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鳴沢寡愆

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鳴沢 寡愆(なるさわ かけん、1891年明治24年〉5月10日 - 1977年昭和52年〉9月4日)は、日本英文学者、俳人広島大学名誉教授。俳号花軒高浜虚子に師事[1]

略歴

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新潟県中蒲原郡鷲巻村大字西笠巻(現 新潟市南区西笠巻)の浄土真宗大谷派・長福寺の鳴沢木誓の次男として出生[2]

1910年明治43年)3月に新潟中学校を卒業[注 1]1913年大正2年)7月に第四高等学校を卒業[注 2]1916年(大正5年)7月に東京帝国大学文科大学文学科(英文学専修)を卒業[6][注 3]東京帝国大学附属図書館に勤務[注 4]

1920年(大正9年)から京北中学校に勤務[9]大谷大学を経て1921年(大正10年)3月に松江高等学校教授に就任、1925年(大正14年)3月に広島高等学校教授に就任、12月から1年半、英語の研究のためイギリスアメリカに留学[10]

1949年昭和24年)5月に広島大学広島高等学校教授に就任[11]、8月に広島大学皆実分校(教養部)教授に就任[12]1953年(昭和28年)4月に広島大学文学部教授に就任[13]1954年(昭和29年)4月から広島大学皆実分校主事を兼任[注 5]

1956年(昭和31年)3月に広島大学を定年退官、5月に広島大学名誉教授の称号を受称[15]広島女学院大学甲南女子大学広島文教女子大学などで教壇に立ち、1970年(昭和45年)春に退職[16]

1968年(昭和43年)に鳴沢寡愆が喜寿を迎えたとき、広島高等学校の卒業生たちの間で鳴沢寡愆夫妻の句集を作って贈ろうという話が持ち上がり、荒木武(第27 - 30代広島市市長)が中心になって箱入りのめおと句集『萬年青』を贈った[17]

1977年(昭和52年)9月4日午前2時55分に大阪府枚方市香里ケ丘の新香里病院急性腎不全のため死去[18]

栄典・表彰

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親族

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著作物

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著書

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  • 『文藝論集 印象と硏究』中外出版、1925年。
  • 『句集 花軒』鳴澤寡愆教授退官記念事業会、1956年。
  • 『句集 萬年青』鳴沢富女[共著]、鳴沢先生喜寿祝賀会、1968年6月。
  • 『虚子鑑賞』白川書院、1971年。
  • 『花軒遺稿 わが句ものがたり』十一房出版、1979年。

訳註書

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論文

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1951年昭和26年)10月末に広島市で同級生の近藤正二と後輩の笹川久吾と3人で同窓会を開いた[3]
  2. ^ 英文学者で俳人大谷繞石に教えを受けた[4][5]
  3. ^ 英文学専修の同期に芥川龍之介がいた[7]
  4. ^ 東京帝国大学文科大学助教授兼司書官の阪本四方太と仕事をした[8]
  5. ^ 1955年(昭和30年)4月に退任[14]

出典

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  1. ^ 定本 高濱虛子全集 第十五卷 書簡・資料集』418頁。『俳句辞典 近代』増補版、412頁。
  2. ^ 第十六版 人事興信錄 下』な76頁。『英語英文學硏究』第22巻第1・2合併号、1頁。『俳句辞典 近代』増補版、412頁。
  3. ^ 青陵回顧録』70-71頁。
  4. ^ 青春風土記 旧制高校物語 3』286頁。
  5. ^ 小泉八雲直筆原稿・書簡等 - 松江市立図書館
  6. ^ 新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』419頁。
  7. ^ 英語英文學硏究』第22巻第1・2合併号、1頁。
  8. ^ 近代文学研究叢書 16』559頁。
  9. ^ 英語英文學硏究』第22巻第1・2合併号、3頁。
  10. ^ 第十六版 人事興信錄 下』な76頁。『英語英文學硏究』第22巻第1・2合併号、1頁。
  11. ^ 広島大学五十年史 資料編 下』240頁。
  12. ^ 広島大学五十年史 資料編 下』221頁。
  13. ^ 広島大学五十年史 資料編 下』146頁。
  14. ^ 広島大学五十年史 資料編 下』114頁。
  15. ^ 広島大学五十年史 資料編 下』122頁。
  16. ^ 英語英文學硏究』第22巻第1・2合併号、2頁。
  17. ^ 青春風土記 旧制高校物語 3』286-288頁。
  18. ^ 新潟日報』1977年9月5日付朝刊、15面。
  19. ^ 「叙位・叙勲」『官報』第12568号、12頁、大蔵省印刷局、1968年11月4日。
  20. ^ 中國年鑑 1974』昭和49年版、26・304頁。
  21. ^ 中国文化賞 第1~79回の受賞者・団体【一覧】 | 中国新聞デジタル
  22. ^ 「叙位・叙勲」『官報』第15218号、18頁、大蔵省印刷局、1977年10月1日。

参考文献

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  • 「鳴澤寡愆」『第十六版 人事興信錄 下』な76頁、人事興信所[編]、人事興信所、1951年。
  • 「鳴沢寡愆」『越佐人物誌 中巻』704頁、牧田利平[編]、野島出版、1972年。
  • 「鳴沢寡愆」『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』419頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2020年。
  • 「鳴沢寡愆氏」『新潟日報』1977年9月5日付朝刊、15面、新潟日報社、1977年。
  • 「鳴沢寡愆先生を送る」『英語英文學硏究』第22巻第1・2合併号、1-4頁、田辺昌美[著]、広島大学英文学会、1978年。
  • 広島大学五十年史 資料編 下』広島大学50年史編集専門委員会・広島大学50年史編集室[編]、広島大学、2003年。
  • 『青春風土記 旧制高校物語 3』週刊朝日[編]、朝日新聞社、1979年。
  • 『定本 高濱虛子全集 第十五卷 書簡・資料集』高濱虛子[著]、毎日新聞社、1975年。
  • 『俳句辞典 近代』増補版、松井利彦[編]、桜楓社、1982年。
  • 「阪本四方太」『近代文学研究叢書 16』493-560頁、昭和女子大学近代文学研究室[編]、昭和女子大学光葉会、1961年。
  • 「三人同窓会」『青陵回顧録』70-71頁、鳴沢寡愆[著]、小林力三・武田慎三郎[編]、新潟県立新潟高等学校、1952年。
  • 『中國年鑑 1974』昭和49年版、中国新聞社、1973年。