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故・市川猿翁さん(歌舞伎俳優)風雲児、闘魂の人
追想録
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浅間山を望む軽井沢の稽古場には、古書がぎっしりあった。慶大在学中に学んだ江戸文化を研究し続け、自らの沢瀉(おもだか)屋一門とその復興を試みる実験室だったのだろう。風雲児、革命児と呼ばれた人は頭脳と身体、双方をフル稼働する芝居の鬼だった。
明治以降は敬遠されていた宙乗りを復活させた。本名の喜熨斗をもじって「きのし大サーカス」と揶揄(やゆ)されたが、本人はケレンの芸こそ歌舞伎の本質という思いだった...