瑞穂村 (鳥取県気高郡)
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みずほそん 瑞穂村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年7月1日 |
廃止理由 |
新設合併 宝木村、酒津村、瑞穂村、逢坂村、浜村町 → 気高町 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 気高郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 7.16 km2 |
総人口 |
1,488人 ([1]、1955年) |
隣接自治体 | 宝木村、浜村町、鹿野町(初代)、勝谷村 |
瑞穂村役場 | |
所在地 | 鳥取県気高郡瑞穂村大字下坂本字上ノ谷60番地[2] |
座標 | 北緯35度29分35秒 東経134度04分08秒 / 北緯35.49314度 東経134.06878度座標: 北緯35度29分35秒 東経134度04分08秒 / 北緯35.49314度 東経134.06878度 |
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瑞穂村(みずほそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは気多郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市気高町下坂本・気高町宿・気高町土居・気高町重高・気高町二本木・気高町日光に相当する。河内川の中・下流域左岸に位置した。
村名は瑞々しい地で豊作を期待して命名された好字地名とされる[3]。
藩政時代には鳥取藩領の気多郡坂本郷(さかもとのごう)に属する宿村・土居村・重高村・二本木村・下坂本村・日光村があった。和名類聚抄に坂本郷の名が見え、古代から呼称されていた地名であると考えられる。現在も下坂本という大字として残っているが、一説には天正年間の頃に坂本助左衛門という豪農がここにおり、その名を取って坂本村と呼ばれるようになったと伝えられている[1]。
沿革
[編集]- 元禄14年(1701年) - 土居村が片山村を合併する[1]。
- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年) - 宝木宿(後の宝木村大字宝木)に設置された連合戸長役場の管轄区域となる。ただし日光村のみ勝見村(後の正条村大字勝見)の管轄区域となる[4]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、宿村・土居村・重高村・二本木村・下坂本村・日光村が合併して村制施行し、気多郡瑞穂村が発足。旧村名を継承した6大字を編成し、役場を下坂本村に設置[1][5]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡瑞穂村となる。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 「瑞穂村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「瑞穂村大字◯◯」と改称[6]。
- 1955年(昭和30年)7月1日 - 宝木村・酒津村・逢坂村・浜村町と合併し、気高町が発足。同日瑞穂村廃止[7]。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 池本潔 | 1889年(明治22年)11月19日 | 1893年(明治26年)11月18日 | |
2 | 池本潔 | 1893年(明治26年)11月18日 | 1897年(明治30年)11月17日 | |
3 | 池本潔 | 1897年(明治30年)11月30日 | 1901年(明治34年)11月29日 | |
4 | 池本潔 | 1901年(明治34年)12月7日 | 1903年(明治36年)5月27日 | 辞任 |
5 | 富山房次郎 | 1903年(明治36年)6月24日 | 1907年(明治40年)6月23日 | |
6 | 堀尾平五郎 | 1907年(明治40年)7月3日 | 1910年(明治43年)2月28日 | 辞任 |
7 | 徳田榮三郎 | 1910年(明治43年)3月8日 | 1914年(大正3年)3月7日 | |
8 | 堀尾梶太郎 | 1914年(大正3年)3月16日 | 1916年(大正5年)3月3日 | 辞任 |
9 | 村上千代蔵 | 1916年(大正5年)3月10日 | 1920年(大正9年)3月9日 | |
10 | 太田智耶理 | 1920年(大正9年)4月19日 | 1924年(大正13年)4月18日 | |
11 | 中原久太郎 | 1924年(大正13年)5月19日 | 1924年(大正13年)11月28日 | 辞任 |
12 | 堀尾富三郎 | 1925年(大正14年)1月28日 | 1925年(大正14年)5月18日 | 辞任 |
13 | 堀尾富三郎 | 1925年(大正14年)6月8日 | 1926年(大正15年)5月8日 | 辞任 |
14 | 堀尾梶太郎 | 1926年(大正15年)5月25日 | 1928年(昭和3年)9月18日 | 死亡 |
15 | 太田智耶理 | 1928年(昭和3年)10月1日 | 1932年(昭和7年)9月30日 | |
16 | 太田智耶理 | 1932年(昭和7年)10月1日 | 1934年(昭和9年)5月22日 | 病気 |
17 | 富山長一郎 | 1934年(昭和9年)6月1日 | 1938年(昭和13年)5月31日 | |
18 | 冨山長一郎 | 1938年(昭和13年)6月1日 | 1942年(昭和17年)5月31日 | |
19 | 木下懿太郎 | 1942年(昭和17年)6月1日 | 1943年(昭和18年)5月26日 | 辞任 |
20 | 中原政太郎 | 1943年(昭和18年)8月24日 | 1946年(昭和21年)6月28日 | 辞任 |
21 | 原哲夫 | 1946年(昭和21年)7月15日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
22 | 村中治郎兵衛 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1955年(昭和30年)6月30日 | |
参考文献 - [1] |
教育
[編集]- 瑞穂村立瑞穂小学校(現・鳥取市立瑞穂小学校)[1]
- 瑞穂村酒津村学校組合立気高中学校:所在地は宝木村大字宝木、現在の気高電機の位置。気高町発足後の1956年(昭和31年)4月1日に宝木中学校と合併。1968年(昭和43年)4月に気高町内の中学校統合により新・気高中学校となり、現在は鳥取市立気高中学校となる[1]。
交通
[編集]鉄道
[編集]- 最寄りの駅:宝木駅
道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 気高町誌(気高町教育委員会、1977年)
- ^ 鳥取県気高郡勢要覧 大正11年(鳥取県気高郡、1924年)
- ^ 鳥取県の地名由来語源参考 : 平成の地名(森納、2009年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年12月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第312号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 第2628号』1955年6月28日(鳥取県立公文書館)