岡山大学病院
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岡山大学病院(おかやまだいがくびょういん)は、岡山県岡山市北区にある国立大学法人岡山大学の附属大学病院である。病床数は855床。2014年の患者数は、医科外来462,336名、歯科外来162,438名、医科入院244,513名、歯科入院6,709名である[1]。
注釈
出典
- ^ a b c 三代冬彦 著「第12章 大学附属病院」、日本歯科医学教育学会白書作成委員会 委員長桑田文幸 委員 葛西一貴、佐藤裕二、田口則宏、田中昭男、沼部幸博 編『歯科医学教育白書2014年版(2012~2014年)』(第1版)口腔保健協会、東京都豊島区〈日本歯科医学教育学会雑誌別冊〉、2015年12月20日、139-145頁。ISBN 978-4-89605-315-9。 NCID BB01485336。
- ^ “岡山大学医療系キャンパス概要2010 「沿革」”. 岡山大学. 2013年4月28日閲覧。
- ^ “岡山大病院の総合診療棟竣工”. 山陽新聞 「岡山医療ガイド」 (山陽新聞社). (2013年4月21日) 2013年4月28日閲覧。
- ^ “岡山大病院に小児放射線科 大学病院で初の新設”. 山陽新聞. (2013年12月2日) 2013年12月2日閲覧。
- ^ a b c d e f “先進医療を実施している医療機関の一覧”. 先進医療の概要について. 厚生労働省 (2016年1月1日). 2016年2月14日閲覧。
- ^ “岡山県救急医療情報システム「おかやま医療情報ネット」”. 岡山県. 2020年8月6日閲覧。
- ^ “病院評価結果の情報提供”. 公益財団法人日本医療機能評価機構. 2020年8月6日閲覧。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、128頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 「放射能を照射中の患者 病院内で野放し コバルト針 看護婦素手で処理」『朝日新聞』昭和47年(1972年)6月25日朝刊、13版、3面
- ^ “岡山大男性研修医を懲戒 他病院研修医の顔蹴る”. 時事通信 2021年01月14日17時41分. 2021年1月18日閲覧。
- ^ “岡山大病院の研修医、他病院の研修医を蹴る コロナ禍、集団で夜の会食中 停職処分に”. 山陽新聞 2021/1/14(木) 20:05. 2021年1月18日閲覧。
- 1 岡山大学病院とは
- 2 岡山大学病院の概要
- 3 診療科
- 4 交通アクセス
岡山大学医学部附属病院
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主治医の田尻はヒステリーとされた診断に到底納得がいかず、以前断られた岡山大学医学部附属病院へ改めて相談を持ち掛け、N農婦の検診と観察を願い出た。田尻と阪大微研病院との間を取り持った二国は、微研病院長の芝から、その扱いについて一任された「臨床報告書」を持って同年7月に岡山の田尻の元を訪れた。ところが内密に行われたはずのこの訪問を嗅ぎつけた読売新聞が、二国の同意を得ないまま同年8月5日付の同紙紙面で、二国と田尻が対立しているかのように書かれた記事を掲載してしまい、この結果、二国は綿ふき病の諸問題から手を引かざるを得なくなってしまう。二国は不本意のうちに調査の継続を中断し、3年後の1969年(昭和44年)3月に大阪大学を定年退職することになった。 一方の田尻は嫌がるN農婦を説得しつつ、岡山大学への協力要請を根気強く続け、N農婦が大阪から戻された約3か月後の7月29日、岡山市にある岡山大学医学部附属病院(現岡山大学病院)の外科へ入院させた。この頃になると綿の排出は入院当初と比べかなり減ってきており、自然治癒が近づいていると感じた田尻は、これが黒白つける最後の機会になるだろうと考えたという。 岡山大附属病院での入院期間は約7か月間と、思いのほか長期間におよぶことになった。入院後しばらくの間は毎日5束から10束ほどの綿を排出し、尿中にも少量の綿が認められた。最も盛んに綿が排出する左下腿の創口を8月25日にギプス包帯で巻き、これを毎日巻き替えると3日後から綿の排出が1束から2束程度に減少、そして無排出の日が多くなっていき、この創口は快癒した。10月26日にギプス包帯を止めてからは15日間隔でしか綿の排出が確認されなくなったものの、相変わらず尿中からは微量の綿が確認された。 やがて綿の排出が止まり、年が明けた1967年(昭和42年)2月19日、N農婦は快癒したと判断され退院することになり美作の自宅へ帰宅した。田尻の元へ訪れてから約10年後のことであり、これ以降、N農婦の医療機関への入院記録はない。 こうしてついに、綿ふき病とされる奇病は調査研究の手掛かりを失い、無尿期間と綿排出頻度との関連性調査の進展は言うに及ばず、物理的な調査の継続、真の意味での原因を確かめることは出来なくなった。綿ふき病の存在を信じた田尻と増田も「詐病」という言葉は刺激的であるので、科学的とは言えない玉虫色の曖昧な表現ではあるが「体内生産は疑わしい」という記述が好ましい、との結論に達した。 慶應義塾大学名誉教授の小林忠義は、本来であれば権威ある第三者の機関が充分な頭脳と施設を以って批判してくれることが望ましいが、いざ、自分がその立場になり生じることとなる、いわゆるestablished〔ママ〕の側として、万一の権威の失墜をおそれ、多くの学者はこの種の話題に深入りしたがらないのだと、綿ふき病問題の根深さを指摘している。
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