山内弘
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山内弘 やまうち ひろし | |
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生年月日 | 1929年2月22日 |
出生地 |
日本 青森県中津軽郡相馬村 (現・青森県弘前市) |
没年月日 | 2006年6月30日(77歳没) |
出身校 |
弘前中学校卒業 (現・青森県立弘前高等学校) |
所属政党 | 日本社会党 |
選挙区 | 旧青森2区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1990年2月18日 - 1993年6月18日 |
青森県議会議員 | |
在任期間 | 1967年 - ? |
山内 弘(やまうち ひろし、1929年2月22日[1] - 2006年6月30日[2])は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。息子は、元青森県議会議員の山内崇[2][3](2011年青森県知事選挙立候補者、立憲民主党青森県連合代表)。
経歴
[編集]青森県中津軽郡相馬村(現・弘前市)生まれ。弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業[1]。卒業後は、弘前郵便局、弘前電話局、弘前電気通信管理所、黒石電報電話局、弘前電報電話局で勤務した[1]。1959年に弘前地方労働会議議長となった[1]。1967年に青森県議会議員に初当選した[1]。1990年第39回衆議院議員総選挙で反核燃を訴え、旧青森2区にて当選。1期務める[2]。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選した[4]。その後、青森4区からの立候補が予想されたが、最終的には木村太郎の応援に回った[5][6]。
2006年6月30日、多臓器不全により逝去[2]。享年77。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『青森県議会史 昭和42年~昭和45年 739コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d “過去の訃報(2006年)”. デーリー東北. 2011年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月25日閲覧。
- ^ 産経新聞 (2018年7月21日). “立民、青森県連合が設立 山内崇代表「野党共闘のスタートライン」”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年10月14日閲覧。
- ^ 『政界春秋 21(9) 11コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『政界春秋 24(10) 13コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『野田経済 12月(1582) 35コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション