第1回全国同時地方選挙 (韓国)
第1回全国同時地方選挙 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 제1회 전국동시지방선거 |
漢字: | 第一回全國同時地方選擧 |
第1回全国同時地方選挙(だい1かい ぜんこくどうじ ちほうせんきょ)は、大韓民国における地方自治団体である広域自治団体(特別市・広域市・道)と基礎自治団体(自治区・市・郡)の首長と議会議員を選出するため1995年6月27日に行われた地方選挙である。
概要
[編集]今回の選挙は、これまで中央政府による任命制[1]であった道知事と広域市市長の公選制を35年ぶりに復活してから初めての選挙となった。また選挙は全国規模で行われたため、金泳三政権への中間評価の意味合いが強いものとなり、激しい選挙戦が展開され、選挙の結果、与党・民主自由党(民自党)が敗北する結果となった。同時に、民自党は嶺南(釜山広域市・大邱広域市・慶尚北道・慶尚南道)で、野党第一党の民主党は湖南(光州広域市・全羅北道・全羅南道)、民自党と袂を分かった金鍾泌が中心となって結成した自由民主連合(自民連)は忠清道(大田広域市・忠清北道・忠清南道)で圧倒的優位を占める結果となり、民主化以降の韓国政治を左右している地域感情が強く反映された選挙結果となった。尚、地方選挙と国会議員選挙の間隔を2年毎に調整するため、首長と議員の任期は今回の選挙に限り3年となっている。
この選挙では、これまで大統領選挙法、国会議員選挙法・地方議会議員選挙法及び地方自治団体の長選挙法と、各種選挙で分かれていた公職者選挙に関する法律が廃止され、新たに制定された「公職選挙及び選挙不正防止法」(統合選挙法)に一本化された。また統合選挙法では金権選挙が横行していたこれまでの選挙風土を改めるために、公営選挙を拡大し、不正選挙に対する罰則も強化された。
選挙までの経緯
[編集]1989年に改正(第7次改正)された地方自治法において地方自治団体長の住民による直接選挙制が規定され、同年5月の定期国会にて、1990年上半期に議会議員選挙を、1991年上半期に自治団体長選挙を行うことで与野党間合意がなされていた。しかし、地方議会議員の政党公薦を容認するか否かで折り合いがつかず選挙は延期(最終的に広域議会選挙のみで政党公薦を許容することで合意が成立)された。
その後、1991年3月に基礎議会選挙(市・郡・自治区)が同年6月に広域議会選挙(特別市・直轄市・道)が実施され、団体長選挙は1992年3月と6月に基礎自治団体と広域自治団体の選挙をそれぞれ行うこととなった。しかし、1992年1月10日の年頭記者会見で盧泰愚大統領が経済混乱を理由に選挙延期を表明したため選挙は行われず、任命制が継続することになった。1993年2月に発足した金泳三政権下の1994年3月4日に「公職選挙法および不正選挙防止法」(統合選挙法)と政治資金法、改正地方自治法の政治改革関連法が国会を通過し、翌年の1995年6月27日に全国同時地方選挙を行うことが地方自治法に明記された。こうして自治団体長も含めた選挙が実施されることで、大韓民国における本格的な地方自治が開始されることになった。
基礎データ
[編集]広域自治団体長
[編集]- 広域市(市長):6箇
- 道知事(道知事):9箇
- 合計:15箇
基礎自治団体長
[編集]- ソウル特別市:25箇
- 仁川広域市:10箇
- 大田広域市:5箇
- 光州広域市:5箇
- 大邱広域市:8箇
- 釜山広域市:16箇
- 京畿道:31箇
- 市長:13箇
- 郡守:18箇
- 忠清北道:11箇
- 市長:3箇
- 郡守:8箇
- 忠清南道:15箇
- 市長:5箇
- 郡守:10箇
- 全羅北道:14箇
- 市長:6箇
- 郡守:8箇
- 全羅南道:24箇
- 市長:6箇
- 郡守:18箇
- 江原道:18箇
- 市長:7箇
- 郡守:11箇
- 慶尚北道:23箇
- 市長:10箇
- 郡守:13箇
- 慶尚南道:21箇
- 市長:10箇
- 郡守:11箇
- 済州道:4箇
- 市長:2箇
- 郡守:2箇
- 合計:230箇
広域議会議員
[編集]地域区(小選挙区制)と比例代表の並立制(小選挙区比例代表並立制)、比例代表は地域区で投ぜられた得票に比例して各政党に比例配分。政党公薦を許容。
地域 | 定数 | 候補者 | |
---|---|---|---|
合計 | 875(95) | 2,448 | |
首都圏 | ソウル特別市 | 133(14) | 402 |
仁川広域市 | 32(3) | 90 | |
京畿道 | 123(13) | 343 | |
忠清道 | 大田広域市 | 23(3) | 91 |
忠清北道 | 36(4) | 102 | |
忠清南道 | 55(6) | 153 | |
全羅道 | 光州広域市 | 23(3) | 90 |
全羅北道 | 52(6) | 143 | |
全羅南道 | 68(7) | 182 | |
江原道 | 52(6) | 145 | |
慶尚道 | 大邱広域市 | 37(4) | 124 |
釜山広域市 | 55(6) | 127 | |
慶尚北道 | 84(8) | 215 | |
慶尚南道 | 85(9) | 227 | |
済州道 | 17(3) | 46 |
- ()内の数字は比例代表分。競争率は全国平均で2.8倍
基礎議会議員
[編集]地域区のみで、政党の公薦は禁止
地域 | 定数 | 候補者 | |
---|---|---|---|
合計 | 4,516 | 11,965 | |
首都圏 | ソウル特別市 | 806 | 1,912 |
仁川広域市 | 125 | 701 | |
京畿道 | 599 | 1,631 | |
忠清道 | 大田広域市 | 107 | 259 |
忠清北道 | 180 | 476 | |
忠清南道 | 223 | 658 | |
全羅道 | 光州広域市 | 206 | 297 |
全羅北道 | 283 | 880 | |
全羅南道 | 343 | 1,084 | |
江原道 | 245 | 747 | |
慶尚道 | 大邱広域市 | 203 | 444 |
釜山広域市 | 320 | 701 | |
慶尚北道 | 374 | 1,071 | |
慶尚南道 | 451 | 1,249 | |
済州道 | 51 | 124 |
- 競争率は全国平均で2.6倍
選挙結果
[編集]- 投票日:1995年6月27日
- 投票率:68.3%
自治団体長選挙
[編集]民主自由党 民主党 自由民主連合 無所属
地域名 | 候補者名 | 党派 | 得票率 | |
---|---|---|---|---|
首都圏 | ソウル特別市 | 趙淳 | 民主党 | 42.3% |
仁川広域市 | 崔箕善 | 民自党 | 40.8% | |
京畿道 | 李仁済 | 民自党 | 40.4% | |
忠清道 | 大田広域市 | 洪善基 | 自民連 | 63.7% |
忠清北道 | 朱炳徳 | 自民連 | 36.4% | |
忠清南道 | 沈大平 | 自民連 | 67.9% | |
全羅道 | 光州広域市 | 宋彦鍾 | 民主党 | 89.7% |
全羅北道 | 柳鍾根 | 民主党 | 67.1% | |
全羅南道 | 許京万 | 民主党 | 73.5% | |
江原道 | 崔珏圭 | 自民連 | 65.8% | |
慶尚道 | 大邱広域市 | 文熹甲 | 無所属 | 36.8% |
釜山広域市 | 文正秀 | 民自党 | 51.4% | |
慶尚北道 | 李義根 | 民自党 | 37.9% | |
慶尚南道 | 金爀珪 | 民自党 | 64.0% | |
済州道 | 慎久範 | 無所属 | 40.6% |
- 党派別当選者数
- 民自党:5名
- 民主党:4名
- 自民連:4名
- 無所属:2名
広域自治団体長選挙において、民自党は過半数の勝利を目指して選挙戦を戦ったが、党の地盤である慶尚道の3箇所を含めて5箇所での勝利に留まった。一方、民主党と自民連は、ソウル市長選挙で自民連が民主党の趙淳候補を推し、反対に江原道で自民連候補を応援するため、民主党が候補を降ろす選挙協力を実施した。この結果、民主党は絶対的支持地盤である全羅道の3箇所(光州・全北・全南)以外に激戦区のソウル市長選挙で勝利、自民連は強固な地盤である忠清南道と大田広域市以外に、やはり激戦区の忠清北道と江原道で勝利を収め、それぞれ4名が当選した。
地域 | 合計 | 党派 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
民自党 | 民主党 | 自民連 | 無所属 | |||
合計 | 230 | 70 | 84 | 23 | 53 | |
首都圏 | ソウル特別市 | 25 | 2 | 23 | 0 | 0 |
仁川広域市 | 10 | 5 | 5 | 0 | 0 | |
京畿道 | 31 | 13 | 11 | 0 | 7 | |
忠清道 | 大田広域市 | 5 | 0 | 1 | 4 | 0 |
忠清北道 | 11 | 4 | 2 | 2 | 3 | |
忠清南道 | 15 | 0 | 0 | 15 | 0 | |
全羅道 | 光州広域市 | 5 | 0 | 5 | 0 | 0 |
全羅北道 | 14 | 0 | 13 | 0 | 1 | |
全羅南道 | 24 | 0 | 22 | 0 | 2 | |
江原道 | 18 | 9 | 1 | 1 | 7 | |
慶尚道 | 大邱広域市 | 8 | 2 | 0 | 1 | 5 |
釜山広域市 | 16 | 14 | 0 | 0 | 2 | |
慶尚北道 | 23 | 8 | 1 | 0 | 14 | |
慶尚南道 | 21 | 10 | 0 | 0 | 11 | |
済州道 | 4 | 3 | 0 | 1 |
- 太字は当選者で第一党になったことを示したものである。
民主自由党 民主党 自由民主連合 無所属
基礎自治団体長選挙でも、民自党はソウル特別市25区中、23区で敗れるなど、ふるわなかった。尚、この選挙では当時全国唯一の女性市長であった光明市市長の全在姫[2](民自党)が民主党候補を破って初代民選市長に初当選した。
議会議員選挙
[編集]地域 | 合計 | 党派別 | ||||
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民自党 | 民主党 | 自民連 | 無所属 | |||
合計(比例代表) | 875(95) | 286(49) | 352(38) | 86(8) | 151 | |
首都圏 | ソウル特別市 | 133(14) | 11(6) | 122(8) | 0 | 0 |
仁川広域市 | 32(3) | 13(2) | 18(1) | 0 | 1 | |
京畿道 | 123(13) | 52(7) | 57(6) | 0 | 14 | |
忠清道 | 大田広域市 | 23(3) | 0 | 0(1) | 23(2) | 0 |
忠清北道 | 36(4) | 12(2) | 10(1) | 4(1) | 10 | |
忠清南道 | 55(6) | 3(2) | 2 | 49(4) | 1 | |
全羅道 | 光州広域市 | 23(3) | 0(1) | 23(2) | 0 | 0 |
全羅北道 | 52(6) | 0(2) | 49(4) | 3 | ||
全羅南道 | 68(7) | 1(3) | 62(4) | 5 | ||
江原道 | 52(6) | 27(4) | 6(2) | 1 | 18 | |
慶尚道 | 大邱広域市 | 37(4) | 8(2) | 0(1) | 7(1) | 22 |
釜山広域市 | 55(6) | 50(4) | 0(2) | 0 | 5 | |
慶尚北道 | 84(8) | 50(6) | 1(2) | 2 | 31 | |
慶尚南道 | 85(9) | 52(6) | 0(3) | 0 | 33 | |
済州道 | 17(3) | 7(2) | 2(1) | 0 | 8 |
党派 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|
民自党 | 7,060,777 | 36.3% |
民主党 | 6,358,892 | 32.7% |
自民連 | 1,403,523 | 7.2% |
無所属 | 4,594,884 | 23.8% |
地域 | 民自党 | 民主党 | 自民連 | 無所属 |
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全国平均 | 36.3 | 32.7 | 7.2 | 23.8 |
ソウル特別市 | 36.7 | 48.6 | 3.2 | 11.5 |
仁川広域市 | 39.0 | 39.3 | 10.5 | 11.2 |
京畿道 | 40.5 | 39.2 | 3.7 | 16.6 |
大田広域市 | 12.8 | 16.2 | 55.5 | 15.5 |
忠清南道 | 27.1 | 8.4 | 54.5 | 15.5 |
忠清北道 | 35.9 | 22.6 | 13.4 | 28.1 |
光州広域市 | 9.6 | 82.3 | 8.1 | |
全羅南道 | 18.6 | 55.1 | 26.3 | |
全羅北道 | 24.4 | 60.5 | 15.1 | |
釜山広域市 | 55.7 | 13.2 | 0.2 | 30.9 |
大邱広域市 | 31.2 | 7.4 | 11.1 | 50.3 |
慶尚南道 | 44.5 | 8.4 | 0.1 | 47.0 |
慶尚北道 | 45.2 | 8.3 | 2.9 | 43.6 |
江原道 | 39.4 | 19.9 | 4.3 | 36.4 |
済州道 | 34.2 | 10.5 | 55.3 |
- 女性当選者:55名[4](5.7%)
- 地域区:13名(1.5%)
- 比例区:42名(44.2%)
広域議会議員選挙の結果、民主党がソウル特別市議会で勝利するなど、第一党となった。一方、民自党はソウルで大敗するなど大勝した4年前の選挙とは正反対の結果となり敗北した。自民連は地盤の忠清南道と大田で圧勝するなど健闘した。なお、基礎議会は、4,156議席が選出されたが、政党の公薦が禁止されているため全員が無所属である(女性当選者は72名[5])。
脚注
[編集]- ^ 1961年5月16日の軍事クーデター直後の9月1日に「地方自治に関する臨時措置法」(法令情報センターサイト)が制定(施行は10月1日から)され、地方自治法(1949年制定・公布)の大部分の効力が停止された。そして市・郡に関しては道知事が、市・道に関しては内務部長官が議会の機能を代行するようになった。同時に道知事や市長など自治団体長は政府による任命制となった。
- ^ 全在姫は、女性で初めて行政考試(日本における国家公務員上級試験に該当)に合格するなど、大韓民国における女性キャリア官僚の先駆的人物で、一年前に光明市長に任命された。その後、国会議員選挙にハンナラ党の公薦で出馬し、当選。李明博政権では保健福祉家族部の長官を勤めている。
- ^ 議席数に関し、空欄になっている部分は政党が候補を擁立しなかった地域である。
- ^ 国会図書館レファレンス課 山本健太郎『韓国における女性の政治参加―選挙法の改正によるクオータ制度の強化と女性議員数の増加を中心に―』(PDF)42頁 表10-1「広域自治体議会議員選挙における男女別当選者数」より
- ^ 前掲資料同ページ 表11-1「基礎自治体議会議員選挙における男女別当選者数」より
参考文献
[編集]- 自治体国際化協会編集・発行 クレアレポート111号『大韓民国の1995年統一地方選挙』
- アジア経済研究所 アジア動向データベース
- 中央選挙管理委員会歴代選挙情報システム(韓国語)