紀広名
表示
時代 | 奈良時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 正五位下東海道巡察使 |
主君 | 聖武天皇→孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇 |
氏族 | 紀氏 |
父母 | 父:紀麻路 |
兄弟 | 広名、広庭、小楫、鯖麻呂 |
子 | 真人 |
紀 広名(き の ひろな)は、奈良時代の貴族。中納言・紀麻路の子。官位は正五位下・東海道巡察使。
経歴
[編集]天平12年(740年)外従五位下に昇叙され、翌天平13年(741年)上総守に任ぜられる。天平17年(745年)内位の従五位下に叙せられ、翌天平18年(746年)大学頭次いで少納言に任ぜられる。
天平勝宝元年(749年)孝謙天皇の即位後間もなく主税頭に任ぜられ、淳仁朝の天平宝字6年(762年)には智部少輔に補せられている。
称徳朝では東海道巡察使・式部大輔などを歴任した。神護景雲2年(768年)各道の巡察使から言上がなされた際、東海道巡察使として以下の施策を建言し、許可されている[1]。
- 寺社の封戸に対しても、時には公民と同様に租税減免を行うこと。
- 平城京へ舂米(白米)を運搬する際に、雑徭に代わって馬を差し出し、馬を引く者だけに食料が支給されるようになっている。貧しい者は馬の供用ができないために、食料の支給がないままに舂米を運ぶ状況となっている。従って、以前の通り舂米を運ぶ人ごとに食料を支給すべき。
- 下総国の井上・浮嶋・河曲の3駅、および武蔵国の乗潴・豊嶋の2駅は東海道・東山道の両方に繋がる駅で、公使の送迎が頻繁に行われるため、本来は小路の駅であるが中路の東海道・東山道の駅に準じて駅馬10頭を設置すべき。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平12年(740年) 11月21日:外従五位下
- 天平13年(741年) 12月10日:上総守
- 天平17年(745年) 正月7日:従五位下
- 天平18年(746年) 4月11日:大学頭。9月19日:少納言
- 天平勝宝元年(749年) 8月10日:主税頭
- 天平宝字6年(762年) 4月1日:智部少輔
- 天平神護2年(766年) 9月23日:東海道巡察使
- 天平神護3年(767年) 3月20日:式部大輔
- 時期不詳:正五位下[2]