大竹 (成田市)
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大竹 | |
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北緯35度48分36.1秒 東経140度16分37.0秒 / 北緯35.810028度 東経140.276944度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 成田市 |
標高 | 11 m |
人口 | |
• 合計 | 580人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
286-0841[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 成田 |
※座標・標高は大竹青年館付近 |
大竹(おおだけ)は千葉県成田市の大字。郵便番号は286-0841[2]。
地理
[編集]成田市の北西部に位置する。根木名川中流左岸、印旛沼東岸にあたる。北は栄町龍角寺、北東は上福田、南東は松崎、南は八代、西は印旛沼、北西は栄町酒直に接する。
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旧御子神家住宅
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旧学習院初等科正堂
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龍角寺古墳群
小字
[編集]- 惣代(そうしろ)
- 四斗蒔(よんとまき)
- 島合(しまあい)
- 嶋合下(しまあいした)
- 居鑓(いやり)
- 宮田(みやた)
- 内沼(うちぬま)
- 坂東下(ばんどうした)
- 坂東(ばんどう)
- 宮ノ谷津(みやのやつ)
- 下名木(しもなき)
- 坂東台(ばんどうだい)
- 馬渡(まわたし)
- 君作(きみさく)
- 竹ノ内(たけのうち)
- 台ノ下(だいのした)
- 作畑(さくばたけ)
- 台畑(だいばたけ)
- 古台(こだい)
- 堂谷津(どうやつ)
- 和田(わだ)
- 辺田(へだ)
- 小坪台(こつぼだい)
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歴史
[編集]江戸期には大竹村であり、はじめ佐倉藩領、享保8年(1723年)淀藩領、延享3年(1746年)から田安家領。村高は『元禄郷帳』567石余、『天保郷帳』『旧高旧領取調帳』ともに617石余であった。[4]
地名の由来
[編集]沿革
[編集]- 1875年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1878年(明治11年) - 下埴生郡に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し、松崎村、大竹村、上福田村、下福田村、宝田村、押畑村、山口村、米野村が合併し下埴生郡八生村が発足。八生村大字大竹になる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 下埴生郡は印旛郡に編入され、印旛郡八生村になる。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 八生村は成田町、公津村、中郷村、久住村、遠山村、豊住村とともに合併して成田市が発足。成田市大竹になる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大竹 | 243世帯 | 580人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5][6]。
地域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 成田市立八生小学校 | 成田市立玉造中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]施設
[編集]- 坂田ケ池総合公園
- 大竹青年館
- 浅間下公民館
- 千葉県立房総のむら - 旧・房総風土記の丘。史跡公園を含む体験型博物館。敷地の一部が地内にあたり、地内部分には旧御子神家住宅・旧平野家住宅・旧学習院初等科正堂を含む。
- 大和の湯
- 観行院
- 円光寺
- 威光院
脚注
[編集]- ^ a b “住民基本台帳字別人口”. 成田市 (2017年11月16日). 2017年11月29日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月28日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月29日閲覧。
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 184頁
- ^ “成田市立小学校通学区域”. 成田市 (2017年3月29日). 2017年11月29日閲覧。
- ^ “成田市立中学校通学区域”. 成田市 (2017年4月6日). 2017年11月29日閲覧。
関連項目
[編集]- 大竹(曖昧さ回避)
栄町酒直 | 栄町龍角寺 | 上福田 | ||
印旛沼 | ||||
大竹 | ||||
八代 | 松崎 |