聖マリアンナ医科大学
聖マリアンナ医科大学 | |
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教育棟 | |
大学設置/創立 | 1971年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人聖マリアンナ医科大学 |
本部所在地 |
神奈川県川崎市宮前区菅生2-16-1 北緯35度35分59.15秒 東経139度32分54.47秒 / 北緯35.5997639度 東経139.5484639度座標: 北緯35度35分59.15秒 東経139度32分54.47秒 / 北緯35.5997639度 東経139.5484639度 |
キャンパス | 菅生(神奈川県川崎市宮前区) |
学部 | 医学部 |
研究科 | 大学院医学研究科 |
ウェブサイト | http://www.marianna-u.ac.jp/ |
聖マリアンナ医科大学(せいマリアンナいかだいがく、英語: St. Marianna University School of Medicine)は、神奈川県川崎市宮前区菅生2-16-1に本部を置く日本の私立大学。1971年創立、1971年大学設置。大学の略称は聖マリ、聖医大、聖マリ医大(内部では「マリアンナ」又は「聖マリ」と略す傾向が強い)。
概観
[編集]聖マリアンナ医科大学は、神奈川県川崎市宮前区に、カトリック系の財団法人聖マリアンナ会東横病院を母体として、1971年明石嘉聞博士によって東洋医科大学の名で創立された。民間病院が母体として開学した新設医大としては、当学と川崎医科大学・埼玉医科大学・杏林大学のみとなっている[1]。
建学の精神は、「キリスト教的人類愛に根ざした、生命の尊厳を基調とする医師としての使命感を自覚し、人類社会に奉仕する人間の育成、ならびに専門的研究の成果を人類の福祉に活かしていく医師の養成」。学部では宗教学の講座がある。
6年間の学費は3,440万円(2014年度、自治会費や父兄会費等は別途)。付属の聖マリアンナ医科大学病院は、川崎市北西部では数少ない大規模な医療施設であり、地域医療の中核を担う。神奈川県初の救命救急センターの指定を受けている。
東急田園都市線・小田急小田原線の中間に位置し、両線の駅から離れているため、溝の口駅・宮前平駅・あざみ野駅・向ヶ丘遊園駅・生田駅・百合ヶ丘駅・新百合ヶ丘駅など、両線の複数の駅へ放射状にバス路線が伸び、バスが頻発している。各駅へはそれぞれ15~30分程度の時間を要する。
世界で5番目、アジアで初となるFIFA(国際サッカー連盟)メディカルセンターに指定されており、サッカー日本代表を支えている。
2014年4月22日、上智大学と教育・研究活動の交流と連携の推進を目的とした大学間交流に関する包括協定を締結[2][3]。
2016年7月1日、田園調布学園大学及び川崎市宮前区との連携・協力に関する協定を締結。
沿革
[編集]- 1971年
- 1月27日 - 学校法人東洋医科大学設置認可
- 4月1日 - 東洋医科大学として開学
- 1973年4月1日 - 法人名を学校法人聖マリアンナ医科大学、大学名を聖マリアンナ医科大学に改称
- 1977年
- 3月30日 - 聖マリアンナ医科大学大学院医学研究科設置認可
- 4月1日 - 聖マリアンナ医科大学大学院医学研究科開学
- 1979年
- 3月24日 - 看護専門学校設置認可
- 4月1日 - 看護専門学校第1看護学科、第2看護学科開校
- 1988年3月31日 - 看護専門学校第2看護学科課程廃止
- 1995年9月1日 - 看護専門学校の課程を看護専門課程より医療専門課程に変更
- 1999年4月1日 - 6講座を統廃合し、大講座制に改組
- 2003年4月1日 - 講座及び学科目の再編成
- 2005年4月1日 - 聖マリアンナ医科大学大学院医学研究科の4専攻を医科学系専攻1専攻に統合
- 2021年10月14日 - 創立50周年
学部等
[編集]大学院
[編集]- 医学研究科
- 医科学系専攻
付属機関
[編集]大学構内
[編集]- 難病治療研究センター
- 医学情報センター
- 知財事業推進センター
- 聖マリアンナ医科大学病院
- 聖堂
- キリスト教文化センター
関連施設
[編集]- 聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院(横浜市旭区)
- 横浜市の三次救命救急、神奈川県の周産期センターの一つに指定されている。
- 川崎市立多摩病院(川崎市多摩区)
- 川崎市による指定管理者として聖マリアンナ医科大学が管理
- 聖マリアンナ医科大学 ブレスト&イメージング先端医療センター附属クリニック(川崎市麻生区) -小田急小田原線・小田急多摩線新百合ヶ丘駅から徒歩5分
- 乳がんと画像診断に特化した専門病院。2009年3月に開設。
- 聖マリアンナ医科大学東横病院(川崎市中原区)
聖母マリア像
[編集]聖母マリアの像が、学内に設置してある。
- 大学病院…本館2階に安置。
- 西部病院…看護師寮と遊水池の間の小道の先に安置。
学費
[編集]聖マリアンナ医科大学医学部の学費は以下のとおりである[6]。
学費
初年度学費
入学金 1,500,000円、授業料 3,700,000円、教育維持費 1,200,000円、教育充実費 500,000円、
・・・合計6,900,000円
次年度以降
授業料 3,700,000円、教育維持費 1,200,000円、教育充実費 600,000円、
・・・合計 5,500,000円
その他の徴収する費用
初年度
学生自治会費 5,000円、保護者会会費 112,000円、聖医会会費(同窓会費) 200,000円
次年度以降
学生自治会費 3,000円
学生生活
[編集]校歌
[編集]学園祭
[編集]学園祭は「聖医祭」と呼ばれている。校内関係者や近隣住民の他、入院患者にも公開されている。
大学関係者と組織
[編集]大学関係者一覧
[編集]不祥事
[編集]- 2018年7月 - 「2018年に発覚した医学部不正入試問題」。
- 2020年1月 - 第三者委員会は「医学部の入試に関して、女性と浪人生に対して差別的な扱いがあった」という結論の報告書を公表した[8]。
- 2020年2月5日 - 公益財団法人・大学基準協会は「入学者選抜の方法には明らかに問題がある」と判断し、問題発覚後に審査をやり直し2013年から17年度に「適合」としていた評価を変更し「不適合」にしたと発表した。大学が「不適合」の場合は、教育プログラムの開発に関する国の補助金を申請できなくなる[9]。
関連項目
[編集]- 川崎縦貫高速鉄道 - 川崎市営の地下鉄。大学付近に駅を設置する計画があったが、2015年度をもって計画が休止された。
- FIFA(国際サッカー連盟)メディカルセンター -
- 2007年12月14日に世界で5番目(アジア初)のFIFAメディカルセンターとして認定され、FIFAスポーツ医学委員会のミッシェル・ドーグ委員長から認定書を授与された。同委員会の委員で、日本サッカー協会スポーツ医学委員会の前学長・青木治人委員長は「フットボールの研究、臨床の拠点になる。(今後は)国内だけだなくアジアの人との連係をとってやっていかなければならないと思ってます」とのコメントを寄せている。なお、この年発生したJリーグによる川崎フロンターレ所属(当時)の我那覇和樹に対するドーピング冤罪事件ではJリーグのドーピングコントロール委員会委員長を務めていた青木の行動が原因の一つでもある。[10]
- 昭和薬科大学 - 2003年7月に「教育・研究の交流に関する協定」を締結した。
- 高神大学校(大韓民国) - 2011年12月16日に、医学教育交流プログラムに関する協定を締結した。
- 株式会社T-ICU
- 上智大学 - 同じカトリック系の大学として、2012年度より、上智大学総合人間科学部看護学科の看護実習を聖マリアンナ医科大学病院が受け入れている。その後、2014年4月22日に、教育・研究活動の交流と連携の推進を目的とした大学間交流に関する包括協定を締結。
- 明治大学 - 2013年7月3日に、教育・研究活動の交流と連携の推進を目的とした大学間交流に関する包括協定を締結。
- 東京純心大学 - 2013年11月13日、同じカトリック系大学として、2015年度に当時の東京純心女子大学が開設する看護学部に対して全面的に協力する相互連携に関する合意文書を締結した。
- 江原国立大学(大韓民国) - 2015年1月26日に「医学教育交流プログラムに関する協定」を締結。
脚注
[編集]- ^ 米山公啓『学閥支配の医学』
- ^ 上智大学公式サイト「聖マリアンナ医科大学と大学間交流に関する包括協定を締結しました」
- ^ 聖マリアンナ大学公式サイト「上智大学との包括連携に関する協定書の締結について」
- ^ 聖マリアンナ医科大学東横病院の事業終了及び機能移転等について(お知らせ) 学校法人聖マリアンナ医科大学、2023年10月24日
- ^ “川崎の聖マリアンナ医大東横病院、来年3月末に閉院へ 経営が悪化”. 神奈川新聞. (2023年9月29日) 2023年9月29日閲覧。
- ^ “学費|聖マリアンナ医科大学”. www.marianna-u.ac.jp. 2023年6月7日閲覧。
- ^ “朝ドラ「エール」古関裕而 南生田に眠り”. 多摩区タウンニュース. 2020年11月22日閲覧。
- ^ “医学部入試「差別あった」 聖マリアンナ医大の第三者委:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年1月19日閲覧。
- ^ 『医学部不正 7大学「不適合」に変更』『基準協会 適切入試「実施されず」』読売新聞 2020年2月6日31頁、社会14版、2020年2月6日閲覧。
- ^ 07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。 「言わないと一生後悔する」