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紀広名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
紀 広名
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下東海道巡察使
主君 聖武天皇孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇
氏族 紀氏
父母 父:紀麻路
兄弟 広名広庭小楫鯖麻呂
真人
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紀 広名(き の ひろな)は、奈良時代貴族中納言紀麻路の子。官位正五位下東海道巡察使

経歴

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天平12年(740年従五位下に昇叙され、翌天平13年(741年上総守に任ぜられる。天平17年(745年内位の従五位下に叙せられ、翌天平18年(746年大学頭次いで少納言に任ぜられる。

天平勝宝元年(749年孝謙天皇の即位後間もなく主税頭に任ぜられ、淳仁朝の天平宝字6年(762年)には智部少輔に補せられている。

称徳朝では東海道巡察使式部大輔などを歴任した。神護景雲2年(768年)各道の巡察使から言上がなされた際、東海道巡察使として以下の施策を建言し、許可されている[1]

  • 寺社の封戸に対しても、時には公民と同様に租税減免を行うこと。
  • 平城京へ舂米(白米)を運搬する際に、雑徭に代わって馬を差し出し、馬を引く者だけに食料が支給されるようになっている。貧しい者は馬の供用ができないために、食料の支給がないままに舂米を運ぶ状況となっている。従って、以前の通り舂米を運ぶ人ごとに食料を支給すべき。
  • 下総国の井上・浮嶋・河曲の3、および武蔵国の乗潴・豊嶋の2駅は東海道東山道の両方に繋がる駅で、公使の送迎が頻繁に行われるため、本来は小路の駅であるが中路の東海道・東山道の駅に準じて駅馬10頭を設置すべき。

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『続日本紀』神護景雲2年3月1日条
  2. ^ a b c 『日本後紀』延暦24年8月27日条

参考文献

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