浅野忠愛
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 宝暦2年4月20日(1752年3月3日) |
死没 | 寛政5年10月12日(1793年11月15日) |
別名 | 通称:甲斐 |
墓所 | 広島県三原市本町妙正寺 |
主君 | 浅野重晟 |
藩 | 安芸広島藩家老 |
氏族 | 浅野氏 |
父母 | 父:浅野忠綏、養父:浅野忠正 |
兄弟 | 忠晨、忠愛、高景 |
子 | 養子:忠順 |
浅野 忠愛(あさの ただよし)は、江戸時代中期の安芸国広島藩の家老。三原浅野家第8代。
略歴
[編集]宝暦2年(1752年)4月20日、三原浅野家第5代忠綏の三男として安芸広島で生まれる。兄の6代忠晨は病のため隠居し、宝暦9年(1759年)に叔父の忠正が三原家7代を継いでいたが、忠正は明和3年12月(1767年)に死去したため、翌明和4年2月(1767年)に忠愛が16歳で家督を相続した。
明和7年(1770年)5月、浅野忠吉百五十四回忌に、妙頂寺の霊屋を修復した。明和8年(1771年)6月、三原で関船天神丸を建造する。
安永7年(1778年)2月、広島藩が幕府より日光東照宮宮殿の修復を命じられ、その総司を務めた。
寛政5年(1793年)10月12日、広島で死去、享年42。菩提寺の妙正寺に葬られた。藩主浅野重晟の七男忠順が養子入りし、4歳で家督を相続した。