ハイホーク
ハイホーク | |
---|---|
欧字表記 | High Hawk |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1980年 |
父 | シャーリーハイツ |
母 | サンビターン |
生国 | アイルランド |
生産者 | スタッカラン・スタッド |
馬主 | シェイク・モハメド |
調教師 | ジョン・ダンロップ(イギリス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 13戦6勝 |
ハイホーク (High Hawk) はアイルランド生産、イギリス調教の競走馬。ローマ賞(イタリアG1)など3か国で重賞を4勝。繁殖牝馬としてブリーダーズカップ・ターフなどG1競走を3勝したインザウイングスなどを輩出した。
「シェイク・モハメド(モハメド殿下)」の通称で知られる大馬主ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム(現ドバイ首長)の初期の所有馬であり、第3回ジャパンカップにも出走している。
経歴
[編集]- 馬齢は日本の旧表記で記述する。
非常に小柄かつ細身な馬[1]で、近親に目立った活躍馬もいなかったことから、2歳時に出品されたイヤリングセールにおいて、3万1000ギニー(約1100万円)の安値でシェイク・モハメドに落札された。競走馬としてデビューした当初も凡庸な馬で、3歳時の2戦はいずれも着外、初勝利を挙げたのは4歳になってからだった。そこから2連勝したものの続く準重賞の二戦を勝つことができず、レベルの高い地元イギリスのクラシック競走は避け、イタリアのオークスに向かった。するとここで優勝馬から僅差の2着と健闘した後、地元に戻りG2リブルスデールステークスで重賞を初制覇。次走アイリッシュオークスでは地元アイルランドのギブサンクスに敗れたが2着となった。
秋になると、パークヒルステークス(英G2)、ロワイヤリュー賞(仏G3)、ローマ賞と、三カ国のいずれも距離12ハロン以上の長距離重賞を3連勝。この後は日本中央競馬会からの招待を受け、引退レースとして当時新興の国際競走だったジャパンカップに出走した。迎える日本馬には、この年の春秋の天皇賞優勝馬アンバーシャダイとキョウエイプロミス、宝塚記念優勝馬ハギノカムイオーなどが顔を揃えていたが、前2回のジャパンカップではいずれも日本馬は大敗しており、他の招待馬と照らし合わせてもその実績が抜けていたことから、ハイホークは4歳の牝馬ながら1番人気に支持された。しかしレースでは直線の手前から早々に失速し、16頭立ての13着と惨敗を喫した。この時、ある競馬関係者が「残念な結果でしたね」と馬主席のシェイク・モハメドに声を掛けると、モハメドは「こういう事があるのも競馬です。またジャパンカップに馬を連れてきますよ」と言って笑ったという[2]。
これをもって競走馬を引退し繁殖牝馬となったハイホークは、英仏米のG1競走に優勝したインザウイングスをはじめ、グレフュール賞(仏G2)の優勝馬で、種牡馬として一時日本でも繋養されたハンティングホーク、ショードネイ賞(仏G2)などフランスで重賞3勝のモロゾフ、ダービートライアルステークス(英G3)の優勝馬ホーカーズニュース等の活躍馬を送り出し、母として大きな成功を収めた。中でもインザウイングスは種牡馬としても優秀な成績を収め、その代表産駒シングスピールは第16回ジャパンカップに出走し、ファビラスラフインを競り落として優勝。祖母の敗戦から13年越しでジャパンカップを制覇し、馬主のシェイク・モハメドも雪辱を果たした。
馬齢別競走成績
[編集]- 2歳-2戦0勝
- 3歳-11戦6勝(ローマ賞、パークヒルステークス、ロワイヤリュー賞、リブルスデールステークス)
血統表
[編集]ハイホークの血統ミルリーフ系 / Nearco5×5=6.25% | (血統表の出典) | |||
父 Shirley Heights 1975 鹿毛 イギリス |
父の父 Mill Reef 1968栗毛 イギリス |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
Milan Mill | Princequillo | |||
Virginia Water | ||||
父の母 Hardiemma 1969鹿毛 イギリス |
*ハーディカヌート Hardicanute |
*ハードリドン | ||
Harvest Maid | ||||
Grand Cross | Grandmaster | |||
Blue Cross | ||||
母 Sunbittern 1970 芦毛 イギリス |
*シーホーク Sea Hawk 1963 芦毛 フランス |
Herbager | Vandale | |
Flagette | ||||
Sea Nymph | Free Man | |||
Sea Spray | ||||
母の母 Pantoufle 1964鹿毛 イギリス |
*パナスリッパー Panaslipper |
Solar Slipper | ||
Panastrid | ||||
Etoile de France | Arctic Star | |||
Miss France F-No.9-e |
父シャーリーハイツは1978年のエプソムダービー、アイリッシュダービーの優勝馬。日本ではロゼカラーの父としても知られている。母サンビターンはイギリスで3勝を挙げており、競走馬として大成を見た産駒はハイホークのみだったが、別の牝駒セリーマ、ハイターンの産駒に、それぞれ カナディアンインターナショナルステークスなど重賞4勝のインファミー、1998年のエプソムダービー優勝馬ハイライズがおり、名牝系の祖となっている。またハイホーク自身の孫に、2007年のカボーグ賞(仏G3)優勝馬アレクサンドロスがいる。