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スティーヴ・フェローン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スティーヴ・フェローン
Steve Ferrone
スティーヴ・フェローン(2017年)
基本情報
出生名 Stephen Ferrone
生誕 (1950-04-25) 1950年4月25日(74歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ブライトン
ジャンル ロックファンクR&Bポップス
職業 ミュージシャン
担当楽器 ドラム
共同作業者 アヴェレイジ・ホワイト・バンドトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズエリック・クラプトンジョージ・ハリスンチャカ・カーンデュラン・デュランピーター・フランプトンディック・モリシービージーズシンディ・ローパー、The 360 Band、マイケル・ジャクソン
公式サイト steveferrone.com

スティーヴ・フェローンSteve Ferrone1950年4月25日 - )は、1994年から2017年までロック・バンドのトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズにオリジナル・ドラマーであったスタン・リンチの後任として在籍したメンバーとして知られ、1970年代のアヴェレイジ・ホワイト・バンドにおける「クラシック・ラインナップ」の1人としても知られるイングランドのドラマーである。フェローンは、エリック・クラプトンジョージ・ハリスンデュラン・デュランスティーヴィー・ニックスラウラ・パウジーニクリスティン・マクヴィーリック・ジェームススラッシュチャカ・カーンビージーズスクリッティ・ポリッティエアロスミスアル・ジャロウジョニー・キャッシュといった面々とレコーディングを行い、演奏してきた。フェローンはまた、シリウスXmの「トム・ペティ・ラジオ」において、毎週、ラジオ番組「The New Guy」でホストを務めている。

略歴

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フェローンはバンドのブラッドストーンと共演し、1975年のアルバム『Riddle Of The Sphinx』に参加した。その後、かつてドラマーのロビー・マッキントッシュをフィーチャーしていたブライアン・オーガーのバンド、オブリヴィオン・エクスプレスで演奏するようになった。

マッキントッシュは後にアヴェレイジ・ホワイト・バンドに参加したが、マッキントッシュがヘロインの過剰摂取で亡くなったのは、最初のナンバーワンとなるアルバムをリリースしたばかりのことであった。フェローンは彼の代わりにアヴェレイジ・ホワイト・バンドに参加するように依頼され、アヴェレイジ・ホワイト・バンドが1982年に解散するまで、それから8年間にわたって在籍し、いくつかのヒット・アルバムをレコーディングし、コンサート・ツアーで演奏した。

チャカ・カーンの1978年のデビュー・アルバムに参加して以来、彼は元アヴェレイジ・ホワイト・バンドのバンド・メンバーであったヘイミッシュ・スチュアートと共に、アルバム『ノーティ』を含む1980年代の彼女のアルバムほとんどで演奏を続けた。1985年、フェローンは『サタデー・ナイト・ライブ』ハウスバンドに参加した。彼は、アルバム『ノトーリアス』『デュラン・デュラン(ザ・ウェディング・アルバム)』『サンキュー』に、デュラン・デュランのセッション・ドラマーとして貢献した。彼はまた、アルバム『ノトーリアス』をサポートするために、ストレンジ・ビヘイヴィアー・ツアーでデュラン・デュランと一緒にツアーを行った。また、1986年から1992年までエリック・クラプトンとツアーおよびレコーディングを行った。アビー・ロード・スタジオでは、デュラン・デュランのドラムを演奏した。

フェローンは、エリック・クラプトン、ビージーズスクリッティ・ポリッティブライアン・メイアニタ・ベイカージョージ・ベンソンジョナサン・バトラーシンディ・ローパーブライアン・フェリークライミー・フィッシャークリスティン・マクヴィーピーター・フランプトンジェフ・ゴラブリック・ジェームスホイットニー・ヒューストン、チャカ・カーン、フレディ・キングトレイシー・チャップマンパット・メセニーマーカス・ミラースティーヴ・ウィンウッドマイケル・W・スミスモリシー・ミューレンディック・モリシージェフリー・オズボーンポール・サイモン、アラン・フリュー、ラウラ・パウジーニバーニー・ウォーレルアル・ジャロウマイケル・ジャクソンジャコ・パストリアスらのレコーディングにも参加している。

エアロスミスジョーイ・クレイマーが父親の死を悲しんでいる間、フェローンがアルバム『ナイン・ライヴズ』のプリプロダクション中にクレイマーの代役を務めた。

フェローンは、ロイヤル・アルバート・ホールにおけるジョージ・ハリスンと彼のハラ・アンド・ザ・ハイジャック・バンドの一員として公演に参加したときに、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのギタリストであるマイク・キャンベルと出会った。1994年にオリジナル・ドラマーのスタン・リンチが脱退した後、フェローンはバンドのフルタイム・ドラマーとなった。フェローンがバンドに参加してから最初のアルバムは、同じ年にリリースされたトム・ペティの2枚目のソロ・アルバムとして発表された『ワイルドフラワーズ』であった。ハートブレイカーズのメンバーとしての彼の最初のライブ・パフォーマンスは、1995年2月28日にケンタッキー州ルイビルで行われた。

フェローンはザ・ハートブレイカーズとの時間を満喫し、「誰もが音楽生活の中で『ザ・ハートブレイカーズ』のような経験をするべきです。そこには、創造性、情熱、誠実さ、真面目さ、そしてたくさんの楽しみがあります」と語っている。

2002年11月、フェローンは1992年のデュラン・デュランの「オーディナリー・ワールド」以来一緒に働いていたプロデューサーのジョン・ジョーンズと共に、カリフォルニア州バーバンクにドラムロール・スタジオを設立した。その後、ギタリスト兼プロデューサーのスティーヴ・ポステルが加わり、映画やテレビのスコアだけでなく、さまざまな音楽活動のためのアルバムや楽曲をレコーディングし、プロデュースしている。

フェローンは2003年に『It Up: Steve Ferrone and Friends Live at La Ve Lee』というタイトルのライブ・ソロ・アルバムをリリースした。

2007年には、トーキング・ヘッズのジェリー・ハリソンがプロデュースしたバンド、The Black and White Yearsによるセルフタイトルのデビュー・アルバムでドラムを演奏した。

2010年、フェローンはスラッシュの最初のソロ・アルバムである『スラッシュ』で演奏し、イタリアのバンド、イ・プーに参加した。また、作曲家兼ミュージシャンのエリック・アレクサンドラキス、ギタリスト兼作曲家のウォーレン・ククルロ、音楽プロデューサー兼ソングライターのアンソニー・J・レスタとの共同プロジェクトにも参加した。『モダン・ドラマー』誌のニュース・リリースでそのプロジェクトの目的を、「私たち4人は、テレビのテーマ、映画、広告のスコア作曲プロジェクトを追求するために、スコア作曲の集団を形成することにしました…」とアレクサンドラキスが語っている[1][2]。2018年8月、10日間からなる初のアメリカ・ツアーの前に、ダイアー・ストレイツ・レガシーのドラマーとして発表された。彼はイングランドのサッカークラブ「ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC(「シーガルズ」として知られている)」のファンであり、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズがスーパーボウル42のハーフタイムショーで演奏しているビデオでは、クラブのバッジが付いた帽子をかぶっている姿を見ることができる。

2011年、フェローンは、旧友のアラン・クラークとフィル・パーマーというダイアー・ストレイツの卒業生で構成されたバンドのザ・ストレイツで一緒に演奏を始めた。そのバンドはまた、ベースのミッキー・フィート、サックスのクリス・ホワイト、キーボードとボーカルのジェイミー・スクワイア、ボーカルとギターのテレンス・レイスで構成されていた。

2015年7月、フェローンはアヴェレイジ・ホワイト・バンドのバンドメイトであるマルコム・「モリー」・ダンカンとヘイミッシュ・スチュアートと再集結し、ザ・360バンドを結成した。これは本質的に、オリジナルのアヴェレイジ・ホワイト・バンドの半分である。彼らは2017年に『Three Sixty』というタイトルのアルバムをリリースし、サポート・ミュージシャンと共にライブ・パフォーマンスを行っている。

2018年、フェローンは、ハートブレイカーズ仲間のベンモント・テンチ、イアン・アストベリー、ダーニ・ハリスンウィーザーのブライアン・ベルと一緒に、ポルシェ70周年記念イベントのハウスバンドで演奏した。

2019年、フェローンは、ストローク9のスタジオ・アルバム『Calafrio』のセッション・ドラムをレコーディングした[3]

ディスコグラフィ

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ソロ・アルバム

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  • It Up: Steve Ferrone and Friends Live at La Ve Lee (2003年)
  • More Head (2006年) ※Steve Ferrone's Farm Fur
  • Live (2014年) ※Steve Ferrone & Friends

アヴェレイジ・ホワイト・バンド

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  • 『カット・ザ・ケイク』 - Cut The Cake (1975年)
  • 『ソウル・サーチング』 - Soul Searching (1976年)
  • 『パーソン・トゥ・パーソン』 - Person To Person (1976年) ※ライブ
  • 『ベニー&アス』 - Benny & Us (1977年) ※With ベン・E・キング
  • 『ウォーマー・コミュニケーションズ』 - Warmer Communications (1978年)
  • 『フィール・ノー・フレット』 - Feel No Fret (1979年)
  • 『シャイン』 - Shine (1980年)
  • Volume VIII (1980年) ※コンピレーション
  • 『キューピッズ・イン・ファッション』 - Cupid's In Fashion (1982年)

トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ

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  • ワイルドフラワーズ』 - Wildflowers (1994年) ※トム・ペティ名義
  • 『プレイバックBOX』 - Playback (1995年)
  • 『彼女は最高 オリジナル・サウンドトラック』 - Songs And Music From She's The One (1996年)
  • エコー』 - Echo (1999年)
  • 『ザ・ラスト・DJ』 - The Last DJ (2002年)
  • The Live Anthology (2009年)
  • 『モジョ』 - Mojo (2010年)
  • 『ヒプノティック・アイ』 - Hypnotic Eye (2014年)

参加アルバム

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脚注

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  1. ^ Jamie Stephens "Staying in tune with his inner Cane" The Miami Hurricane 22 September 2010 para. 5
  2. ^ "Modern Drummer Web Update News" Modern Drummer magazine Update News para. 4 Retrieved 24 September 2010
  3. ^ It's called CALAFRIO
  4. ^ a b Welcome to Zen Blues Quartet/公式ウェブサイト

外部リンク

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