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仁山駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仁山駅
駅舎(2017年8月)
にやま
Niyama
H70 新函館北斗 (3.3 km)
(5.8 km) 大沼 H68
地図
所在地 北海道亀田郡七飯町仁山
北緯41度55分48.04秒 東経140度38分6.81秒 / 北緯41.9300111度 東経140.6352250度 / 41.9300111; 140.6352250座標: 北緯41度55分48.04秒 東経140度38分6.81秒 / 北緯41.9300111度 東経140.6352250度 / 41.9300111; 140.6352250
駅番号 H69
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 函館本線(本線)
キロ程 21.2 km(函館起点)
電報略号 ニマ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線[1]
開業年月日 1936年昭和11年)9月15日信号場
1943年(昭和18年)(仮乗降場
備考 無人駅
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仁山駅(にやまえき)は、北海道亀田郡七飯町仁山にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線(本線)のである[2]駅番号H69電報略号ニマ事務管理コードは▲140107[3]

歴史

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当駅の前身は、20の急勾配の途中での列車交換のために設けられたスイッチバック形式の信号場である[4]。当時は本屋のほか官舎11戸があるのみであった[5]

信号場ながら長らく仮乗降場として旅客扱いを行っており、終戦後の疎開者定着、開拓者入地により利用客が増加、設備の改良も行われたが[5]、正規の駅となったのは国鉄分割民営化のときであった。

しかし、仮乗降場扱いであったにもかかわらず、有人信号場時代には信号場職員が当駅発の乗車券を販売していた記録が残るなど[6][注 1]、仮乗降場時代にも正規の有人駅に準じる扱いがとられていた。

1976年の仁山信号場(仮乗降場)と周囲約1km範囲。下の右が本線函館方面、左はこの時期には基本的に無用となった加速線の軌道だが、部分的にまだ使用されている。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
構内のJR北海道による大道寺小市医師の顕彰碑

年表

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  • 1936年昭和11年)9月15日国有鉄道函館本線の本郷駅(現在の新函館北斗駅) - 軍川駅(現:大沼駅)間に仁山信号場として新設[2][5]
    • この時点では単なるスイッチバック停車場であった[7]
  • 1943年(昭和18年):下り加速線新設に伴い下り列車の待避方法を変更。構内改良の上、駅舎を現在地に移転[5]
    • これと前後して仮乗降場設定)として旅客取扱い開始。
    • この際、道路の建設に必要な土地を土地所有者の大道寺小市医師が提供したとされ、構内に顕彰碑が建立されている。
  • 1947年(昭和22年):上下仮ホーム延長、仮待合室設置[5]。このほか、信号場と麓の峠下地区を結ぶ道路・踏切道の新設、仁山高原ハイキング道路の新設、住民による「第1回駅昇格運動」が行われる[5]
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月:国鉄当局から住民に対し、周辺整備について感謝状贈呈[5]
    • 6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
  • 1950年(昭和25年)2月:住民による「第2回駅昇格運動」が行われる[5]
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月:住民による「第3回駅昇格運動」が行われる[5]
    • 4月:待合室設置[8]
  • 1962年(昭和37年)7月25日:当信号場 - 軍川駅間に熊の湯信号場新設。当信号場より遠隔制御を実施[9]
  • 1966年(昭和41年)9月30日:藤城線(七飯駅 - 軍川駅間別線)開通に伴い熊の湯信号場廃止[9]
  • 1984年(昭和59年)11月1日:無人化[8]。ただし駅員の出張による乗車券発売を継続。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:駅員出張廃止、完全無人化[10]。この時に青函船舶鉄道管理局では大幅な無人化が実施され、当時管理駅であった渡島大野駅(現在の新函館北斗駅)も無人化された[注 2][10]
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となると共に旅客駅に昇格し、仁山駅となる[2]
  • 2007年平成19年)10月1日駅ナンバリングを実施[JR北 1]

駅名の由来

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当駅の所在する地名より。太田(2004)ではアイヌ語の「ニ・ヤマ」(ni-yam)(木・栗山)に由来するという説があるがはっきりしない、としている[11]

駅構造

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信号場としての開設当時は、本線上に設けられた交差渡り線を中心に、函館方の旭川方に向かって左手に加速線を兼ねた1番線、その対角線上に2番線を設けたスイッチバック形式であったが、1943年(昭和18年)の構内改良で現在に近い形態となった[7]

現在は下り本線と上り本線の2線に相対式ホーム2面2線と木造駅舎を有する地上駅[12]。互いのホームは中央部分に設けられた構内踏切で連絡している[12]。上下線とも安全側線付帯である[12]

このほか、下り本線の函館方には加速線が設置されており、勾配が緩やかな藤城線開通以前、重量級の下り列車はいったん加速線に退行してから発車していた。加速線は現在でも保守用として現存する[12]。また、1993年(平成5年)ごろには加速線に短いホームが残っていたことが確認されているが、その具体的用途については不明とされている[13]

七飯駅管理(夜間連絡先は五稜郭駅)の無人駅となっている[10]が、有人信号場時代からの木造駅舎が残る[10][14]。駅舎は構内の東側(旭川方面に向かって右側)に位置し、下り線ホームとは通路で連絡する[10][15]。また、トイレを有する[14]。待合室は格天井を有し[14]長椅子が設置されている[15]

2001年(平成13年)時点では、駅舎に掲げられていた駅名表記が「仁山信号場」のままであったが、その後「仁山駅」に変更されている[14]

のりば

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番線 路線 方向 行先
1 函館本線 下り 長万部方面[16]
2 上り 函館方面[16]

利用状況

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乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

乗車人員推移
年度 乗車人員(人) 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1949年(昭和24年) 24,942 (68.3) [5] 以下『七飯町史』出典の乗車人員には定期券・無償乗車証を含まず
1950年(昭和25年) 21,772 (59.6)
1951年(昭和26年) 24,725 (67.6)
1952年(昭和27年) 25,522 (69.9)
1953年(昭和28年) 24,996 (68.5)
1954年(昭和29年) 24,368 (66.8)
1955年(昭和30年) 36,344 (99.3)
1956年(昭和31年) 43,895 (120.3)
1957年(昭和32年) 36,464 (99.9)
1958年(昭和33年) 44,626 (122.3)
1959年(昭和34年) 44,847 (122.5)
1960年(昭和35年) 44,457 (121.8)
1961年(昭和36年) 44,198 (121.1)
1962年(昭和37年) 45,085 (123.5)
1963年(昭和38年) 22,257 (60.8)
1964年(昭和39年) 20,846 (57.1)
1965年(昭和40年) 20,223 (55.4) 繁忙期には行楽客の利用により、1日800人ほどの乗降客数となった[17]
1966年(昭和41年) 26,689 (73.1)
1967年(昭和42年) 32,980 (90.1)
1968年(昭和43年) 30,806 (84.4)
1969年(昭和44年) 28,770 (78.8)
1970年(昭和45年) 24,362 (66.7)
1971年(昭和46年) 18,116 (49.5)
1972年(昭和47年) 16,260 (44.5)
1973年(昭和48年) 18,205 (49.9)
1974年(昭和49年) 17,795 (48.8)
1975年(昭和50年) 40 [18][注 3] 以下、『七飯町史 続刊』の数値はすべて概数。
1976年(昭和51年) 50
1977年(昭和52年) 40
1978年(昭和53年) 32 [19]
1979年(昭和54年) 40 [18][注 4]
1980年(昭和55年) 40
1981年(昭和56年) 30
1982年(昭和57年) 40
1983年(昭和58年) 50
1984年(昭和59年) 40
1985年(昭和60年) 40
1986年(昭和61年) 20
1987年(昭和62年) 20
1988年(昭和63年) 20
1989年(平成元年) 10
1990年(平成02年) 30
1991年(平成03年) 40
1992年(平成04年) 40
1993年(平成05年) 40
1994年(平成06年) 40
1995年(平成07年) 20
1996年(平成08年) 20
1997年(平成09年) 10
1998年(平成10年) 10
1999年(平成11年) 10
2017年(平成29年) 11.4 [20]
2018年(平成30年) 9.6 [21]
2019年(令和元年) 「10名以下」 [JR北 2]
2020年(令和2年) 「10名以下」 [JR北 3]

駅周辺

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隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
函館本線
新函館北斗駅 (H70) - 仁山駅 (H69) - *熊の湯信号場 - *小沼信号場[22] - 大沼駅 (H68)
*打消線は廃止信号場[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 仮乗降場は営業キロが設定されないため、運賃は一般的な仮乗降場と同様、手前の駅から乗車した扱いとなっていた。このため入場券の発売もなかった[6]
  2. ^ 渡島大野駅は2016年3月26日の北海道新幹線開業に伴い新函館北斗駅に改称され、再び有人駅となった。
  3. ^ 降車を含むか記載がないが、他文献の数値から乗車のみと判断。
  4. ^ 降車を含むか記載がないが、他文献の数値から乗車のみと判断。

出典

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  1. ^ 『週刊 JR全駅・全車両基地』 11号 函館駅・大沼公園駅・倶知安駅ほか72駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2012年10月21日、20頁。 
  2. ^ a b c d 今尾恵介 編『日本鉄道旅行地図帳 1号 北海道』新潮社、2008年、26頁。ISBN 978-4-10-790019-7 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、214頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)37ページより。
  5. ^ a b c d e f g h i j 七飯町 編『七飯町史七飯町、1976年11月2日、900-904頁。doi:10.11501/9570127https://dl.ndl.go.jp/pid/9570127/1/466 
  6. ^ a b 種村, 直樹『日本縦断鈍行最終列車 : 消えゆくローカル線に愛をこめて』徳間書店、1986年11月30日、45-46頁。doi:10.11501/12275357ISBN 4-19-553355-4 
  7. ^ a b 祖田, 圭介「函館・千歳・室蘭線の路線変更の記録」『鉄道ピクトリアル』第45巻第8号、電気車研究会、1995年8月1日、45-52頁。 
  8. ^ a b 『道南鉄道100年史 遥』 北海道旅客鉄道函館支社 2003年2月発行
  9. ^ a b 日本国有鉄道札幌工事局70年史編集委員会 編『札幌工事局七十年史日本国有鉄道札幌工事局、1977年3月、164-167頁。doi:10.11501/12050108https://dl.ndl.go.jp/pid/12050108 
  10. ^ a b c d e 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社2011年6月発行)150ページより。
  11. ^ 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり ~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 27. ISBN 4-89391-549-5 
  12. ^ a b c d 宮脇俊三原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、36頁。ISBN 4-09-395401-1 
  13. ^ 河野, 哲也「函館・千歳・室蘭線趣味的アラカルト」『鉄道ピクトリアル』第45巻第8号、電気車研究会、1995年8月1日、55-65頁。 
  14. ^ a b c d e 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社2008年8月発行)15ページより。
  15. ^ a b 書籍『すごい駅』(著:横見浩彦牛山隆信メディアファクトリー新書、2010年10月発行)192-193ページより。
  16. ^ a b 仁山|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|駅・鉄道・旅行|JR北海道- Hokkaido Railway Company”. 北海道旅客鉄道. 2020年1月2日閲覧。
  17. ^ 「仁山信号場が駅に」『交通新聞』交通協力会、1960年5月7日、1面。
  18. ^ a b 七飯町史 続刊』七飯町、2001年6月、592頁。doi:10.11501/9572278https://dl.ndl.go.jp/pid/9572278/1/314 
  19. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、803頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  20. ^ 函館線 函館・長万部間の状況について” (PDF). 函館線(函館・小樽間)について(北海道新幹線並行在来線対策協議会). [第6回ブロック会議(令和元年7月~8月)]. 北海道. pp. 4・5 (2019年8月2日). 2021年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月4日閲覧。
  21. ^ 函館線 函館・長万部間の状況について” (PDF). 函館線(函館・小樽間)について(北海道新幹線並行在来線対策協議会). [第7回ブロック会議(令和2年8月)]. 北海道. pp. 4・5 (2020年8月25日). 2021年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月4日閲覧。
  22. ^ 1943年(昭和18年)9月30日開設、1948年(昭和23年)7月1日廃止

JR北海道

[編集]
  1. ^ 駅番号表示(駅ナンバリング)を実施します』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2007年9月12日。オリジナルの2007年9月30日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20070930015220/http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2007/070912-3.pdf2014年9月6日閲覧 
  2. ^ 駅別乗車人員” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 全線区のご利用状況. 北海道旅客鉄道 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。
  3. ^ 駅別乗車人員” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 全線区のご利用状況. 北海道旅客鉄道 (2021年9月30日). 2022年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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