マルシャンドール
マルシャンドール | |
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欧字表記 | Marchand d'Or |
品種 | サラブレッド |
性別 | 騸 |
毛色 | 芦毛 |
生誕 | 2003年2月21日 |
父 | Marchand de Sable |
母 | Fedora |
母の父 | Kendor |
生国 | フランス |
生産者 | J-L・ジラール夫人 |
馬主 | J-L・ジラール夫人 |
調教師 |
フレディ・ヘッド (フランス) →ミケル・デルザングル (フランス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 40戦12勝 |
獲得賞金 |
81万6925ユーロ 25万2280ポンド 24万香港ドル |
マルシャンドール(Marchand d'Or、香港表記:黄金商人)はフランスで生産・調教された競走馬。主戦騎手はダヴィ・ボニヤが務め、デビュー戦からすべての競走に騎乗した[1]。
経歴
[編集]2005年(2歳)
[編集]8月に競走馬デビュー戦迎えたが7着で、その後は休養に入りそのまま2歳を終えた。
2006年(3歳)
[編集]休養を終えて、3月の復帰戦で初勝利を挙げた。続く4月の準重賞競走は2着、5月の準重賞競走を制して2勝目を挙げ、重賞競走初挑戦となったポルトマイヨ賞 (G3) も制して重賞競走初勝利を挙げた。次のリゾランジ賞 (G3) こそ6着だったものの、G1競走初挑戦となったモーリス・ド・ゲスト賞では、8番人気の評価を覆してG1競走初勝利を挙げた。この勝利はフレディ・ヘッド厩舎にとっても管理馬のG1競走初勝利となった。しかし続くフォレ賞は7着という結果に終わり、その後は休養に入った。
2007年(4歳)
[編集]休養を終え古馬となっての初戦はドバイ遠征を行い初のダート戦となったドバイゴールデンシャヒーンで8着、帰国後初戦のミュゲ賞 (G2) も8着という結果に終わったが、続く2年連続出走となったポルトマイヨ賞 (G3) を制して同競走2連覇を達成した。次はイギリスに遠征してジュライカップに出走したが4着だったものの、連覇の懸かったモーリス・ド・ゲスト賞では、ダッチアートに1馬身差をつけて勝利、同競走2連覇を達成した。次は再びイギリスに遠征し、スプリントカップに出走したがレッドクラブスに3/4馬身差で敗れて2着、一旦帰国し2年連続出走となったフォレ賞は3着、香港に遠征して出走した香港スプリントは6着という結果に終わりその後は休養に入った。
2008年(5歳)
[編集]休養を終えての初戦となった6月のグロシェーヌ賞 (G2) を制し、続くゴールデンジュビリーステークスはキングスゲートネイティヴに敗れて6着だったものの、2年連続出走となったジュライカップを制してG1競走3勝目を挙げ、続く3連覇の懸かったモーリス・ド・ゲスト賞も制し、G1競走を連勝でG1競走通算4勝目を挙げた。この勝利は史上初のフランスにおける同一G1競走3連覇達成の快挙となった。10月のアベイ・ド・ロンシャン賞にも勝利し、G1競走3連勝。12月の香港スプリントは6着だった。
2009年(6歳)
[編集]初戦は2年ぶりにドバイ遠征を行って3月のドバイゴールデンシャヒーンに出走したが、12着と殿負けに終わった。その後、サンジョルジュ賞 (G3) では4着、連覇がかかったグロシェーヌ賞 (G2) では8着と精彩を欠いた。
2010年(7歳)
[編集]この年からミケル・デルザングル厩舎に転厩[2]し、復帰戦となった5月のサンジョルジュ賞 (G3) で2年ぶりの勝利を挙げた。続くグロシェーヌ賞 (G3) では3着と好走した。その後、ゴールデンジュビリーステークスでは11着、ジュライカップとプティクヴェール賞 (G3) では共に9着と惨敗した。10月のアベイ・ド・ロンシャン賞では4着という結果だった。
2011年(8歳)
[編集]初戦のグロシェーヌ賞 (G2) では7着と惨敗。続くポルトマイヨ賞 (G3) では4着、モーリス・ド・ゲスト賞では3着と好走した。モートリー賞 (G3) では1番人気に応え勝利。10月のフォレ賞は6着、11月のセーネワーズ賞 (G3) では11着だった。
2012年(9歳)
[編集]初戦のリゾランジ賞 (G3) では3着に入るも、8月のモーリス・ド・ゲスト賞は8着に終わる。9月のプティクヴェール賞で5着に敗れ、この競走を最後に引退した[1]。
年度別競走成績
[編集]- 2005年(2歳) 1戦0勝
- 2006年(3歳) 7戦4勝
- 1着 ポルトマイヨ賞 (G3) 、モーリス・ド・ゲスト賞 (G1)
- 2007年(4歳) 8戦2勝
- 1着 ポルトマイヨ賞 (G3) 、モーリス・ド・ゲスト賞 (G1)
- 2着 スプリントカップ (G1)
- 3着 フォレ賞 (G1)
- 2008年(5歳) 6戦4勝
- 1着 グロシェーヌ賞 (G2) 、ジュライカップ (G1) 、モーリス・ド・ゲスト賞 (G1) 、アベイ・ド・ロンシャン賞 (G1)
- 2009年(6歳) 3戦0勝
- 2010年(7歳) 6戦1勝
- 1着 サンジョルジュ賞 (G3)
- 2011年(8歳) 6戦1勝
- 1着 モートリー賞 (G3)
- 3着 モーリス・ド・ゲスト賞 (G1)
- 2012年(9歳) 3戦0勝
- 3着 リゾランジ賞 (G3)
血統表
[編集]マルシャンドールの血統(ヌレイエフ系 / Kenmare 3×3=25.00%、Northern Dancer 4×4=12.50%) | (血統表の出典) | |||
父 Marchand de Sable 1990 黒鹿毛 |
父の父 Theatrical1982 鹿毛 |
Nureyev | Northern Dancer | |
Special | ||||
*ツリーオブノレッジ Tree of Knowledge |
Sassafras | |||
Sensibility | ||||
父の母 Mercantile1983 鹿毛 |
Kenmare | Kalamoun | ||
Belle of Ireland | ||||
Mercuriale | Pan | |||
Sirrima | ||||
母 Fedora 1998 芦毛 |
Kendor 1986 芦毛 |
Kenmare | Kalamoun | |
Belle of Ireland | ||||
Belle Mecene | *ゲイメセン | |||
Djaka Belle | ||||
母の母 Far But Near1989 鹿毛 |
Far North | Northern Dancer | ||
Fleur | ||||
Kesar Queen | Nashua | |||
Meadow Saffron F-No.11-f |
脚注
[編集]- ^ a b “Multiple G1 winner Marchand D'Or retired” (英語). レーシング・ポスト (2012年9月27日). 2012年12月9日閲覧。
- ^ “Marchand D'Or back in training with Delzangles” (英語). レーシング・ポスト (2010年3月12日). 2012年12月9日閲覧。
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 JBISサーチ、Racing Post