日高忠男
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日高 忠男(ひだか ただお、1896年(明治29年)1月6日 - 1974年(昭和49年)5月31日[1][2])は、日本の医師、政治家。衆議院議員(当選1回)、医学博士。日高央は親戚
経歴
[編集]島根県邑智郡、後の出羽村(瑞穂町[3]を経て現邑南町)で生まれる[3]。旧制島根県立杵築中学校、旧制第六高等学校を経て、1922年(大正11年)京都帝国大学医学部を卒業[1][3]。その後、同大学院で研修し[1]、1929年(昭和4年)医学博士を取得した[1][3]。興仁会病院(浜田市)勤務、浜病院(新宮市)勤務を経て[1]、1931年(昭和6年)松江市で日高医院を開業した[3]。
1947年(昭和22年)島根県医師会長に就任[3]。1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙に島根県全県区から自由党から立候補して3位で当選[4][5]。1953年(昭和28年)第26回衆議院議員総選挙に立候補するも7位に敗れて引退[5]。この選挙では、自由党から日高のほか高橋円三郎、大橋武夫が立候補(いずれも当選)しており乱戦となっていた[5]。
1967年(昭和42年)自由民主党島根県連会長に就任した[3]。
1974年、急性肺炎により松江市の自宅にて死去、78歳[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。