「東桜島町」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
m編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{Pathnav|日本|鹿児島県|鹿児島市|frame=1}} |
{{Pathnav|日本|鹿児島県|鹿児島市|frame=1}} |
||
[[ファイル:Sakurajima Map J.jpg|thumb| |
[[ファイル:Sakurajima Map J.jpg|thumb|300px|桜島内の地名と山の地図]] |
||
'''東桜島町'''(ひがしさくらじまちょう Higashisakurajima-Chō)は、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]にある[[町丁|町名]]。旧[[北大隅郡]][[東桜島村]]'''湯之'''。[[郵便番号]]は891-1543。人口は534人、世帯数は250世帯(2010年2月末現在)<ref>[http://www.city.kagoshima.lg.jp/_1010/shimin/7siseijouhou/7-15tokei.html 統計情報] - 鹿児島市ホームページ。</ref>。 |
'''東桜島町'''(ひがしさくらじまちょう Higashisakurajima-Chō)は、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]にある[[町丁|町名]]。旧[[北大隅郡]][[東桜島村]]'''湯之'''。[[郵便番号]]は891-1543。人口は534人、世帯数は250世帯(2010年2月末現在)<ref>[http://www.city.kagoshima.lg.jp/_1010/shimin/7siseijouhou/7-15tokei.html 統計情報] - 鹿児島市ホームページ。</ref>。 |
||
9行目: | 9行目: | ||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
東桜島町は鹿児島市に編入される[[1950年]]以前は湯之と称しており、湯之という地名は江戸期より見え、[[大隅国]][[大隅郡]]桜島[[外城制|郷]]であった。村高は「天保郷帳」では64石余、「旧高旧領」では98石余であった。安永大噴火では甚大な被害を受け住民は鹿児島、磯、脇元、重富などに避難した。大噴火が終わったのちも噴火口に近いため湯之村の住民の帰島が遅れたという。[[1887年]](明治20年)に[[北大隅郡]]の管轄となった。 |
東桜島町は東桜島村が鹿児島市に編入される[[1950年]]以前は湯之と称しており、湯之という地名は江戸期より見え、[[大隅国]][[大隅郡]]桜島[[外城制|郷]]であった。村高は「天保郷帳」では64石余、「旧高旧領」では98石余であった。安永大噴火では甚大な被害を受け住民は鹿児島、磯、脇元、重富などに避難した。大噴火が終わったのちも噴火口に近いため湯之村の住民の帰島が遅れたという。[[1887年]](明治20年)に[[北大隅郡]]の管轄となった。 |
||
[[1889年]](明治22年)に東桜島村となり、東桜島村の大字「'''湯之'''」となった。[[1950年]](昭和25年)に東桜島村が[[鹿児島市]]に編入されるに伴い、湯之から「'''東桜島町'''」に改称した<ref>『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.646</ref>。 |
[[1889年]](明治22年)に東桜島村となり、東桜島村の大字「'''湯之'''」となった。[[1950年]](昭和25年)に東桜島村が[[鹿児島市]]に編入されるに伴い、湯之から「'''東桜島町'''」に改称した<ref>『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.646</ref>。 |
2011年1月15日 (土) 03:51時点における版
東桜島町(ひがしさくらじまちょう Higashisakurajima-Chō)は、鹿児島県鹿児島市にある町名。旧北大隅郡東桜島村湯之。郵便番号は891-1543。人口は534人、世帯数は250世帯(2010年2月末現在)[1]。
地理
桜島の南部に位置する。町域の北方及び東方に持木町、東方に古里町が所在し南方には鹿児島湾が接している。町域の南端を国道224号が東西に通っている。
町域の西部には鹿児島市役所東桜島支所、鹿児島市立東桜島中学校、鹿児島市立東桜島小学校などがあり、1950年に東桜島村が鹿児島市に編入される以前は村役場が所在しており、東桜島村の中心であった。
歴史
東桜島町は東桜島村が鹿児島市に編入される1950年以前は湯之と称しており、湯之という地名は江戸期より見え、大隅国大隅郡桜島郷であった。村高は「天保郷帳」では64石余、「旧高旧領」では98石余であった。安永大噴火では甚大な被害を受け住民は鹿児島、磯、脇元、重富などに避難した。大噴火が終わったのちも噴火口に近いため湯之村の住民の帰島が遅れたという。1887年(明治20年)に北大隅郡の管轄となった。
1889年(明治22年)に東桜島村となり、東桜島村の大字「湯之」となった。1950年(昭和25年)に東桜島村が鹿児島市に編入されるに伴い、湯之から「東桜島町」に改称した[2]。
施設
- 公共
- 湾港
- 湯之持木港
- 教育
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[3]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
東桜島町 | 全域 | 鹿児島市立東桜島小学校 | 鹿児島市立東桜島中学校 |
交通
道路
- 国道