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平田紀一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平田 紀一
生誕 1886年3月17日
福島県大沼郡高田町
死没 (1938-05-28) 1938年5月28日(52歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学独法科
職業 群馬県知事
山梨県知事
富山市長
内務官僚
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平田 紀一(ひらた きいち / のりかず[1]1886年明治19年)3月17日[2] - 1938年昭和13年)5月28日[3])は、日本の官僚山梨県知事群馬県知事富山市長を歴任した。

生涯

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現在の福島県会津美里町出身。三高[4]を経て1911年(明治44年)に東京帝国大学を卒業。法科大学法律学科(独法)の同期生に石坂泰三重光葵正力松太郎などがいる[5]。同年に高等文官試験に合格し、内務省に入省した。

経歴

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平田の官歴は茨城県属に始まり、警視として富山県で警務課長、衛生課長を務める。富山はおよそ20年後に市長に迎えられる地であった。大阪府理事官、同工場課長を経て、米国出張。鎌田栄吉河原田稼吉らと国際労働会議に参加した[6]佐賀県警察部新潟県警察部の各警察部長滋賀県内務部長を経て、太田政弘警視総監のもとで警視庁官房主事[7]を務めた。次いで本省で警保局図書課長、都市計画課長を務めるなど、平田の官歴は順調なものであった[8]1929年(昭和4年)7月5日、山梨県知事に起用されたが、この知事起用は抜擢であった[4]。同年3月29日には山梨県体育協会が総説され、平田は初代総裁となり、会長に伊藤爽也、理事長には山梨日日新聞社社長の野口二郎が就任した[9]

山梨県知事には2年弱在任した後群馬県知事に補されるが、約半年後の1931年(昭和6年)12月18日に休職[10]1932年(昭和7年)1月29日、依願免本官となり退官した[11]1935年(昭和10年)に富山市長に就任したが、病を得て9ヶ月で退任となった。日本赤十字社特別社員[12]会津会会員[13]、享年53[4]

知事・市長

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平田は濱口内閣によって山梨県知事に起用された。内閣の政策に沿って県公私経済緊縮委員会を設けて緊縮政策をとる。安達謙蔵内相が来県した際は発起人として歓迎会を開き、地方病撲滅、富士川改修などを要望した[14]。平田は昭和恐慌の対策を行い民政知事といわれた[14]。しかし一方では平田と民政党の癒着を弾劾する県民大会が開かれている[15]濱口雄幸総理が銃撃され内閣は総辞職となり、後継の第二次若槻内閣によって群馬県知事に移る。在任中に上越線清水トンネルが開通し、県内の温泉資源の開発が課題となった。平田は県会で積極的な姿勢を示し、国立公園指定運動の契機をつくる[16]。若槻内閣の後に政友会を基盤とする犬養内閣が成立し、平田は知事を解任された。富山市長の在任は短期間であったが、日満産業大博覧会の準備、隣接する町村との合併計画、工場誘致などに着手し、富山市民の信望を得ていた[17]

栄典

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脚注

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注釈
出典
  1. ^ 人事興信所『人事興信録 第7版』、1925年、ひ40頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、90頁。
  3. ^ 東京朝日新聞』1938年5月30日朝刊、11面の訃報より。
  4. ^ a b c 『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』473頁。
  5. ^ 『東京帝国大学卒業生氏名録』
  6. ^ 大阪毎日新聞 1919.10.8”. 神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ. 2013年1月15日閲覧。
  7. ^ 地方高等官一覧表(大正13年12月1日現在)”. アジア歴史資料センター Ref.A05020323100、種村氏警察参考資料別冊1(内務省高等官一覧表). 2013年1月15日閲覧。
  8. ^ 『日本知事人名辞典 第1巻』295頁
  9. ^ 『山梨県史 資料編19』1322頁。
  10. ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
  11. ^ 『官報』第1523号、昭和7年1月30日。
  12. ^ 第94号 7.1.13 日本赤十字社特別社員平田純一外7名有功章授与の件”. アジア歴史資料センター Ref.C05022455700、公文備考 昭和7年 S団体法人 巻1. 2013=01-15閲覧。(表題は「平田純一」となっているが内容は「平田紀一」である。)
  13. ^ 『会津会雑誌第51号』(昭和12年12月発行)
  14. ^ a b 『日本の歴代知事(第2巻上)』「山梨県知事 平田紀一」
  15. ^ 山梨県の歴史”. 山梨県. 2013年1月15日閲覧。
  16. ^ 『日本の歴代知事 第2巻上』「群馬県知事 平田紀一」
  17. ^ 『日本の歴代市長 第2巻』「富山市長 平田紀一」
  18. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代知事 第2巻上』、1981年。
  • 歴代知事編纂会編『日本知事人名事典 第1巻』日本図書センター、2012年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第2巻』、1984年。
  • 山梨県編『山梨県史 資料編19 近現代6 教育・文化』山梨日日新聞社、2002年。
  • 秦郁彦『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
公職
先代
野村嘉六
富山市長
第15代:1935年
次代
山崎定義