国造神社
国造神社 | |
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所在地 | 熊本県阿蘇市一の宮町手野2100 |
位置 | 北緯32度59分22秒 東経131度7分27秒 / 北緯32.98944度 東経131.12417度座標: 北緯32度59分22秒 東経131度7分27秒 / 北緯32.98944度 東経131.12417度 |
主祭神 |
速瓶玉命 雨宮媛命 高橋神 火宮神 |
社格等 |
式内社(小) 旧県社 |
創建 | 伝景行天皇18年(88年) |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 北宮 |
例祭 | 7月26日 |
地図 |
国造神社(こくぞう じんじゃ、くにのみやつこ じんじゃ)は、熊本県阿蘇市一の宮町手野に鎮座する神社。旧官幣大社阿蘇神社の北方に鎮座するため、北宮と称される。延喜式内社で、旧社格は県社[1]。
由緒
[編集]延喜式神名帳に肥後国は四座が記されているが(健磐竜命神社・現阿蘇神社、阿蘇比咩神社・現阿蘇神社、国造神社、疋野神社)、その四座のうちの一座であり、熊本県内において、最も古い神社の一社である。肥後国誌によれば、崇神天皇の代に速瓶玉命が肥後国造に任命され、景行天皇18年(88年)に、国造神社を修造し祭典を整えたとある[2]。
父親である阿蘇神社の主祭神健磐龍命と共に阿蘇の地を開拓し、農耕・植林などを指導したとされる速瓶玉命(はやみかたまのみこと、「国造本紀」によれば初代阿蘇国造)を主祭神とし、御妃、御子息の合わせて4柱の神を祀る[3]。
現在の社殿は、寛文12年(1672年)、肥後熊本藩第3代藩主細川綱利によって造営された[4]。明治5年県社に列した。
鳥居の西60mの地点には、祭神の速瓶玉命の墓とされる上御倉古墳と、その妃の雨宮媛命の墓とされる下御倉古墳がある。これらの古墳は6世紀後半の横穴式石室をもつ円墳で、巨大な安山岩と阿蘇溶岩の切石で構成されており、熊本県を代表する巨石古墳である。
手野のスギ
[編集]境内にはかつて「手野のスギ(てののすぎ)」というスギの巨木が生育していた[5][6]。1924年(大正13年)12月9日に史蹟名勝天然紀念物保存法(当時)に基づいて国の天然記念物に指定されたが[7]、1991年(平成3年)9月27日、台風19号(りんご台風)の被害を受けて折損し、平成12年(2000年)に文化財保護審議会は天然記念物の指定解除を答申し[5][6][8]、同年9月6日付で指定解除された[9]。
祭神
[編集]- 速瓶玉命(はやみかたまのみこと) - 阿蘇神社主祭神健磐龍命の子。阿蘇国造大神。阿蘇神社では十一宮に奉斎。
- 雨宮媛命(あまみやひめのみこと) - 速瓶玉命の妃。蒲智比咩命(かまちひめのみこと)、海神の女神。郡浦神社主祭神。
- 高橋神(たかはしのかみ) - 速瓶玉命の第二子。
- 火宮神(ひのみやがみ) - 速瓶玉命の第三子。
例祭日
[編集]- 7月26日
文化財
[編集]重要無形民俗文化財(国指定)
[編集]- 阿蘇の農耕祭事(阿蘇神社と共に指定されている)
- 歌い初め、春祭り、おんだ祭り、風祭り、眠り流し、田の実祭
阿蘇市指定有形文化財
[編集]- 神殿・拝殿[10]
境内社
[編集]- 門守社
- 水神社
- 鯰宮
交通アクセス
[編集]- JR九州豊肥本線宮地駅からタクシーで15分
- 九州自動車道熊本インターチェンジから45㎞
出典
[編集]- ^ 熊本日日新聞編纂・発行『熊本県大百科事典』、1982年、375頁
- ^ 日本歴史地名大系44『熊本県の地名』平凡社、1985年、310頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年、481頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年、1297頁
- ^ a b 『天然記念物事典』、116頁。
- ^ a b 『日本の天然記念物』、151頁。
- ^ 大正13年内務省告示第777号
- ^ 史跡・名勝・天然記念物<平成12年5月> 文化庁ウェブサイト、2013年6月10日閲覧。
- ^ 平成12年文部省告示第150号
- ^ 阿蘇市ホームページ(指定文化財一覧)
参考文献
[編集]- 鈴木喬 『熊本の神社と寺院』 熊本日日新聞社、1980年、62-63頁
- 新熊本市史編纂委員会『新熊本市史、別編第2巻』熊本市、1996年、342-345頁
- 阿蘇惟之編 『阿蘇神社』学生社、2007年、218-220頁
- 沼田眞編集 『日本の天然記念物5 植物III』講談社、1984年。ISBN 4-06-180585-1、116頁。
- 文化庁文化財保護部監修『天然記念物事典』 第一法規出版、1981年、151頁。
関連項目
[編集]- 小国両神社 - 高橋大神、火宮大神を祭神とする。