コンテンツにスキップ

イブン・ハズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

イブン・ハズムأبو محمد علي بن احمد بن سعيد بن حزم, Ibn Hazm, 994年11月7日 - 1064年8月15日)は、中世イスラーム世界のアンダルスのウマイヤ朝の人物。神学者、法学者、詩人。本名はアリー。通り名は、アブー・ムハンマド。

生涯

[編集]

コルドバの名家に生まれる。父アフマドは、ウマイヤ朝のカリフであるヒシャーム2世に仕える宰相だった。家庭では多くの侍女にかしずかれて育ち、この時の経験がのちの著作『鳩の頚飾り』に影響を与える[1]。後ウマイヤ朝の内紛によりコルドバを逃れ、カリフアブド・アッラフマーン4世英語版アブド・アッラフマーン5世英語版ヒシャーム3世英語版の宰相となるが、動乱のために数度の投獄を受ける[2]

イスラーム法学ではザーヒル派英語版に属し、クルアーンハディースの内容を固守する論客だった。類推(キヤース)、個人的見解(ラーイ)、合意(イジュマー)などによる妥協を認める学説に反対し、当時のアンダルスで支配的だったマーリク派の法学者たちを攻撃したため、迫害を受ける。神学や法学を中心に400篇近い著述をしたとされるが、大半は存命中にセビリアで焼き捨てられ、ニエブラ英語版で死去した[3][2][4]

代表的な著作として、ユダヤ教キリスト教イスラームについて書いた『諸宗派に関する書』(Al Kitab al-Muhallā bi'l Athār)がある。現存する唯一の文芸作品であり、恋愛論でもある『鳩の頸飾り』(Ṭawq al-Ḥamāmah)は、死後8世紀以上たってからライデン大学で写本が発見され、各国語に訳されている[5][6]

著書

[編集]
黒田壽郎訳・解説、岩波書店<イスラーム古典叢書>、1978年1982年

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ イブン・ハズム 1978, pp. 101, 342.
  2. ^ a b 前嶋 1991, p. 330.
  3. ^ イブン・ハズム 1978, pp. 344–350.
  4. ^ メノカル 2005, pp. 107–110.
  5. ^ イブン・ハズム 1978, pp. 338–340.
  6. ^ 関根 1979, pp. 219–220.

参考文献

[編集]
  • イブン・ハズム 著、黒田壽郎 訳『鳩の頸飾り 愛と愛する人々に関する論攷』岩波書店〈イスラーム古典叢書〉、1978年。 
  • 関根謙司『アラブ文学史 - 西欧との相関』六興出版、1979年。 
  • 前嶋信次『生活の世界歴史7 イスラムの蔭に』河出書房新社〈河出文庫〉、1991年。 
  • マリア・ロサ・メノカル 著、足立孝 訳『寛容の文化 - ムスリム、ユダヤ人、キリスト教徒の中世スペイン』名古屋大学出版会、2005年。 (原書 Menocal, María Rosa (2002), The Ornament of the World: How Muslims, Jews, and Christians Created a Culture of Tolerance in Medieval Spain 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]