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2022年10月6日 (木) 22:15時点における版

名古屋中学校・高等学校
地図北緯35度11分22.9秒 東経136度57分22.7秒 / 北緯35.189694度 東経136.956306度 / 35.189694; 136.956306座標: 北緯35度11分22.9秒 東経136度57分22.7秒 / 北緯35.189694度 東経136.956306度 / 35.189694; 136.956306
過去の名称 私立愛知英語学校
名古屋英和学校
名古屋中学校(旧制)
名古屋学院中学校・高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人名古屋学院
校訓 敬神愛人
設立年月日 1887年明治20年)7月11日
創立者 フレデリック・チャールズ・クライン
共学・別学 男子校
中高一貫教育 併設型(一部外部混合)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 6年文理コース(中高一貫)
文理コース
学期 3学期制
学校コード D123310000070 ウィキデータを編集(高等学校)
C123310000072 ウィキデータを編集(中学校)
高校コード 23519K
所在地 461-8676
愛知県名古屋市東区砂田橋二丁目1-58
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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フレデリック・チャールズ・クライン
名古屋英和学校時代の校舎

名古屋中学校・高等学校(なごやちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、愛知県名古屋市東区砂田橋に所在し、中高一貫教育を提供する、プロテスタントメソジスト派の私立男子中学校高等学校名古屋学院大学は同系列であったが、1973年昭和48年)に学校法人名古屋学院から分離したため、大学は別法人である。

高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では、入学試験が上位選抜クラスを除いて3年間別クラスになる併設型中高一貫校[1]

概要

明治初期、米国メソジスト教会から横浜英和学校に派遣された宣教師フレデリック・クラインは、その後単身名古屋に乗り込んだ。そしてその地で創立されたのが名古屋英和学校である。幾度かの改名を経て現在の名古屋中学校・高等学校に至る。内村鑑三が教壇に立ったこともあり、明治以来の旧制中学校より続く伝統校として知られる。キリスト教精神に基づいて教育を行っている。

男子校ということもあり、教員も男性が多い。制服は一般的な金ボタン5個の黒詰襟学生服(標準学生服)で襟の右側に校章を形どった襟章(中学校は「名中」、高校は「名髙」)バッジを付ける。以前は制帽(学帽)も制定されていたが、現在は入学式や卒業式において旗手のみ着用している。2019年令和元年)度より襟カラー無しのラウンドカラーと似ている制服が新しく導入された。創立120周年記念事業の一環として同敷地内に新校舎および体育館、温水プール、クラブハウス、北グラウンドが完成し、2011年平成23年)1月から、新校舎へ機能を移した。さらに、2024年(令和6年)度に向け女子部を設立する計画もある。

略称は「名中(なちゅう)」および「名高(なこう)」である。

2000年(平成12年)1月に名古屋市営地下鉄名城線 砂田橋駅が敷地内に開業した。そのため「傘なしで通える」をキャッチコピーにしたこともあった。

国際交流教育が盛んであり、兄弟校であるオーストラリアメントーン・グラマー・スクール英語版 に毎年短期、長期留学の派遣や受け入れを行っている。メントン校の生徒と共に第二次世界大戦中の激戦地、パプアニューギニアココダトレイル)英語版 を踏破し、慰霊研修をしたこともある。イギリスイートン校とは交流校であり、生徒の派遣やイートン卒業生の受け入れ、サッカー国際親善試合などをおこなっている。また台湾有数の名門校である台北市立建国高級中学2013年(平成25年)から交流試合を開催し、スポーツを通じた国際交流活動が積極的に行われている。

2016年(平成28年)度から名古屋高等学校は文部科学省によりスーパーグローバルハイスクール(SGH)アソシエイトに指定され、SGHアソシエイトとして、「減災・環境・エネルギー」を研究テーマに、「環境・経済・社会の統合的な発展」に向けて行動できるリーダーの育成を掲げている。尚SGHアソシエイトとはSGHに登録されなかった高校が現状全て登録されている。 2024年(令和6年)4月1日に女子部を設置することを公表した。

校訓

校訓(建学の精神)は創立者フレデリック・クラインが掲げた「敬神愛人」、新約聖書マタイによる福音書第22章37節 - 39節に由来する言葉である。この言葉は、神を敬い、神から与えられた自己の能力を最大限に伸ばし、その能力を社会のために、人にために惜しみなく用いなさいという聖書の教えを表現したものである。

教育の理念

創立以来の建学の精神である「敬神愛人」に基づいて、「崇高な真理を追い求め、真に人々から求められる社会の主導者たる紳士を育成し、人類の幸福と社会の発展に寄与すること」を教育の理念としている。

教育の目標

  • 1.勉学を通して豊かな知性を育み、どこまでも真理を探究する力を持った青年を育成する。
  • 2.他者をいたわり、自己を戒め、人類・社会の発展に貢献する使命を自覚した有能な青年を育成する。
  • 3.仲間と学び、心身を鍛え、思想を共にして豊かな学校生活を築く青年を育成する。

設置形態

  • 名古屋中学校
  • 名古屋高等学校
    • 6年文理コース(中学校からの内部進学者)
    • 3年文理コース(高等学校からの外部進学者)

※ 6年文理コースの選抜クラスと3年コースの選抜クラスは、高校2年生で混合してクラスを編成する。

沿革

  • 1880年明治13年) - 宣教師ブリテンによりブリテン女学校(現在の横浜英和女学院中学校・高等学校)創立。その後、男女共学になり米国メソジスト教会から派遣された宣教師クライン博士が男子部を担当。
  • 1886年(明治19年) - 男女別学となる。
  • 1887年(明治20年) - 7月、移転する形で、クラインが南武平町(現名古屋市東区東桜)に私立愛知英和学校創立。同年11月、校名を名古屋英和学校と改めた。
  • 1896年(明治29年) - 内村鑑三が教員(神学部長)として着任。
  • 1898年(明治31年) - 長久寺町に移転(現金城学院中学校)。
  • 1906年(明治39年) - 旧制名古屋中学校と改称。
  • 1925年大正14年) - 第一校歌「曙の空」制定。
  • 1945年(昭和20年) - 3度にわたる名古屋空襲のため、校舎が全焼。
  • 1947年昭和22年) - 新制名古屋中学校発足[2]
  • 1948年(昭和23年) - 新制名古屋高等学校発足。
  • 1952年(昭和27年) - 旧校地を金城学院中学校に譲渡し、現校地に移転。
  • 1957年(昭和32年) - 10月8日の献堂式をもって、学院チャペル=クライン・メモリアル・チャペルがほぼ完成。
  • 1959年(昭和34年) - 第二校歌「希望羽ばたく」制定。
  • 1964年(昭和39年) - 名古屋学院大学設立(1973年(昭和48年)、負債問題などにより法人分離)
  • 1968年(昭和43年) - 名古屋学院中学校・名古屋学院高等学校と改称。
  • 1983年(昭和58年) - 創立100周年を目指して、全校舎の防音冷暖房工事を開始。工事は予定通り、1987年(昭和62年)に完成。
  • 2000年平成12年) - 校名を名古屋中学校・名古屋高等学校に戻す。1月には、名古屋地下鉄4号線(現在の名古屋市営地下鉄名城線)が延長され、校地の角に、砂田橋駅入口ができた。
  • 2002年(平成14年) - 創立115周年を記念し、115ホールを施工。新高山ホールが完成。
  • 2003年(平成15年) - 115ホール(現3号館)完成。
  • 2008年(平成20年) - 創立120周年記念事業の一環で新校舎および附属施設の建設着工。
  • 2009年(平成21年) - 新校舎および附属施設一部完成(新体育館・室内プール)。二期工事開始。
  • 2010年(平成22年) - 新校舎および付属施設が全て完成。これに伴い、115ホールが3号館に名称変更。学食(ランチルーム:長久館、高校生限定)新規増設。
  • 2011年(平成23年) - 北グラウンド(人工芝)完成。
  • 2016年(平成28年) - 文部科学省によりスーパーグローバルハイスクール(SGH)アソシエイトに指定。
  • 2019年令和元年) - 第2・4土曜日においての半日授業を廃止。
  • 2021年(令和3年) - 個人学習端末(iPad)を導入した。
  • 2024年(令和6年) -女子部を設置予定。

基礎データ

アクセス

象徴

校章
中学の校章は縦に長い長方形で、篆書体で「名中」を縦に書いたもの。高校の校章は円型の枠の中に、2つの橄欖の枝をリボンで結び、真ん中に篆書体で「名高」と縦に書かれたものとなっている。
校旗
紅梅(真紅)染めの旗に、白色で橄欖の枝と篆書体で「名中」と「名高」それぞれに別れて描かれている。現在エントランスの中央に掲げられているものは、旧制中学校時代の校旗である。現在に比べて縁にフレンジが付けられていて高級感があるものとなっている。
スクールカラー
校旗の色にちなんで、紅梅(真紅)色がスクールカラーである。
学院エンブレム
上部に名古屋学院創立の年を示す「SINCE 1887」、左上に聖書のラテン語である「TIMETE DEUM」、右上に旧校名である名古屋英和学校「Nagoya Anglo Japanese College」を示す旧校章、左下に平和を象徴する「橄欖の枝」、右下に学院の象徴とも言える「クラインズ・メモリアル・チャペル」下部には敬神愛人の英語「FEAR GOD LOVE PEOPLE」と「NAGOYA GAKUIN」の文字、そして中央にキリスト教主義を示す十字架が掲げられている。制服では、学年によって色が違うエンブレムが印刷されている。赤、黄、白色がある。
校歌
第一校歌「曙の蒼空」(作詞:山中利幸、作曲:津川主一)と第二校歌「希望羽ばたく」(作詞:門田ゆたか、作曲:古関裕而)があり、現在においては、第二校歌のみ歌われている。普段の全校集会では1番までしか歌われていない。3番まで歌う公式行事は入学式卒業式だけである。

キリスト教主義

チャペル礼拝

名古屋学院のキリスト教教育の根幹と位置づけられており、週1回、中学・高1・高2・高3の4つに分かれて朝、校内のクライン・メモリアル・チャペルにて礼拝が行われる。また様々な行事や週1回の聖書の授業を通して、人間性と教養を深める人格教育をおこなっている。

なお、チャペルの塔の上に輝く十字架の下の球+円盤状のものは、UFOではなく、世界のために愛をもって働くという理念を象徴した地球儀が掲げられている。

宗教行事

宗教行事は、聖書の授業・礼拝と共に、名古屋学院の教育の中心である。下記の行事以外の、入学式・卒業式などの学校行事は、すべて礼拝の形式を採り入れられている。

  • 春季伝道週間
  • 秋季伝道週間
  • クリスマス礼拝 - クリスマス礼拝では世の中で悩み、苦しんでいる人々の友であったイエス、世のすべての人のために、自ら犠牲にならせたイエスにならって献金を捧げる。この献金は主にキリスト教系諸団体の社会福祉施設などに送られる。

部活動

生徒会活動・自主活動の一つの重要な柱として、「各自の心身を錬成し、趣味の向上を図り、豊かな学生生活を送る目的」をもとに、多くのクラブが設置されている。

下記のクラブは高校のクラブであって、中学のクラブは高校よりも少ない。

運動部

文化部

研究会・同好会

校外学習活動

中学

修養会
新入生が御殿場へ行き、キリスト教について学び、礼拝を行い、学院の歴史を学び、山登り・自然観察などを2泊3日で行われる。双子山へも登る。
野外実習
中2の時にスキー実習が行われる。
研修旅行
中3の秋に3泊4日で鹿児島・種子島・屋久島を訪れる。「観光型」ではなく「体験型」であることが大きな特徴と言える。

高校

修学旅行
高2の時に3泊4日の沖縄修学旅行がある。しかし、2020年(令和2年)度高校2年生の修学旅行は、新型コロナウィルスの影響で行われず、代替案を検討すると発表されたが、それも断念された。
マラソン大会
毎年2月に高1・2年生でマラソン大会がある。
芸術鑑賞
高校3学年挙って年に1回芸術鑑賞がある。古典芸能ミュージカル、音楽の鑑賞や、芸術に関する講演を聴く。

生徒会活動

主な概要

名古屋学院においては、戦前から校友会1941年(昭和16年)に名古屋中学校報国団と改称)はあったが、戦後のGHQによる「日本民主化指令」のもとに学校にも民主主義が取り入れられた。

  • 1948年(昭和23年)
    • 5月5日 - 少年少女の日(こどもの日)に生徒協議会を開催した。その内容は「民主主義と学生生活自治会の運営並びに校舎清潔整頓等」についてのクラス討論であった。
    • 10月25日 - 会長及副会長選挙管理委員会成立。中高別。
    • 11月5日 - 全校自治会会長副会長選挙によって生徒自治会(翌年5月2日に軍政部の指示により生徒会と改称)が発足した。

発足当初から中学と高校それぞれに独立した生徒会が設置されている。現在でも変わりないが、合同で行う行事の運営などで執行部同士の交流がある。なお、中学生徒会会則(高校では当条項廃止)には合同執行委員会によって合同代議員会が招集される制度がある。中高での予算分配やその他指定事項においては最高議決機関である。

生徒会行事

新入生歓迎集会
1983年(昭和58年)から生徒会主催で始まった。中高それぞれが開催し、内容は新入生向けで、チャペルにて吹奏楽部の歓迎演奏・生徒会執行部による学校紹介に続き各クラブの紹介勧誘等がある。
対面式
初めての全校一斉朝礼(生徒総会)のついでに行われる。副会長が仕切ることになっている。グラウンドで隊列ごと向き合い、上級生がしゃがんで新入生を見ることになっている。実際には新入生の最前列の顔しか見ることが出来ない。
愛校祭
1952年(昭和27年)から年に1回行われ今日におよんでいる愛校祭は、名古屋中学校・高等学校の文化祭体育祭の総称である。原則として文化祭は毎年9月第3週の金・土曜日に、体育祭は10月に生徒会の主催で開催される。文化祭は中高同日開催で、体育祭は中高別日で開催される。中学では、音楽祭も併せて愛校祭と呼ぶ。文化祭においては生徒会企画・クラス企画・クラブ企画・有志企画の他に、他校にない保護者もこぞって参加する、特色的なPTA企画がある。文化祭は2日制であり、1日目は学内開催、2日目は一般開催されている。チケットなどによる入場制限が無いため、毎年多くの来場者を呼ぶ。
球技大会
高校では、各学年ごとに開催される。2020年(令和2年)度より学年行事に改称した。
学年行事の日
高校の行事で、学年ごとに開催される。生徒が自主的、協調的に計画できる行事である。
高校生徒会機関誌大幸」の発行
1957年(昭和32年)2月20日に第1号が発行され、当初のタイトルは「野郎共」だが、1960年(昭和35年)に通し番号はそのまま「大幸」と改題し今日におよぶ。毎年2月下旬に発行される生徒目線で学校の1年間を収録した冊子である。中学生徒会機関誌「紅梅」もある。
予餞会
3年生の送別会のこと。高3の卒業礼拝の際に、生徒会が開催する行事である。

高校関係者組織

同窓会
「敬愛同窓会」と呼ばれている。大幸校地3号館の1階に事務所を持つ。
教職員組合組織
愛知県私立学校教職員組合連合(愛知私教連)に加盟する名古屋学院職員組合(第一組合)と、私教連とは無関係の教職員組合協議会(第二組合)がある。前者は1956年(昭和31年)に結成され、後者は第一組合脱退者により1972年(昭和47年)に結成された。

出身者

学者

政治

文化・芸術

報道

スポーツ

その他

不祥事

2022年、名古屋学院の理事長が女性職員に対し、「何も考えないのは昆虫と一緒だ」などと発言し、第三者委員会でパワーハラスメントと認定された。[3]学校側は、「書かれた内容や経緯についてはほぼ報道通り」とした上で、「臨時理事会、臨時評議員会を通して、この件についての対応を協議していく」とコメントした。[4]なお、理事長は辞職した。[5]

関連項目

脚注

  1. ^ 名古屋中学校の教育 の「中高6年一貫教育」の冒頭による。ただし、6年文理コース(中高一貫)のうち「文理T(トップ)クラス」の進学者に限り、高等学校第2学年以降、高等学校から入学した「3年Aクラス」の生徒との混合クラスになることで、外部混合は部分的に存在する。
  2. ^ 沿革 - 名古屋中学校・高等学校
  3. ^ 名古屋学院でパワハラ 理事長、職員への発言認定”. 中日新聞. 2022年7月29日閲覧。
  4. ^ 7/27(水)中日新聞朝刊の報道について”. 学校法人名古屋学院. 2022年7月29日閲覧。
  5. ^ 中日新聞朝刊で報道された内容について対応”. 学校法人名古屋学院. 2022年8月19日閲覧。

参考文献

  • 名古屋学院百年史編集委員会『名古屋学院百年史』名古屋学院、名古屋、1987年10月。 NCID BN03288501OCLC 681806248 
  • 名古屋中学校「学校生活のしおり」(2019年(令和元年)版)
  • 名古屋高等学校「学校生活のしおり」(2018年(平成30年)版)
  • 名古屋高等学校生徒会機関誌「大幸」

外部リンク