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伊達康夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 伊達康夫 八段
名前 伊達康夫
生年月日 (1936-07-22) 1936年7月22日
没年月日 (2003-01-06) 2003年1月6日(66歳没)
プロ入り年月日 1959年4月1日(22歳)
引退年月日 1989年3月31日(52歳)
棋士番号 78
出身地 大阪府大阪市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 岡崎史明八段
弟子 伊藤博文
段位 八段
棋士DB 伊達康夫
戦績
竜王戦最高クラス 5組
順位戦最高クラス C級1組
2017年8月24日現在
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伊達 康夫(だて やすお、1936年7月22日 - 2003年1月6日)は、将棋棋士、八段。岡崎史明八段門下。棋士番号は78。大阪府大阪市出身。

棋歴

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1959年、参加3期目の予備クラスにおいて11勝2敗で優勝、これにより四段昇段(プロ入り)。 第24期(1969年度)順位戦C級2組で3勝3敗からの6連勝で、9勝3敗・2位の成績を収め、C級1組へ昇級。苦節11年での快挙であった。

名人戦・順位戦の主催紙が朝日新聞社から毎日新聞社に移行して再開された第36期(1977年度)C級1組順位戦(昇降級リーグ戦3組)の最終10回戦で、伊達(7勝2敗)と真部一男(8勝1敗だがリーグ表順位は伊達より下)との直接対決があり、お互い、勝った方が2位でB級2組に昇級するという状況で迎えた。伊達はこの一局で敗れて昇級を逃し、以降、順位戦で昇級することはなかった。

棋風

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振り飛車も指したが、相掛かり系、矢倉、対振り飛車急戦を得意とした居飛車党で、軽快な攻めに特徴がある棋風

不利な局面になると、早々と投了することが多かった。

人物

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  • 日本将棋連盟の運営に尽力し、1981年から理事に就任。1989年(現役引退した年)から1992年までは常務理事、1993年からは理事会参与を務める。
  • 神吉宏充の証言[1]によると、対局中に「えっ、えっ。」と発する癖があったという。
  • 弟子に伊藤博文がいる。

昇段履歴

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主な成績

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在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[2]
(出典)竜王戦
出典[3]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1959 14 C214
1960 15 C205
1961 16 C208
1962 17 C206
1963 18 C210
1964 19 C205
1965 20 C210
1966 21 C210
1967 22 C202
1968 23 C202
1969 24 C211
1970 25 C114
1971 26 C104
1972 27 C104
1973 28 C110
1974 29 C109
1975 30 C101
1976 主催者移行問題により中止
1977 36 C107
1978 37 C104
1979 38 C112
1980 39 C119
1981 40 C109
1982 41 C120
1983 42 C113
1984 43 C202
1985 44 C216
1986 45 C233
1987 46 C224 1 5組 --
1988 47 C244 2 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

表彰

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  • 現役勤続25年表彰(1983年[4]

脚注

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  1. ^ 2005年1月にNHK衛星第2テレビで放映された「大逆転将棋」のプロ反則特集において、神吉が伊達との対局で喫した反則負けが取り上げられた際に言及していた。
  2. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  3. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。
  4. ^ 平成10年版「将棋年鑑」

関連項目

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外部リンク

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