東東洋
東東洋
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東 東洋(あずま とうよう、宝暦5年(1755年) - 天保10年11月23日(1839年12月28日))は、江戸時代中期から後期の絵師。幼名は俊太郎、のち儀蔵。姓・氏は東、名・通称は洋。よって本来は単に「東洋」とするべきだが、本項目では一般的な表記である「東東洋」を採用している(後述)。字は大洋。最初の号は、玉河(玉峨)で、別号に白鹿洞。
- ^ 沼津原宿の素封家で、円山派一門と交流が深かった植松家に残る史料より(沼津市史編集委員会編 『原宿植松家日記・見聞雑記』沼津市教育委員会〈沼津市史叢書 3〉、1995年。三浦(2005)pp.23-24)。
- ^ 三浦(2005)pp.78-80。
- ^ 高岡市立博物館編集・発行 『企画展 高岡の絵師 ─堀川敬周とその弟子たち─』2003年7月12日。
- ^ a b 内山淳一 「守景の風景―「四季耕作図」と「納涼図」が語るもの」『国華』第1442号、2015年12月20日、p.11。
- ^ 仙台市博物館編集・発行 『特別展図録 伊達政宗―生誕450年記念』 2017年10月7日、第108図。
- ^ 京都文化博物館学芸第一課編集 『京都文化博物館開館10周年記念特別展 京(みやこ)の絵師は百花繚乱 「平安人物志」にみる江戸時代の京都画壇』 京都文化博物館、1998年10月2日、pp.118-119。
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