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県犬養姉女

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県犬養 姉女(あがたのいぬかい の あねめ、生没年不詳[1])は、奈良時代中期の女官

人物

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淳仁朝天平宝字7年(763年)に従六位下から従五位下に叙され、ついで藤原仲麻呂の乱直後の翌8年(764年)9月、一族の内麻呂らとともに大宿禰を賜った。天平神護元年(765年)正月には仲麻呂の乱の論功褒賞で従五位上にまで昇ったが、神護景雲3年(769年)、忍坂女王石田女王不破内親王らと共謀して塩焼王の子・氷上志計志麻呂天皇に擁立しようとしたとして、称徳天皇を呪い殺そうとした嫌疑を受け氏の名を犬部と改めさせられ遠流に処された[2]。その後の宝亀2年(771年)に前の嫌疑は丹比乙女の讒言だったとして本姓に復した[3]。翌年の宝亀3年(772年)正月には再び従五位下に叙せられた[4]

官歴

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『続日本紀』による

脚注

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 11頁。
  2. ^ 『続日本紀』巻第二十九、称徳天皇、神護景雲3年5月29日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第三十一、光仁天皇、宝亀2年8月8日条
  4. ^ 『続日本紀』巻第三十二、光仁天皇、宝亀3年正月10日条

関連項目

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参考

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