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山内弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山内弘
やまうち ひろし
生年月日 1929年2月22日
出生地 日本の旗 日本 青森県中津軽郡相馬村
(現・青森県弘前市
没年月日 (2006-06-30) 2006年6月30日(77歳没)
出身校 弘前中学校卒業
(現・青森県立弘前高等学校
所属政党 日本社会党

選挙区 旧青森2区
当選回数 1回
在任期間 1990年2月18日 - 1993年6月18日

在任期間 1967年 - ?
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山内 弘(やまうち ひろし、1929年2月22日[1] - 2006年6月30日[2])は、日本政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。息子は、元青森県議会議員の山内崇[2][3]2011年青森県知事選挙立候補者、立憲民主党青森県連合代表)。

経歴

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青森県中津軽郡相馬村(現・弘前市)生まれ。弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を卒業[1]。卒業後は、弘前郵便局、弘前電話局、弘前電気通信管理所、黒石電報電話局、弘前電報電話局で勤務した[1]1959年に弘前地方労働会議議長となった[1]1967年に青森県議会議員に初当選した[1]1990年第39回衆議院議員総選挙で反核燃を訴え、旧青森2区にて当選。1期務める[2]1993年第40回衆議院議員総選挙で落選した[4]。その後、青森4区からの立候補が予想されたが、最終的には木村太郎の応援に回った[5][6]

2006年6月30日、多臓器不全により逝去[2]。享年77。

脚注

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  1. ^ a b c d e 青森県議会史 昭和42年~昭和45年 739コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c d 過去の訃報(2006年)”. デーリー東北. 2011年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月25日閲覧。
  3. ^ 産経新聞 (2018年7月21日). “立民、青森県連合が設立 山内崇代表「野党共闘のスタートライン」”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年10月14日閲覧。
  4. ^ 政界春秋 21(9) 11コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 政界春秋 24(10) 13コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 野田経済 12月(1582) 35コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション