるかに出家もせて有とき西行をみて、むちをひんにあてけり、西行これをみて、我もかくかみをそるへきよしをしめすにこそとおもひけり、ともに出家していてたりし、西住と申ていはく、ほとけのをしへに、頭陀はこれ第一のりなり、けうまんのはたほこをたをして、ほたひのみちにいるはしめなり、しひのたもとをくほめて、あくこうの衆生の結緑をうけて、東西の獄衆貧道無縁のかたはらとに施行して、平等一仏のおもひをなさんとて、乞食ありしほとに、西住かふる郷に、さいしのあるところへゆきて、経をよみたてるほとに、うちになくこゑす、ねうはうすたれをおしあけてみてなく、よにらうたけなるちこの、五六歳はかりなるはしりいてヽ、あのこしきのてゝにゝたるとてなく、されともつれなく経をよみたてるほとに、しろきものをぬりをけにいれて、としころつかひし女、なく〳〵もてきたりけるをうけて、かへるとき、うちよりこえもをしますなきあひけるをきゝて、かくそよみける、
きしかたのみしよの夢にかはらねはいまはうつゝの心こそすれ
西住かとにいてゝ、をひたゝしくなきけれは、西行つく〳〵とまほりて、はちしめて申ていまく、されはこそつれまうさしとは申しゝか、心よはくては、仏のみやつひはしてんや薩埵王子はうへたるとらをたすけ、雪山童子は半偈にみをかへ、悉達太子は妻子珍宝まて、所望のをきなにあたへ、忍辱し仙人はあしてをきらるれとも、をしむことなくてこそ、つひにほとけにならせ給しか、わかともにはかなうへからすとて、はなれける、さてそのくれに、かねのこゑきこえけれは、
またれつる入逢の鐘のおとすなりあすもやあらは聞かむとすらん
そのあかつき
【 NDLJP:74】 山かけにすまぬこゝろはいかならんをしまれている月も有夜に
仁和寺の御室よりめされて、まいりたりけれは、おほせことにいはく、厭離穢土の次第、有為無常のことはり、成仏待道場の因縁、往生極楽の証拠とも、こまかにめしとはせ給てのち、またつらゆきみつねかなかれをつたへて、やまとことはをくちすさむこと、たゝ聖人はかりなり、おなしはちすの身とならんために、月の百首をよまんとおもふなり、結縁申へきよしおほせありけれは、十首の和歌をよみて、まひらする中に、
うれしとやまつ人毎におもふらむ山のはいつる有明のつき
月のすむ山に心ををくり入てやみなるあとの身をいかにせん
ふけにける我身のかけを思ふまにはるかに月のかたふきにける
よもすから月こそ空にやとりけれ昔のあきをおもひいつれは
月をまつたかねの雲は晴にけり心あるへきはつしくれかな
月のみやうはのそらなるなかめにておもひもよらぬ心かよはん
かくれなくもに住虫はみゆれともわれから曇る秋の夜の月
有明のおもひてあれや横雲のたゝよはれつるしのゝめの空
したはるゝ心や行とやまのはにしはしな入そ秋の夜の月
すゑにならいうきよと□しるしあらんわれにはくもれ秋の夜の月
仰背かたきによて、月の十首を読てまひらせ上たりけれは、御感有けり、扨忍西入道、西山の麓に住ける所、へあきの花、いかにおもしろかるらんと申遣したる返事に、色々の花共を取集て、此歌を読て贈たりけり、
鹿のねや心ならねはとまるらんさらては野辺をみなみするかな
返事
鹿のたつ野辺のけしきのきりはらへしのをりかくす心地こそすれ
いつくをすみかとさためねは、いのちをかきりに、すきやうせんとおもひて、【物語には此段を出家して後遊歴の初めに置】まつ伊勢太神宮へまいらんとおもひて出たつあいたに、とし比のらうとうをとこのともに出家したりけるか、あなかちにともせんと申けるをくして、すゝかやまをとをりける、あはれにおほえて、
すゝか山うきよをよそにふりすてゝいかになりゆく我身なるらん
太神宮にまいりつきて、みもすそかはのほとり、すきのむらたちのなかにゐて、一のとりゐをみいれまひらせて、かたしけなくも恭敬礼拝して、ひそかにおもふやう、わかきみは、あまの岩戸ををしひらきまし〳〵て、わかてう日本勢州わたらひのこほり、神道山のすそに、一の勝地をしめて、あまのはたほこくたしまして、あまくたらせ給てよりこのかた、御埀跡のゐくわうは、三千世界をてらし、万民平等の利益、いすゝのみなかみよりはしまり、内外両所の別宮は、両部の蔓陀羅也、慈悲広太の利生は、正直のいたゝきをまもりて、ひとたひこのちをふむものは、なかく三悪道の苦患をはなれて、のちに安養浄土の往生をとく、人めは惰怠不信のものゝために、仏経念珠袈裟僧尼をいむににたれとも、真実には大乗般若の法楽も、【 NDLJP:75】真言秘密の法施をたてまつれは、随喜のえみそ含みて、たちまち□二世の願望成就せしめ給ふものなり、
宮柱たつるいはねにしきたてゝ露もくもらぬひかりモひ のみかけかな
神道山のあらし、みもすそかはのなみをたて、ときはに月のひかりをうつし、いかきのもとに立寄れは、いとゝさやけきにも
神道山月さやかなるちかひにてモありて あめのしたをはてらすなりけり
さかきはにモや 心をかけぬいふしをモて のおもへは神るほとけなりけり
あまてる御神のみきりにて、後世の事いのり申さんとて、ふたみのうらをすきけるに、輔親の祭主のよみたりける、たまくしけふたみのうらのかひしけみまきへにみする松のむら立、とうちなかめて、月のよはたゝにはなかりけり、
おもひきやふたみの浦の月をみてあけくれそてに波かけんとは
なみこすとふたみの松の(浦にモ)みえつるはこすゑにかゝる霞なりけり
花さかりになりぬれは、神道山のさくらは、よしのやまにもすくれ、とりゐのほとりの花は、南殿白川の花にもまさりてみえけれは、
岩戸あけしあまつみことのそのかみに桜をたれかうへはしめけん
神道山みしめにこもる花さかりこはいかはかりうれしかるらん
風の宮のはな、おもしろかりけるをみて、
此春は花ををしまてよそならんこゝろを風のみやに任せて
月よみのみやにまいりてありけるに、花の梢おもしろかりけれは、【物語本梢みれはの歌の次に左の二首あり
さやかなるわしの高根の雲まよりかけやはらくる月よみのもり
わしの山月を入ぬと見し人やこゝろのやみにまよふなるらん】
梢みれは秋にかきらぬなヽりけり花おもしろき月よみの宮
さくらのこせんのこすゑのはな、風にたはふれてあそひちる、このもとは、ゆきのつもるかとおほえて、めてたかりけれは、
神風にこゝろやすくそまかせつる桜の宮の花のさかりを
さてもあつまのかたの修行をおもひたちてくたりしかとも、神宮に心をとヽめて、ひかすもつもる事、みとせあまりになる事よしなし、いまはいてんとするとき、なこりををしむともからあまた有けるを、おりしも月のひかりあかゝりけれは、
めくりあはて雲井のよ所に成ぬとも月になれ行むつひわするな
君もとへわれもしのはんときたゝは月をかたみに思ひいてつゝ
かやうになかめつゝ、あつまのかたへゆく程に、遠江の国にてんりうの渡りにて、ふねにのりてわたらんとしけるに、ある武士の船に乗あひて、ところなし、下りよ〳〵と、鞭を持て散々にうつ程に、西行かしらうちわられて、血なかれたるを見て、ともにくしたる入道、あなかちになきかなしむをみて、西行申て曰、心よはくもなく物かな、されはこそつれしとは申しゝか、修行をせんには、これにすきたる事のみこそあらんすれ、不軽𦬇は、我深敬汝等、不敢軽慢と拝給ひ、空也上人は、忍辱の衣あつけれは、杖木瓦石もいたからす、慈悲のむろふか【 NDLJP:76】けれは、罵詈誹謗もきこえす、まことにあさからぬほつしんならは、のりうつともなにかはくるしからん、わかともにはかなはし、とく〳〵はなるへしと申けれは、入道申ていはく、まことにこゝろよはきなみたは、不覚のなかたちなりといへとも、きみかたしけなく仙洞の北面に座席をしめ、をなしく御ひさをくみし人、なを御命をはたかへしと、御まなしりをまほり、いさゝかの事みつめはかりも、人にはいはれしとふるまひて、十善のあるしもその心さしのたけきをもて、めしつかひ給しかは、日のしたのつはもの、在地近隣のものまても、をちおのゝき、こゑをたにもたつる事なかりき、いまさん〳〵にうちまいらすれとも、大事けもおほしめさすか、あさましさにたへすしてと申けれは、むかしのよを思いたすもよしなしとて、はちしめはなち給けるこそ、あはれにみえけれ、さてたゝ一人、さやの中山をこゆるとて、
年たけてまたこゆへしとおもひきやいのちなりけりさやの中山
かやうにたとりゆく程に、初秋風立ぬれは、野辺のけしきもかはりて、くさむらことにすたく虫、雲井にかりかねなきわたりなとすれは、
おほつかな秋はいかなるゆへのあれはすゝろに物の悲しかるらん
西行たゝひとり、あらしのこかせ身にしみて、うきこといとゝ大井川のしかいの浪わけて、かせのみわたるたもとしほりもあへすして、駿河の国をかへの宿とかやに、ふるきあはれ堂に立やとりてやすみつゝ、うしろとのかたさまをみれは、ふるきひかさのかけられたるを、あやしとみれは、すきぬる春、みやこにて、一仏蓮台のうへにと契りむすひたりし同行の、あつまのかたへ修行にいてしとき、あなかちにあはれをおしみしかは、これかたみにみよとて、このかさに我不愛身命、但借無上道とかへにありて、ぬしはゆくかたもみえさりけれは、心 □うさに、をくれさきたつためし、もとのしつくときえにけるやらんと、なみたもとゝまらす、やとの人にたつぬれは、この春京より修行者のくたりしか、あのたうにて、よこゝちをしてうせ侍りしを、犬のひきみたして侍き、かはねはあるらんといへは、たつぬれともみえさりけれは、
笠はあり其身はいかになりぬらんあはれはかなきあめの下かな
かくなかめゆくほとに、秋風身にしみて、はつかりかねもなきなんとしけれは、
秋たつと人はつけねとしられけりみやまのすその風のけしきに
白雲をつはさにかけて飛かりのかと田の面のともよはうなり
むかし業平中将、ゆめにも人にあはすなりゆくとなかめけん、うつのやまあはれにおほえて、きよみかたをすきけるに、おきの浪みきはをあらふ、月のひかりしたかひてあはれにみえけれは、
きよみかたをきの岩こす白浪にひかりをかはす秋の夜の月
みをうきしまのはらをすきゆけは、けふりたえせぬふしのやま、となかめし登蓮法師か、あつ本マヽには ことみちはありやとなかめけん、ことはりにみえて、
風になひく富士のけふりの雲に消て行衛もしらぬ我思かな
【 NDLJP:77】かくてあしからの山をこゑわすらひて、むかしよみけんなもあしからの山なれは、こひしきほとも、と申けんまことにとおもひてすくるほとに、秋風身にしみて、
山里の秋の末にそおもひしるかなしかりけりこからしのこゑ
相模の国おほはといふところに、(无イ)とかみのはらをすくるに、野原の霧のひまより風さそはれ、しかのなくこゑあはれにきこゆれは、
しま松のかすのしけみにつまこめてとかみか原にを鹿なくなり
其暮方にこゝろほそきおりふし、しきたつさはのほとり、あはれにて、
こゝろなき身にもあはれはしられけりしきたつ沢の秋の夕暮
たひの月初、かりかねをわか身にともなひて、山をすくる心ちして、袂になみたしほりかぬれは、ひかり袖にうつして、
しらさりき雲井の余所に見し月の影をたもとにやとすへしとは
よこ雲の風にわかるゝしのゝめの山とひこゆる初かりの声
いつくをさしいそきゆくへき所なけれは、つきにさそはれて、むさしのゝ草葉をわけて、はるはるとわけゆく程に、野辺のこはきつゆむすへは、月のひかりをみかきて玉をつらね、むしのこゑ〳〵さへつれは、琴の音琵琶の音和琴なとをしらむるにことならす、ほうわうちしやその夜るの月、われらかともにやまをすきけん心ちして、心細くわけゆくほとに、みちより五六町はかり入て、ほのかに経のこゑのしけれは、こはいかなることやらんとはおもへとも、たつねゆきてみけれは、わつかにひとまはかりの庵をむすひて、はきやすゝきをみなへしをもて、うへにもふき、かきにもかこひ、うちにはとし九十計なるらう僧の、此経難治若整持者我則歓喜諸仏亦然、とうちあけてよみ、八月十五日夜のほとのことなれは、昼のやうにくまもなし、たかひにあきれて、とはかりありて申やう、こはいかなる人の、かくておはしますそととへは、われはむかし郁芳門院の侍のをさなりしか、院かくれさせ給てのち、やかてほうしになりて、みやこの人にしられしとて、しつかならん所をたつねしほとに、この野へのくさのはなにこゝろをとゝめて、春夏秋冬をおくるに、心すまぬおりそなき、生年廿九歳なりしときいへを出、爰にすむこと六十余年、法花十軸の読誦七万八千六百余日なり、あさゆふのことは、おのつから人のきゝつたへて、とき〳〵とふらうときは、いのちをたすけ、又いくかもむなしきこともあり、たゝし時々はうつくしき童子いてきたりて、ゆきのやうなるものをくちにあたふれは、心ゆたかにものほしからすとかたるに、なみたもとゝまらす、たゝしとくうらやましくおほえて、
しけき野をいくひとむらに分なしてさらに昔をしのひかへさん
いかにせん世にあらはこそ世を捨てあなうのよやとさらに思はん
みちのくにのかたさまへゆくほとに、白川関屋にとゝまりて、くまなき月影、せきやのことからおもしろかりけり、能円入道か、みやこをは霞とともにたちしかと秋かせそふく白川の関、とよみけんも、いみしくそおほえける、せきやのはしらに、
【 NDLJP:78】 白川のせきやを月のもるからに人のこゝろをとむるなりけり
次日せきやをいてゝ、はる〳〵ゆくほとに、とき〳〵あめうちふりて、たひのそらいとゝものあはれにて、くれぬれは、
たれすみてあはれしるらん山里のあめふりすさむゆふくれの空
白川の関よりひんかし、はるかのさかひおほくの野山をこえすきて、はにふのこやのあやしきに、やとをかりてありけるに、くまなきつきおもしろく、みやこにてつきみむたひにはたかひにと、ちきりし人のことおもひいてゝ、
都にて月をあはれとおもひしはかすにもあらぬすさみなりけり
月みはとちきりおきてし古郷の人もやこよひそてぬらすらん
つほのいしふみ、ぬまの□□□□□なとあはれにみまはり、ある野の中路すきけるに、ことありかほにつかのみえけれは、あれはいかなるつかそとたつねけれは、あれは実方中将のはかと申けれは、いとゝあはれにおほえて、そのかみ賀茂の臨時のまつりのとき、みたらし川に影をうつして、我か身ともおほえすとありけるそかし、院うちわか女房こゝろをつくして、ちかことには、実方中将のにくまれかうふらんとたてなとしける人の、この国に下りて、仏法の名字をたにもきかぬ野中に、わつかに塚はかりのあるしあはれにこそ、
朽もせぬ其名はかりをとゝめ置て枯野のすゝきかたみにそみる
あくろつかろのしまのことから、しのふのこほりころも川、いつれをわきてなかめあくへしともおほえすすくるほとに、ひらいつみのひてひらのすきものもとにて、恋の百首よみけるに、あなかちによみてたへとすゝめけれは、せう〳〵
たて初てかへるモ逢 る心はにしきヽのちつかまつへきこゝちこそせね
みをしイち れは人のとかともモは 思はぬにうらみかほにもぬるゝ袖かな
あはれとて人の心のなさけあれなかすならぬ身によらぬなけきを
秋もやう〳〵くれかたに、きり〳〵すのこゑとをさかりけれは、
きり〳〵すよさむに秋のなるまゝによはるか声のとをさかり行
雪の中にともをまつといふ事をよみけるに、
我宿に庭のほかなるみちもかなとひこん人のあとつきてみん
都ならねとも、としのくれには、人々われも〳〵もと、いそきあひたりけるをみるに、
常よりも心細くそおもほゆる旅のそらにてとしのくるれモゝ は
うき身こそいとひなからもあはれなれ月をなかめて年の暮ぬる
としたちかへりぬれは、かすみとともに、みやこのかたへたちいてヽゆくほとに、ある野中に、むめの花おもしろく咲にたる木のもとに、うつふして、
ひとりぬモね る草のまくらのうつりかはモに 垣ねの梅のにほひたりけり
山かつのかたをかゝけてしむる野の境にたてるたまのをやなき
兎角あくかれのほるほとに、四月はかりにも成ぬれは、みのゝ国にて郭公をきゝて、
【 NDLJP:79】 郭公みやこへゆかはことつてんこゑをくれたる旅のあはれをモは
こゝろにまかせぬいのちなからへて、ふたゝひきうりにかへり、みやこのことからをみれは、をくれさきたつためし、すゑの露もとのしつく、老少不定のよとは、たれもしられる事なれとも、此十よ年か程に、なれしむかしのともをたつぬれは、あさちかはらの露と消、やまのけふりとのほり、むなしきやと、あるひは跡もなし、あるひはむくらかとをさしこめて、むかしかたりになりたるところ〳〵、百六十余家なり、ましてよそに見し人、そのかすをしらす、蝸牛のつのゝうへになにことをかあらそふ、石火のひかりのうちにこのみをよせたり、生あるものはかならす滅す、釈尊いまたせんたんのけふりをまぬかれす、たのしみつきてはかなしみきたる、天人なを五哀の日にあふ、何のいさましさに歟、かへりのほりたらんと、身を恥しめて古郷にかへるためし、心なきもあらぬことなれは、胡馬北風にいばえ、越鳥南枝にすをくひ、鳥獣たにも旧里をしのふ心あり、弘法大師は、第三地の菩薩なり、されとも天台山五台山の仏法をふりすてゝ、我国にかへり、菅丞相は大政威徳天と申て、百万億の悪鬼のとうりやうたりといへとも、北野にあとをたれ給へり、ましてかすならぬ身をも、心のもちかほにうかれては、又かへり来にけると、うちなかめ、としころしりたりし人のもとへ尋ゆきけれは、をとこははやくうせにきとて、女房はかりなきわたりけれは、いてさまに障子にかく、
なき跡のおもかけをのみ残しそえモおき てさこそは人の恋しかるらめ
かすならぬ身をモに も心のもちかほにうかれて又も帰り来にけり
これやみしむかし住にし跡ならんよもきか露に月のかゝれる
あらぬ世の別れはけにもうかれけるあさちか原をみるにつけても
物患ひてなかむる頃の月の色にいかはかりなるあはれしりなん
京中なをも心のまきらはしく、そう〳〵にのみおほえけれは、
はるかなる岩のはさまに独居て人目おもはて物おもいゝや
あはれとてとふ人のなとモを なかるらん物おもふやとのおきの上風
しをりせてなを山深くわけいらんうきこと聞ぬところありやと
待賢門院の堀河のつほね、後世の事なと申あはせんとて、西行をたひ〳〵よひ侍りけるに、まいるへきよしを申てゆきけるほとに、いかゝおもひけん、人なきを見て、かきをさしすきて、月をまほりて、にしのかたへゆきけれは、よひにやりたりつるつかひ、かとにみあひて、かくすきさせ給ひぬとつけれは、つかはしける、
西へゆくしるへとおもふ月影はそらたのめこそかひなかりけれ
返事
たちいてゝ雲まをわけし月影のまたぬけしきそそらにみえける
かくて月くまなきに、いとゝ心のすみけれは、
やみはれぬ心のそらにすむ月はにしの山辺やちかくなるらん
大内裏の近辺を過けるに、故鳥羽院御時の事からには相違して、あはれにみえけれは、
【 NDLJP:80】 情けありし昔のみたなおモゝ 必はれてなからへはモま うき世にもあるかな
さて北山のをくのいほりにて、おこなひけるに、
山郷に浮世いとはんともゝかなくやしくすきし昔かたらん
山郷は人こさせしとおもはれてとはるゝ事そうとくなりゆく
七月十五夜、月のあかゝりけれは、ふなをかに、よろつのなき人のために、法花経をよみて、こゝろすみけれは、
いかにわれ今宵の月を身にそへてふての山路の人を照さん
むしのこゑ〳〵をきゝて、
そのをりの艾か下のまくらモす にもかくこそ虫のねにはむつれめ
とり辺山にて、とかくのわさしけるけふりのうちより、夜ふけていてたる月のあはれさに、
とりへ山わしのたかねのすそならんけふりをわけていつる月影
山路遥になかむれは、まさきのかつら色ふかく、あらしにさそはるゝ、あはれにて、
松にはふまさきのかつら散にけりとやまの秋や風すさむらん
京にいてたちけるに、しりたる人あはんと申けれは、まかりたるに、かへりこんとて、あからさまにあるしいてゝ、いまや〳〵とまてとも、みえさりけれは、いとゝこゝろもとなきに、かりかねのなくを聞て、
人はこて風のけしきも更ぬるにあはれにかりのおとつれて行
おほはらに良暹法師かすみけるところ、人々見にまかりて、おもひをのへけるに、
大原やまたすみかまもならはすといひけん人をいまあらせはや
十月のなかころ、宝金剛院のもみちみけるに、上西門院おはしますよしきゝて、待賢門院の御時もおもひいてゝ、兵衛のつほねのもとへ申遣しける、
紅葉みて君かたもとやしくるらん昔のあきの色をしたひて
返事
色深きこすえをみにもしくれゆくふりにしことを懸ぬまそなき
ある人よをそむきて、西山にすむときゝて、尋てまかりたれは、しはのいほりすみあらして、人のかけもさゝさりけり、あたりの人にかくまいりたりつるを申て、かへりけるを、あるしのちにきゝて、
しほたれし苫やも荒てうき浪によるかたもなき海士としらすや
返事
苫やかた浪立よらぬけしきにてあまのすみうきほといみえけり
中院右大臣、出家おもひたつよしかたらはせ給けるに、おりふし月くまなくて、よもすがらあはれにてあけにけれは帰りけり、その夜のなこりおほかるよしいひをくられけるに、
返事
【 NDLJP:81】 すむと見し心の月しあらはれてこのよのやみは晴もしにけり
為成朝臣ときはに塔供養しけるに、よをのかくれて、山寺にすみ侍りけるに、人〳〵まうて来て、聴聞なとせんとて出たりと聞て、申遣しける、
いにしへにかはらぬ君か姿こそけふはときはのかたみなりけれ
返事
色かへて独のこれるときはきはいつをまつとか人のみるらん
ある人さまかへて、仁和寺のおくなる所にすむときゝて、まかりてたつねけれは、あからさまに京へいてぬときゝて、むなしくかへりにけり、そのゝち又人つかはして、かくなん参りたりしと申たりける、返事、
たちよりて柴のけふりのあはれさをいかゝおもひしふゆの山郷
返事
山郷をしはのけふりのたちなから心はかりはすみかへりうき
またこのうたも、そへられたりけり、
おしからぬみを捨やらて古郷になかきやみにや又まよひなん
返事
かく行ひあるく程に、新院和歌を御このみ有とて、中院右大臣の御奉行にて、恋百首をめされけり、勅宣背かたきか故に、六首の歌をつらねて、まひらせあけたりけり、
なにとなくさすかにおしき命かなありへは人やおもひしるやモと て
数ならぬ心のとかになしはてゝしらせてこそはみをもうらみめ
思ひしる人ありあけのよなりせはつきせす物はおもはさらまし
おも影のわすられましき別れかななこりを人の月にとゝめて
うとくなる人をなにとて恨むらんしられすしらぬおりもモし ありしに
いまそしる思ひ出よと契りしはわすれんとてのなさけなりけり
あひたのみたる人の、あすまのかたへくたりける本へつかはしける、
きみいなは月まつとてもなかめやらん東のかたの夕くれの空
四国のかたへ修行せんとおもひたちけるに、加茂社にまいりて、いとま申とて、御幣なとまいらせて、又かへらん事もいかゝと、あはれにおもひて、仁安二年十月十日のことなりけり、月のくまなかりけるに、このたひはかりとおほえて、なみたもとゝまらすあはれにて、
かしこまるしてに涙のかゝるかなモそかゝりける またいつかはと思ふあはれに
そのころ侍従大納言のもとへ申をくりける、
嵐ふく峰の木の葉にともなひていつちうかるゝこゝろなるらん
返事
なにとなくおつる本の乗も吹風にちりゆく方をしられやはせんモせやはする 【 NDLJP:82】待賢門院の女房中納言のつほね、よをのかれて、おく(小くらモ)やまのふもとに、いほりをむすひてすみけるところへ、まかりてみれは、まことにことからいふに、あはれなりけり、かけひのみつこゝろほそく、風のおとさへものあはれにおほえて、この人よにありしときは、みめことからよにすくれて、人の心をつくし給き、されとも引替て、くろかみにつもるゆき、まゆにかゝるしも、おもてにたヽむなみ、あらぬさまにみえて、こきすみ染のすかたあはれなり、
山おろす嵐のをとのはけしさをいつならひける君かすみかそ
このうたをみて、おなしゐんの女房兵衛のつほね、
うきよには嵐の風にさそはれていへをいてにしすみかとそみる
をくらやまをみわたせは、こすえけはしく、きり立まかひて、こゝろほそくみえけれは、
雲かゝる遠山はたの秋されはおもひやるたにかなしきものを
天王寺へまいりけるみちにて、あめの降けれは、江口のきみかもとにやとをかりけるに、かさゝりけれは、きみのならひ、せい〳〵たるものにこそやとはかせ、たゝ一人まとひありく入道なれは、かさぬもことはりなりとはちしめて、
世の中をいとふまてこそかたからめかりのやとりを惜む君かな
返事
世をいとふ人としきけはかりの宿に心とむなとおもふはかりそ
新院あらぬさまにならせおはしまして、御くしをろして、仁和寺におはしましけるに、月くまなかりけるに、
かゝるよにかけもかはらす住月をみる我さへにうらめしきかな
すてにさぬきのくにへ、ことやうにて下らせ給きてのち、よの中に、うたなとよむことたえてきかさりけれは、寂念かもとへつかはしける、
ことのはのなさけたえぬる折ふしにありあふ身こそ悲かりけれ
返事
敷島やたえぬなみちになく〳〵も君とのみこそあとをしのはめ
天王寺にこもりて、讃岐へくたらせ給はんとするを、としころのとうきやう、あなかちにわかれをゝしみて、なきかなしみけれは、なくさむるたよりに、
たのめおかむ君も心や慰むとかへらんことはいつとなくとも
みやこのほかも、月はくまなかりけりとて、
月の色に心をきよく染ましやみやこをいてぬ我みなりせは
さぬきにて、御心ひきかへて、のちの御つとめ、ひまなくせさせおはしますときゝて、年来しりたる女房のもとへ、
世の中をそむくたよりやなからまし憂おりふしに君かあはすは
新院かくれさせ給てのち、四五年はかりありて、さぬきのまつやまのつといふところにつきて、故院のおはしましけむ所たつねけれとも、かたもみえさりけれは、あはれにおほえて、
【 NDLJP:83】 松山のなみになかれてよる舟のやかてむなしくなりにけるかな
松山のなみの心はかはらしをかたなくきみはなりましにけり
さてしろみねと申所に、御はかの侍けるに、まひりてみれは、そのあとゝもみえす、むくらおひしけりて、いつこそ人かよひたりともみえさりけれは、そのかみ御くらゐの時、一天四海をなひかして、百官のつかさに囲繞せられて、関白大臣いさゝかも勅定をそむかしとおそれ、ことはの御まなしりにかゝらんと、出仕の人々はいのり誦経せしそかし、いまは仏法の名字もきかぬ山の中に、虎狼野干をときにて、かたはかりの御すみか、あはれになみたおさへかたし、
よしや君むかしの玉のゆかとてもかゝらむ後はなにゝかはせん
同国善通寺と申て、弘法大師むまれさせ給たりける所に、心とまりていほりをむすひて、二三年すみ侍りけり、大師の御あたりなれは、はなれかたくおほえて、
今よりはいとはし命あれはこそかゝるすまひのあはれをもしれ
いほりのつまに、松の木のありけるに、松ものいひせは、いか計なる契せましと、あはれにて、
こゝを又我かすみうくてうかれなはまつは独にならんとすらん
すてにあか月たちいてにけるに、此まつにかくそちきり、かき付ける、
ひさにへてわか後のよをとへよ松あとしのふへき人もなき身そ
みやこの内に、むかしゆかりある所にとゝまりて、こしかた行末の物語ともして、袖をしほりける、あるし申ていはく、さてもさはかりいとをしかり給し、姫君のことのあはれさよ、御出家の後、その日のうちに御前はさまかへて、一二年は姫君と京におはしまし侍しに、九条の民部卿のむすめ冷泉殿と申人、わかこにしまいらせて、よにいとほしくせさせ給ひしかは、母は高野のあまのにをこなひて、此十七年は、人たにかよはさせて侍りしに、このほとは、冷泉殿のむかふはらのむすめに、播磨三位と申人をむこにとり給たるに、このあねこせんは、上臈女房にまひらせて侍る、あけくれはおこなひのみして、神仏に、今生て、父の行衛しらせ給へと申て、なくよりほかのこと侍らすとかたりけれは、西行なみたくみて、きゝいれぬさまにもてなして、いかゝおもひけん、其つきの日冷泉殿のそはなるこいへにまかりて、あるしをかたらひて、このむすめをよひけれは、むすめはわかちゝこそ、道心をおこしたるとはきけとて、いてゝみれは、見もならはぬこきすみそめの衣に、やせ〳〵となるすかたを、さはわかちゝかとおもふに、なみたもとゝまらすみるほとに、西行ありしつちあそひのすかたにはおもひかはりて、けたかくいみしくみゆ、西行むすめにいふやう、としころはゆくえもあらさりしに、けふこそいみたてまつれ、おやとなり、ことなるは、先世の契りなり、わか申さむこときゝて給てむやといへは、おやにておはしませは、いかてかたかへまいらせさふらはんといふ、うれしとおもひて、いとけなかりしときより、心計いやしからすもてなしかしつき思て、院うちへもまひらせ、いかにもと思ひしに、我身かくなりてあ【 NDLJP:84】れとも、心のみたるゝことは、御ゆへなり、さしもなき、みやつかへよしなし、人にあなつらるゝことなり、此よはゆめまほろしのことし、けふある物はあすはなし、さかりのかたちおひおとろふることほとなし、たゝあまになりて、母にともなひて、後世をとり給へ、極楽にまいりてむかへんと申けれは、このむすめしはしあんして、うれしき事なり、父母にもそひまいらせぬ身なれは、いかなるひまもかな、さまかへてんとおもひさふらふに、しか〳〵の日、めのとのもとへそこ〳〵と契りてかへり給ぬ、その日になりぬれは、かみなとあらひてまつほとに、車よせていてんとする時、しはしとてかへりいりて、冷泉殿をつく〳〵とまほりて、なみたくみていてにけり、さてまちかねて、人をむかへにやりたれは、はやくさまかへていて給ぬと聞て、冷泉殿はなきかなしみて、このちこの六のとしより、けふいまゝて、かたときたちはなることなかりしにと、うらみけり、たゝしいてさまにまほりしことのみそ、さすかとなみたをなかしけり、さて西行はかくそなかめける、
消にける本のしつくをおもふにもたれかはすゑの露の身ならぬ
西行むすめをむかへとりて、たけなるかみをゆひわけて、出家をとけ申言、我在俗のむかし、せいろをわしりて、地獄のすみかをたつね、出仕橋慢のほこをよろひて、衣のたまをしらす、妻子のむつひ、珍宝のたくはへに心ひかれて、火宅の家をいてす、はなはつゐに風にさそはれ、月はいてゝ又あか月の雲にかくる、昨日むくひし人今日はなし、風前のともしひ、いなつまかけらふのことし、いつるいきは入いきをまたす、夢まほろしのたくひと観して、頂燃を払捨て、つゐに出家をとけてのち、山林流浪発心頭陀施行のおもひに住すといへとも、凡夫は苦のみなれは、汝に愛着の心はなれす、かるかゆへに等活黒縄の底へおちむとす、ねかはくはすてに出家をとけ給へるをみつれは、今生ののそみたんぬへし、人めには女人なれとも、当来の仏子なり、つねにこの文を観し給へし、極重悪人、無他方便、唯称弥陁、得生彼国(極楽モ)、若有重業障、無生浄土因、乗弥陁願力、必生安楽国、高野山は、弘法大師入定の勝地、弥勒慈尊下生の仏土也、ひとたひあゆみをはこひて、かのちをふむともから、なかく三途の苦患をはなれて、上品上生にむまるゝと、たしかに御筆にかきおきたまひたれは、かのやまのふもと、あまのゝ別所に、母の本へおはして、後世をそ終へし、このよにてあひみえまひらせんことは、けふはかりなり、只今臨終最後の十念の教化とおほえて、なく〳〵申せは、尼なみたをなかしていはく、我身五歳のとし父にはなれ、七歳のとし母にはなれて、中有のやみにまよひて、人のめいをたかへし、人をおそろしとおもひて、あかしくらし侍き、十二三のとしより身のほとおもひしられて、出家のこゝろさしふかく侍き、いまさいはひに、その思ひをとけ侍れは、二世の望みかなひ侍ぬ、これ父の恩をかうふれり須弥のことく、くらにたからをつみて給はりても、一旦のゆめ、後生に我身にしたかふへきか、いまの要文教化のことはを、浄土のしるへとたのみ侍て、かならす三人一同の、はちすの身となり侍へしと申て、たかひになみたをなかし、東西へわかれけるこそあはれにみえけれ、さてならはぬこゝろに、このあま高野をたつねゆけは、みる人なみたを【 NDLJP:85】なかさぬはなかりけり、つゐに母のもとにたつね行て、ともにおこなひけるありさまこそ、あはれにみえけれ、さて西行は諸事心易くおもひて、道にかくそ詠ける、
のかれなく遂に往へき道をさへしらてはいかゝすくへかりける
月を見て心みたれしいにしへの秋にもさらにめくり逢けり
其後大原のおくにこもりて、おこなひけるに、かけひのあか水も、春にならてえくましと申あひけるに、春になりたれとも、いつとくへしともみえさりけれは、
大原はひらのたかねのちかけれは雪ふるほとをおもひこそやれ
わりなしやこほるかけひの水ゆへに思ひすてゝし春のまたるゝ
山路こそ雪の下水とけさらめ都の空ははるめへぬらん
白河のはなみんとおもひていてたるに、あめのふりけれとも、花のしたに車をたてゝなかめける人の、やさしくおほえて申つかはしける、
ぬるともと花をたのみて思ひけん人のあとふむけふにも有かな
郭公の歌ともよみけるに、待賢門院女房堀河殿御局のもとより、かく申遣したりける、
此世にてかたらひおかむ郭公しての山路のしるへともなれ
返事
郭公なく〳〵こそはかたらはめしての山路に君しかゝらは
一院かくれさせ給て、やかての所へ御さうそうの夜、高野よりおもはすにまいりあひたりけるに、そのかみ左大将実能の大納言にてのとき、つゐの所御覧しに御幸なりける御供し給ひけるか、又其夜の御供もゑ給けるを見て、
今宵こそおもひしらるれ浅からぬ君に契りの我身なりけり
おさめまいらせける所をみけれは、あまりにかなしくて、
みち替御幸かなしきこよひかなかきりの旅とみるにつけても
おさめまひらせてのち、御供にさふらいれける人々、みなかへりけれとも、一人のこりて、後世のとふらひ申さむとて、あくるまて候けるに、よめる、
あはれやとおもひよりてそなけかまし昔なからの我身なりせは
しつかにおもひみれは、生年廿五歳のとし、仙洞の北面をいてゝ、にはかに妻子をすて、花の袂をぬきすてゝ、あさのころもをかさね、仏前のゆかにむかひて、つひにたふさをきりて、かりのやとりをいてゝ、はるかに深山のほらに住し、観念の心を八功徳地にすまして、つねに安養界をねかひ、のちに諸国流浪の頭陀、山林の行をたてヽ、法花般若真言念仏、人の機にしたかひてすゝめ、衆生平等、一仏浄土のおもひをなして、慈悲のたもとをしほり、忍辱の衣を染ては西に行く心をしのひて、五十余年をすきぬるゆめ、年々歳々花相似、歳々年々人不㆑同、人一日一夜のうちに、八億四千万のおもひあり、これらの懺悔、六情根のために、三十一字のやまとこと葉をくちすさむる、これ悪心の心をわすれて、仏道成就のゆへなり、東よりいてゝ西へなかるゝ月をみては、浄土のみちのしるへとおもひ、春の花秋の紅葉の風にさ【 NDLJP:86】そはれ、夏のうつせみ、冬の野のすゝき、ものいはすして、生死の無常ををしへ、心すまさぬ時なくして、よはひすてに八十になりて、いたゝきに雪山をつきて、寒苦鳥をなかせ、ひたひには老苦四海の浪きひしくたゝみて、行歩心にかなはすといへとも、双林寺東山辺にいほりをむすひて、観念のまとのうちに、三明の月のひかりをともとして、ねふることなし、堂寺のみきりの花のさかりをまちえて、釈迦如来入滅の日、二月十五日のあしたに往生をとけんと思ひて、かくなんよみける、
ねかはくは花のもとにて春しなむそのきさらきのもちつきの頃
常に此歌を詠して、つゐに建久九年二月十五日、ねかひのことく正念に住して、かの花のもとにて、西方にむかひて、○(物語有若人散乱心、乃至以一花、供養於画像、漸見無教仏、二十字)於此念終即往安楽世界阿弥陁仏大菩薩囲饒住所と誦してかくそよみける、
仏にはさくらの花をたてまつれわか後のよを人とふらはゝ
最後百遍の念仏を申て、そらに伎楽のこゑきこえ紫雲たなひき、廿五の菩薩蓮台をかたむけて、往生をとけてけり、西行か夫妻あまは、男にはまさりたる心つよきものにて、廿三のとしかみをおろして、高野のあまのにこもりしよりのち、おひしたしき人のもとより、ふみつかはしけれとも、返事する事もなくて、常に無言にておこなひ、このむすめのあまを善知識にして、おはりのときおほえて、念仏申て、異香室にみちて、おはりにけり、又むすめのあまは、父母にもまさりたりける心つよきものにて、一生不犯の身にて、正治二年のころ、紫雲たなひきて、往生をとけてけり、されはつゐに三人おなしはちすの身となりたる事のめてたき、あはれにたうとくおほえける、そのころみやこに歌人のなかぬはなかりけり、其中に左近中将定家朝臣、菩提院の三位中将のもとへ、西行往生の事を申けるに、
もち月のころはたかはぬ安なれとモは きえけむ雲のゆくゑかなしもモな
返事公衡
紫の色ときくにそなくさむるきえけん雲はかなしけれとも
其次のとしの二月十五日、西行住ける伊勢国の花を見て、沙弥宿念行そんかもとへ申遣しける社、哀におほえけれ、
なかめけん人そこひしき桜花このきさらきのころときくにも
返事
なきあとの花に契りしきさらきのなかはの月もにしへ行かな
此西行一生涯草紙原分六巻今為一巻水戸彰考舘旧蔵本也巻中有蠧蝕有錯簡殆不可通読也校之塙氏続群書類従所収西行物語大同而稍異者就其同者補欠字正行文始可以読也其字句有小異者措不問也如通行俗本物語本亦棄不技也若夫藤貞幹好古小録所言西行物語四巻画相保一巻存三巻不伝者恐指西行上人絵詞乎不然我輩未見其欠本也
明治十六年十二月 近藤瓶城識
明治三十四年十月以物語本(モ印)再校了 近藤圭造
この著作物は、1901年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)80年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。