裏塩町
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裏塩町 | |
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北緯35度10分39.22秒 東経136度53分32.82秒 / 北緯35.1775611度 東経136.8924500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 西区 |
町名制定 | 1878年(明治11年)12月28日[1] |
町名廃止 | 1981年(昭和56年)8月23日[1] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052 |
ナンバープレート | 名古屋 |
裏塩町(うらしおまち)は、愛知県名古屋市西区にある地名。1981年(昭和56年)、同区幅下二丁目・那古野一丁目の一部となり消滅[1]。
地理
[編集]北に1丁目と南に2丁目が所在した。東は塩町、西は比米町・隅田町・五条町・橋詰町、南は橋詰町、北は小舟町1丁目に接していた。
学区
[編集]- 高等学校 - 尾張学区
- 中学校 - 名古屋市立菊井中学校
- 小学校 - 名古屋市立幅下小学校[2][3][4](当時)
人口
[編集]国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 96人[2] | |
1955年(昭和30年) | 87人[2] | |
1960年(昭和35年) | 614人[3] | |
1965年(昭和40年) | 479人[3] | |
1970年(昭和45年) | 371人[4] | |
1975年(昭和50年) | 336人[4] |
歴史
[編集]地名の由来
[編集]沿革
[編集]- 1878年(明治11年)12月28日 - 従来の塩町裏を改称し、名古屋区裏塩町となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市裏塩町となる[1]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 西区成立に伴い、同区裏塩町となる[1]。
- 1981年(昭和56年)8月23日 - 住居表示の実施に伴い、西区幅下二丁目・那古野一丁目に編入され、消滅[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 名古屋市計画局 1992, p. 755.
- ^ a b c 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 76.
- ^ a b c 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 71.
- ^ a b c 名古屋市総務局統計課 1977, p. 45.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 236.
参考文献
[編集]- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。
関連項目
[編集]小舟町1丁目 | ||||
比米町・隅田町・五条町・橋詰町 | 塩町 | |||
裏塩町 | ||||
橋詰町 |