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渡辺三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺 三郎
わたなべ さぶろう
生年月日 (1926-12-23) 1926年12月23日[1]
出生地 山形県米沢市[1]
没年月日 (2003-02-14) 2003年2月14日(76歳没)[1]
死没地 山形県山形市
出身校 米沢商業高等学校[1]
前職 県労評事務局長
山形県議会議員[1]
所属政党日本社会党→)
無所属
称号 勲二等瑞宝章

日本の旗 衆議院議員
選挙区 旧山形1区
当選回数 5回
在任期間 1972年 - 1986年

山形県議会議員
当選回数 2回
在任期間 1966年 - 1972年
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渡辺 三郎(わたなべ さぶろう、1926年12月23日 - 2003年2月14日)は、日本政治家日本社会党衆議院議員(5期)。山形県議会議員(2期)。1998年勲二等瑞宝章受賞[2]

経歴・人物

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山形県米沢市出身。1944年米沢商業高等学校卒。社会党に入党し1966年山形県議に当選。

党公認として1972年第33回衆議院議員総選挙旧山形1区から出馬。当選して5期務める。労働関連に精力を傾け、党国会対策副委員長などを歴任した[3]

1986年第38回衆議院議員総選挙では交代を求める声や、党内の勢力比などから、党県本部は渡辺をおろし、新顔の五十嵐恒男を擁立するが、党の公認が得られないまま無所属で出馬。除名処分となり[4]、落選した。

2003年2月14日気管支肺炎のため死去。享年76[3]

著書

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  • 『新中国の現実』渡辺三郎、1961年。

脚注

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  1. ^ a b c d e 渡辺 三郎 ワタナベ サブロウ”. コトバンク. 新訂 政治家人名事典 明治~昭和 (2003年). 2019年9月18日閲覧。
  2. ^ 「春の叙勲 県内から56人」『朝日新聞』山形版 1998年4月29日
  3. ^ a b 『朝日新聞』2003年2月16日
  4. ^ 「社会党山形本部 渡辺三郎氏を除名」『朝日新聞』1986年6月22日