The Game Tour
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The Game Tour | ||||
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クイーン の コンサート・ツアー | ||||
関連アルバム |
ザ・ゲーム フラッシュ・ゴードン | |||
初日 | 1980年6月30日 | |||
最終日 | 1981年11月25日 | |||
行程 | 6 | |||
公演数 |
北米49 ヨーロッパ17 アジア5 南米10 計81公演 | |||
クイーン ツアー 年表 | ||||
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The Game Tourは、イギリスのロックバンド、クイーンが1980年から1981年にかけて行った、アルバム『ザ・ゲーム』と『フラッシュ・ゴードン』のリリースに伴うコンサート・ツアーである。
このツアーでは、バンドが初の南米公演を行い、ブラジルのサンパウロでの2夜連続公演では2夜とも観客が10万人以上集まった[2]。
セットリスト
[編集]これは1980年12月10日にイングランドのロンドンで行われたライブのセットリストであり、ツアー期間中の全てのセットリストを表すものではない。
- イントロ
- 監獄ロック
- ウィ・ウィル・ロック・ユー (ファスト・バージョン)
- レット・ミー・エンターテイン・ユー
- プレイ・ザ・ゲーム
- ムスターファ
- デス・オン・トゥー・レッグス
- キラー・クイーン
- アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー
- ゲット・ダウン・メイク・ラヴ
- セイヴ・ミー
- ナウ・アイム・ヒア
- ドラゴン・アタック
- ナウ・アイム・ヒア (リプライズ)
- ファット・ボトムド・ガールズ
- ラヴ・オブ・マイ・ライフ
- 炎のロックンロール
- ドラム・ソロ
- ギター・ソロ
- 宇宙戦争のテーマ
- フラッシュのテーマ
- ザ・ヒーロー
- 愛という名の欲望
- ボヘミアン・ラプソディ
- タイ・ユア・マザー・ダウン
アンコール - 地獄へ道づれ
- シアー・ハート・アタック
アンコール - ウィ・ウィル・ロック・ユー
- 伝説のチャンピオン
- ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン
上記以外に演奏された曲
[編集]- ミン皇帝のテーマ[3]
- 夜の天使[4]
- ロック・イット[4]
- 愛にすべてを[5]
- マイ・ベスト・フレンド[6]
- イマジン[7]
- ブライトン・ロック[7]
- 鷹人間バルタンのテーマ[8]
- 手をとりあって[9]
- アンダー・プレッシャー[10]
ツアー日程
[編集]日付 | 都市 | 国 | 会場 |
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北米 | |||
1980年6月30日 | バンクーバー | カナダ | パシフィック・コロシアム |
1980年7月1日 | シアトル | アメリカ合衆国 | シアトル・センター・コロシアム |
1980年7月2日 | ポートランド | ポートランド・メモリアル・コロシアム | |
1980年7月5日 | サンディエゴ | サンディエゴ・スポーツ・アリーナ | |
1980年7月6日 | フェニックス | コンプトン・テラス | |
1980年7月8日 | イングルウッド | ザ・フォーラム | |
1980年7月9日 | |||
1980年7月11日 | |||
1980年7月12日 | |||
1980年7月13日 | オークランド | オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム・アリーナ | |
1980年7月14日 | |||
1980年8月5日 | メンフィス | ミッドサウス・コロシアム | |
1980年8月6日 | バトンルージュ | リバーサイド・セントプレックス・アリーナ | |
1980年8月8日 | オクラホマシティ | ミリアド・コンベンション・センター | |
1980年8月9日 | ダラス | リユニオン・アリーナ | |
1980年8月10日 | ヒューストン | ザ・サミット | |
1980年8月12日 | アトランタ | オムニ・コロシアム | |
1980年8月13日 | シャーロット | シャーロット・コロシアム | |
1980年8月14日 | グリーンズボロ | グリーンズボロ・コロシアム | |
1980年8月16日 | チャールストン | チャールストン・コロシアム | |
1980年8月17日 | インディアナポリス | マーケット・スクエア・アリーナ | |
1980年8月20日 | ハートフォード | ハートフォード・シビック・センター | |
1980年8月22日 | フィラデルフィア | スペクトラム | |
1980年8月23日 | ボルチモア | ボルチモア・シビック・センター | |
1980年8月24日 | ピッツバーグ | ピッツバーグ・シビック・アリーナ | |
1980年8月26日 | プロビデンス | プロビデンス・シビック・センター | |
1980年8月27日 | ポートランド | カンバーランド・カウンティ・シビック・センター | |
1980年8月28日 | モントリオール | カナダ | モントリオール・フォーラム |
1980年8月30日 | トロント | CNEグランドスタンド | |
1980年9月10日 | ミルウォーキー | アメリカ合衆国 | メッカ・アリーナ |
1980年9月12日 | カンザスシティ | ケンパー・アリーナ | |
1980年9月13日 | オマハ | オマハ・シビック・オーディトリアム | |
1980年9月14日 | セントポール | セントポール・シビック・センター | |
1980年9月16日 | エイムズ | ヒルトン・コロシアム | |
1980年9月17日 | セントルイス | チェッカードーム | |
1980年9月19日 | ローズモント | ローズモント・ホライゾン | |
1980年9月20日 | デトロイト | ジョー・ルイス・アリーナ | |
1980年9月21日 | リッチフィールド | リッチフィールド・コロシアム | |
1980年9月23日 | グレンズフォールズ | グレンズフォールズ・シビック・センター | |
1980年9月24日 | シラキュース | オノンダガ・カウンティ・ウォー・メモリアル | |
1980年9月26日 | ボストン | ボストン・ガーデン | |
1980年9月28日 | ニューヨーク | マディソン・スクエア・ガーデン | |
1980年9月29日 | |||
1980年9月30日 | |||
ヨーロッパ | |||
1980年11月23日 | チューリッヒ | スイス | ハレンシュタディオン |
1980年11月25日 | パリ | フランス | ラ・ロトンド・デュ・ブールジェ |
1980年11月26日 | ケルン | 西ドイツ | ケルン・スポーツハレ |
1980年11月27日 | ライデン | オランダ | フレンノールトハーレン |
1980年11月29日 | エッセン | 西ドイツ | グルーガハレ |
1980年11月30日 | 西ベルリン | ドイチュラント・ハレ | |
1980年12月1日 | ブレーメン | 西ドイツ | シュタットハレ・ブレーメン |
1980年12月5日 | バーミンガム | イングランド | バーミンガム・インターナショナル・アリーナ |
1980年12月6日 | |||
1980年12月8日 | ロンドン | ウェンブリー・アリーナ | |
1980年12月9日 | |||
1980年12月10日 | |||
1980年12月12日 | ブリュッセル | ベルギー | フォレスト・ナショナル |
1980年12月13日 | |||
1980年12月14日 | フランクフルト | 西ドイツ | フェストハレ・フランクフルト |
1980年12月16日 | ストラスブール | フランス | ホール・レーヌス |
1980年12月14日 | ミュンヘン | 西ドイツ | オリンピアハレ |
アジア | |||
1981年2月12日 | 東京 | 日本 | 日本武道館 |
1981年2月13日 | |||
1981年2月16日 | |||
1981年2月17日 | |||
1981年2月18日 | |||
南米 (South America Bites the Dust) | |||
1981年2月28日 | ブエノスアイレス | アルゼンチン | エスタディオ・ホセ・アマルフィターニ |
1981年3月1日 | |||
1981年3月4日 | マル・デル・プラタ | エスタディオ・ホセ・マリア・ミネージャ | |
1981年3月6日 | ロサリオ | エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロシート | |
1981年3月8日 | ブエノスアイレス | エスタディオ・ホセ・アマルフィターニ | |
1981年3月20日 | サンパウロ | ブラジル | エスタジオ・ド・モルンビー |
1981年3月21日 | |||
南米・北米 (Gluttons for Punishment) | |||
1981年9月25日 | カラカス | ベネズエラ | ポリエドロ・デ・カラカス |
1981年9月26日 | |||
1981年9月27日 | |||
1981年10月9日 | モンテレイ | メキシコ | エスタディオ・ウニベルシタリオ |
1981年10月17日 | プエブラ | エスタディオ・イグナシオ・サラゴサ | |
1981年10月18日 | |||
北米 (ロック・モントリオール) | |||
1981年11月24日 | モントリオール | カナダ | モントリオール・フォーラム |
1981年11月25日 |
キャンセルされた公演
[編集]1980年8月16日 | ニューヨーク | バタシー・パーク・オープン・エアー | キャンセル[11] |
1980年8月17日 | シンシナティ | リバーフロント・コロシアム | キャンセル[11] |
1980年9月2日 | ニューヘイブン | ニューヘイブン・コロシアム | キャンセル[11] |
1980年9月5日 | レキシントン | ラップ・アリーナ | キャンセル[11] |
1980年9月9日 | マディソン | デーン・カウンティ・コロシアム | キャンセル[11] |
1981年3月13日 | ポルト・アレグレ | エスタディオ・オリンピコ・モヌメンタル | キャンセル[11] |
1981年3月27日 | リオデジャネイロ | エスタジオ・ド・マラカナン | 1981年10月に延期された後、キャンセル[11] |
1981年9月29日 | カラカス | ポリエドロ・デ・カラカス | ベネズエラの元大統領、ロムロ・ベタンクールの死去による服喪期間のためキャンセル[11] |
1981年9月30日 | カラカス | ポリエドロ・デ・カラカス | ベネズエラの元大統領、ロムロ・ベタンクールの死去による服喪期間のためキャンセル[11] |
1981年10月10日 | モンテレイ | エスタディオ・ウニベルシタリオ | キャンセル[11] |
1981年10月15日 | グアダラハラ | エスタディオ・ハリスコ | キャンセル[11] |
1981年10月16日 | グアダラハラ | エスタディオ・ハリスコ | キャンセル[11] |
出典
[編集]- ^ La historia detrás de la foto by Pablo Lisotto, La Nación, 30 Oct 2018
- ^ Henke, James (1981-06-11). “Queen Holds Court in South America”. Rolling Stone. オリジナルの2009-09-09時点におけるアーカイブ。 .
- ^ “Queen Live San Diego USA 80 07 05”. queenlive.ca. 2021年6月11日閲覧。
- ^ a b “Queen Live Phoenix USA 80 07 06”. queenlive.ca. 2020年11月30日閲覧。
- ^ “Queen Live Oakland USA 80 07 14”. queenlive.ca. 2020年11月30日閲覧。
- ^ “Queen Live New York USA 80 09 30”. queenlive.ca. 2020年11月30日閲覧。
- ^ a b “Queen Live London UK 80 12 09”. queenlive.ca. 2020年11月30日閲覧。
- ^ “Queen Live Tokyo Japan 81 02 13”. queenlive.ca. 2020年11月30日閲覧。
- ^ “Queen Live Tokyo Japan 81 02 17”. queenlive.ca. 2020年11月30日閲覧。
- ^ “Queen Live Montreal Canada 81 11 24”. queenlive.ca. 2020年11月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “Cancelled and rescheduled concerts”. qliverecordings. Queen Live Recordings. 2 January 2020閲覧。