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阿具根登

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿具根 登
あぐね のぼる
生年月日 1912年3月13日
出生地 福岡県大牟田市
没年月日 (2004-01-16) 2004年1月16日(91歳没)
死没地 東京都
前職 三井三池労組組合長
所属政党左派社会党→)
日本社会党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
参議院永年在職議員

在任期間 1983年7月18日 - 1986年7月7日

選挙区 全国区
当選回数 5回
在任期間 1953年5月2日 - 1986年7月7日
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阿具根 登(あぐね のぼる、1912年3月13日 - 2004年1月16日[1][2])は、日本政治家参議院議員(5期、日本社会党)。参議院副議長位階正三位

来歴

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福岡県大牟田市出身。海軍横須賀通信学校[1]三井三池炭鉱に就職し、戦後大牟田市議を経て1949年に三井三池労組の初代組合長に就任。1953年参院選に全国区から社会党公認で出馬し当選する。党参議院国対委員長を歴任し、三井三池争議では社会党の一員として調停役に回った。1965年参院選で落選、1967年には熊本県知事選にも出馬するが落選し、翌1968年参院選で国政に返り咲いた。

1978年飛鳥田一雄委員長の下で下平正一北山愛郎らと共に党中央執行副委員長に就き、1980年の衆参同日選後は党参議院議員会長に就任。1983年7月の参院選で惨敗した後の臨時国会では参議院副議長に選出された[3]1986年参院選には不出馬を表明し、政界を退いた。通算5期。同年の秋の叙勲で勲一等旭日大綬章受章(勲七等からの昇叙)[1][4]

2004年1月16日、肺炎のため東京都内の病院で死去、91歳。死没日をもって正三位に叙される[5]

人物

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太平洋戦争の終戦時に抗戦を訴えて起こった厚木航空隊事件の首謀者小園安名の名誉回復を訴えていた[6]

新東京国際空港(現・成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった[7]

選挙歴

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当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第3回参議院議員通常選挙 1953年4月24日 全国区 左派社会党 207,837 36/234 - -
第5回参議院議員通常選挙 1959年6月2日 全国区 日本社会党 348,622 37/123 - -
第7回参議院議員通常選挙 1965年7月4日 全国区 日本社会党 418,500 54/99 - -
第8回参議院議員通常選挙 1968年7月7日 全国区 日本社会党 505,332 48/93 - -
第10回参議院議員通常選挙 1974年7月7日 全国区 日本社会党 682,448 26/112 - -
第12回参議院議員通常選挙 1980年6月22日 全国区 日本社会党 737,663 38/93 - -
当選回数5回 (参議院議員5)

脚注

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  1. ^ a b c 阿具根 登」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E9%98%BF%E5%85%B7%E6%A0%B9%20%E7%99%BBコトバンクより2022年12月11日閲覧 
  2. ^ 『官報』第12267号10頁 昭和42年11月4日号
  3. ^ 参議院会議録情報 第099回国会 本会議 第1号”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2019年5月16日閲覧。
  4. ^ 『官報』号外特第17号1頁 昭和61年11月5日号
  5. ^ 『官報』第3788号11-12頁 平成16年2月13日号
  6. ^ 71回 参議院 予算委員会第一分科会 1号 昭和48年04月05日
  7. ^ 第065回国会 予算委員会 第7号”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2019年2月4日閲覧。
議会
先代
秋山長造
日本の旗 参議院副議長
第17代:1983年 - 1986年
次代
瀬谷英行
先代
千葉信
日本の旗 参議院社会労働委員長
1957年 - 1958年
次代
久保等
先代
大和与一
日本の旗 参議院石炭対策特別委員長 次代
松井誠