古賀雷四郎
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古賀 雷四郎 こが らいしろう | |
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生年月日 | 1915年12月23日 |
出生地 | 佐賀県鳥栖市 |
没年月日 | (2008-06-13) 2008年6月13日(92歳没) |
出身校 | 九州帝国大学工学部 |
前職 | 国家公務員(内務省・建設省) |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従三位 勲一等瑞宝章 |
内閣 | 第2次中曽根第2次改造内閣 |
在任期間 | 1985年12月28日 - 1986年7月22日 |
選挙区 |
(全国区→) 比例区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1971年7月4日 - 1989年7月9日 |
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古賀 雷四郎(こが らいしろう、1915年12月23日 - 2008年6月13日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。
来歴
[編集]佐賀県鳥栖市出身。1937年九州帝国大学工学部卒業後、内務省に入省し、河川局長、建設技監などを経て、退官。1971年6月27日投票の第9回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し、23位で初当選。自由民主党では佐藤栄作派(周山会)→田中角栄派(木曜クラブ)→竹下登派(経世会)に属した。
1977年7月10日投票の第11回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し、12位で2回目の当選。1983年6月26日投票の第13回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、26位で3回目の当選。1985年12月から1986年7月まで第2次中曽根内閣の北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官を務めた。1988年春の叙勲で勲一等瑞宝章受章[1]。
1989年の第15回参議院議員通常選挙には出馬せず、政界引退。
2008年6月13日、老衰のため死去、92歳。死没日をもって従七位から従三位に叙される[2]。
脚注
[編集]公職 | ||
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先代 藤本孝雄 |
沖縄開発庁長官 第17代:1985年 - 1986年 |
次代 綿貫民輔 |
先代 河本嘉久蔵 |
北海道開発庁長官 第48代:1985年 - 1986年 |
次代 綿貫民輔 |
議会 | ||
先代 桧垣徳太郎 |
参議院内閣委員長 1979年 - 1980年 |
次代 林迶 |
先代 金井元彦 |
参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長 | 次代 稲嶺一郎 |
沖縄開発庁長官(1985年-1986年) | |
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沖縄開発庁長官 | |
沖縄及び北方対策担当大臣 |
参議院内閣委員長 (1979年-1980年) | |
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第1回 (定数100) |
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†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。 |
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↓:途中辞職・在職中死去など、▼:除名、↑:繰上げ当選、x:繰上げなし |
全般 | |
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国立図書館 |