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同年12月14日、[[第47回衆議院議員総選挙]]に比例東海ブロックへ次世代の党から単独立候補1位として出馬したが、落選した。選挙後、太陽の党に移籍した[[園田博之]]に代わり党顧問に就任した。 |
同年12月14日、[[第47回衆議院議員総選挙]]に比例東海ブロックへ次世代の党から単独立候補1位として出馬したが、落選した。選挙後、太陽の党に移籍した[[園田博之]]に代わり党顧問に就任した。 |
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[[2015年]][[9月28日]]、自民党岐阜県連に復党願を提出し、同日開かれた幹部会で復党が決定された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS28H8J_Y5A920C1000000/ 自民の岐阜県連が藤井氏復党容認 次世代を離党] 日本経済新聞 2015年9月28日</ref>。 |
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== 政策 == |
== 政策 == |
2015年10月31日 (土) 02:04時点における版
藤井 孝男 ふじい たかお | |
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生年月日 | 1943年3月14日(81歳) |
出生地 | 東京府 |
出身校 | 成城大学経済学部卒業 |
前職 |
アラビア石油従業員 政治家秘書 |
現職 |
全国治水砂防協会理事 岐阜県ラグビーフットボール協会会長 日本プロテニス協会会長 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) (自由民主党→) (たちあがれ日本→) (太陽の党→) (日本維新の会→) (次世代の党→) 自由民主党 |
称号 | 経済学士(成城大学・1965年) |
親族 | 藤井丙午(父) |
公式サイト | 次世代の党 藤井たかお |
第73代 運輸大臣 | |
内閣 | 第2次橋本改造内閣 |
在任期間 | 1997年9月11日 - 1998年7月30日 |
選挙区 |
(旧岐阜2区→) (岐阜4区→) (比例東海ブロック→) (岐阜4区→) 比例東海ブロック |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1993年7月 - 2005年8月8日 2012年12月21日[1] - 2014年11月21日 |
選挙区 | 岐阜県選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1981年2月1日 - 1993年6月18日 2007年7月 - 2012年12月4日 |
藤井 孝男(ふじい たかお、1943年3月14日 - )は、日本の政治家。社団法人全国治水砂防協会理事、元社団法人日本プロテニス協会会長。
参議院議員(4期)、参議院大蔵委員長、運輸大臣(第73代)、衆議院議員(5期)、衆議院議院運営委員長、衆議院予算委員長、参議院懲罰委員長、たちあがれ日本・太陽の党参議院代表、日本維新の会国会議員団総務会長兼選挙対策委員長、次世代の党顧問・総務会長兼選挙対策委員長などを歴任。
来歴・人物
生い立ち
1943年、東京府(のちの東京都)にて、新日本製鐵副社長や参議院議員をつとめた藤井丙午の三男として生まれた。岐阜県白川町出身。
1965年3月、成城大学経済学部卒業。同年4月、アラビア石油株式会社入社。1971年より2年間カタール石油株式会社に出向し、アラビア半島カタール国で石油開発事業に従事。1973年、アラビア石油株式会社に復帰し、水野惣平社長秘書として勤務。
12年間のサラリーマン生活を経て、1977年に退社し父である参議院議員・丙午の秘書となる[要出典]。
自民党時代
1981年、父・藤井丙午の死去により、参議院岐阜県選挙区補欠選挙に自民党新人として立候補し初当選。1986年7月の参議院議員2期目当選、第3次中曽根内閣で大蔵政務次官。1992年7月に参議院議員3期目当選を果たし、参議院自民党国会対策委員長等の要職を歴任した。1993年6月、参議院議員を辞職し、同年7月の第40回衆議院議員総選挙に旧岐阜2区から鞍替え出馬、衆議院議員に当選する。以後4期連続当選。ただし、1996年の小選挙区制導入後は岐阜4区で重複する同じ自民党の金子一義とコスタリカ方式をとり、2000年の第42回衆議院議員総選挙では比例東海ブロックから比例区のみでの立候補者として自民党の1位(単独)で当選した。
1997年9月の[[第2次橋本内閣 (改造)|第2次橋本改造内閣で運輸大臣に就任。衆議院議院運営委員長には、ゼネコン汚職事件で二審有罪判決(懲役1年6ヶ月・追徴金1000万円)が出た中村喜四郎への議員辞職勧告決議の本会議上程の採決が2001年5月18日に委員会で可否同数になった時、委員長決裁で否決とした。
予算委員長などを歴任する。2003年9月には野中広務の支援により、現職の総裁・小泉純一郎の再選を阻止するため、橋本派(平成研究会)の候補として党総裁選に立候補する。しかし、橋本派では藤井の兄貴分である村岡兼造や、参議院の実力者である青木幹雄らが小泉再選を支持し、派閥が分裂、小泉に敗れた。その後の人事で金子が閣僚に就任したことは、小泉による藤井の総裁選出馬への意趣返しとも言われた[要出典]。
郵政国会以降
2005年7月5日、郵政国会で反対票を投じた。このため同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自由民主党の公認を得られず無所属で出馬。同党公認で出馬した金子に惜敗。その後自民党から正式に離党勧告処分が下り、離党する(野田聖子・佐藤ゆかり・金子一義・古屋圭司・松田岩夫の項も参照)。
2006年11月、「自由民主党に復党し、2007年の参議院選挙に出馬し、参議院に鞍替えする」と報道されたが、郵政造反組復党問題に絡み現職議員以外の復党は参院選終了後まで認めないと党は決定したため、結局無所属で自民党の推薦を受けて出馬することとなった[要出典]。一方で2007年3月、同じく参院選比例区に出馬する郵政落選組の衛藤晟一の復党が認められたため、藤井と処遇が違うので、整合性に党内から批判が出た[要出典]。
2人区の岐阜県選挙区の2007年改選の議員に大野つや子がいたために、自民党岐阜県連は大野を公認候補とし、藤井を推薦候補としようとしたが、同士討ちが予想されたため大野が反発。しかし、2月に大野が2007年参議院選挙に立候補をせずに引退することを表明したため、岐阜県選挙区の与党系候補は藤井に統一された。2007年参議院選挙では、農村・山間部の保守層を中心に支持を集め、トップ当選。同年8月1日、自民党は、2007年参議院議員選挙で大敗したため欠員が生じている同党の党紀委員会の審査を経ずに、委員長・笹川尭の職権で仮復党を認めた。同年9月7日、党紀委員会で正式に復党が認められ、古巣の津島派に復帰した。2009年9月、参議院懲罰委員長に就任。
自民党離党後
2010年4月8日、自民党総裁の谷垣禎一に直接会って離党届を提出し、同年4月10日に結党されたたちあがれ日本に参加、党参議院会長に就任。自民党会派を離脱したことを受けて、同年4月14日に参議院懲罰委員長を辞任した。自民党宛の離党届は同年4月27日の党紀委員会で了承された。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙において参議院議員から鞍替えし、比例東海ブロックの日本維新の会からの出馬を表明した[2]。
同年12月4日、第46回衆議院議員総選挙の公示を受けて比例東海ブロックへ日本維新の会から単独立候補1位として出馬し、公職選挙法の規定により参議院議員を退職(失職)。選挙の結果、衆議院議員に当選した。維新では国会議員団総務会長兼国会議員団選挙対策委員長を務めた。なお、日本維新の会執行役員で総務会長を務めていた大阪府議会議員の東徹は2013年の参議院議員選挙で当選し、参議院議員となったが、国会議員団総務会長は引き続き藤井が務めた。
2014年日本維新の会分党にともない次世代の党に参加。同党総務会長、選挙対策委員長に就任した。
同年12月14日、第47回衆議院議員総選挙に比例東海ブロックへ次世代の党から単独立候補1位として出馬したが、落選した。選挙後、太陽の党に移籍した園田博之に代わり党顧問に就任した。
2015年9月28日、自民党岐阜県連に復党願を提出し、同日開かれた幹部会で復党が決定された[3]。
政策
- 憲法9条の改正に賛成[4]。
- 集団的自衛権の行使に賛成[4]。
- 「道徳」を小中学校の授業で教える事に賛成[4]。
- カジノの解禁に賛成[4]。
- 原発は日本に必要としている[4]。
- 首相の靖国神社参拝を問題ないとしている[4]。
- 「村山談話」及び「河野談話」を見直すべきとしている[4]。
- 特定秘密保護法を必要としている[4]。
- 国民の負担を増やしてでも年金の給付を維持すべきしている[4]。
- ヘイトスピーチを法律で規制することに賛成[4]。
- 選択的夫婦別姓制度に反対[5]。
- 2011年11月7日、「TPP交渉参加に慎重な対応を求める議員集会」に出席した[6]。
政治資金
- 日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていると報じられたが、本人は無回答である[7]。
- 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[8]。
- 準大手ゼネコンの西松建設から、同社のOBらを代表とした政治団体(『新政治問題研究会』・『未来産業研究会』)を通して多額の政治献金を受けていた[9]。藤井側は「法律上問題なら返還を検討する」としている[10]。
主な所属団体・議員連盟
- 日蘭議員連盟(会長)
- 与党・イスラム議員連盟(会長)
- 日本・ポルトガル友好議員連盟(幹事長)
- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(常任幹事・実行委員長代理)
- 日華議員懇談会(幹事長)
- 自然災害から国民を守る国会議員の会(会長)
- 岐阜県ラグビーフットボール協会(会長)
- 岐阜県カヌー協会(名誉会長)
- 日本プロテニス協会(会長)
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 国際観光産業振興議員連盟
脚注
- ^ 平成24年(2012年)12月21日中央選挙管理会告示第37号(平成二十四年十二月十六日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件)
- ^ 中日新聞:藤井参院議員がくら替え出馬 維新、東海比例単独で:政治(CHUNICHI Web)
- ^ 自民の岐阜県連が藤井氏復党容認 次世代を離党 日本経済新聞 2015年9月28日
- ^ a b c d e f g h i j 2014衆院選 東海ブロック 藤井 孝男 - 毎日新聞
- ^ 第174回国会 法務委員会 請願 1553号
- ^ IWJ Independent Web Journal 2011/11/07 TPP交渉参加に慎重な対応を求める議員集会
- ^ しんぶん赤旗 2003年9月12日 パーティ券リストの面々
- ^ http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm
- ^ 裏金疑惑の西松建設 関連政治団体政界に4億2000万円 森・二階・小沢氏ら しんぶん赤旗 2008年12月21日(2009年3月12日閲覧)
- ^ 西松建設献金事件:14議員らに6360万円 大半「認識なし」--04~06年計 毎日新聞 東京朝刊 2009年3月15日
関連項目
外部リンク
議会 | ||
---|---|---|
先代 中曽根弘文 |
参議院懲罰委員長 2008年 - 2010年 |
次代 浅野勝人 |
先代 津島雄二 |
衆議院予算委員長 2002年 - 2003年 |
次代 笹川堯 |
先代 大島理森 |
衆議院議院運営委員長 第58・59代:2000年 - 2002年 |
次代 鈴木宗男 |
先代 梶原清 |
参議院大蔵委員長 1989年 - 1990年 |
次代 大河原太一郎 |
公職 | ||
先代 古賀誠 |
運輸大臣 第73代:1997年 - 1998年 |
次代 川崎二郎 |
党職 | ||
先代 結成 |
次世代の党 総務会長兼選挙対策委員長 初代 : 2014年 |
次代 江口克彦(総務会長) 浜田和幸(選挙対策委員長) |
先代 上野宏史(国会議員団総務会長) 水戸将史(選挙対策委員長) |
日本維新の会国会議員団 総務会長兼選挙対策委員長 第2代 : 2012年 - 2014年 |
次代 松浪健太 |
先代 結成 |
たちあがれ日本参議院代表 初代 : 2010年 - 2012年 |
次代 太陽の党→日本維新の会 |