吉備大臣入唐絵巻
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吉備大臣入唐絵巻(きびのおとど にっとう えまき、または、きび だいじん にっとう えまき)は、日本の12世紀末から13世紀初めに作られた[2]絵巻物の一つ。所蔵者は、アメリカのボストン美術館。遣唐使として唐に渡った吉備真備が、現地で数々の難題を吹っかけられるも、鬼となった阿倍仲麻呂の助けを借りてこれをことごとく退ける説話を生き生きと描いた、院政期文化を代表する絵巻物の名品である。
- ^ 画面解説は、小松茂美編『日本の絵巻 3 吉備大臣入唐絵巻』(中央公論社、1987)による。以下も同じ。
- ^ ボストン美術館は12世紀後半とし、矢代幸雄は12世紀末から13世紀のごく初頭、秋山光和は平安時代末期から鎌倉時代初め、若杉準治は鎌倉時代にかかる頃、と推測している。
- ^ 源豊宗 『大和絵の研究』角川書店、1976年。佐和隆研 「『信貴山縁起絵巻』と鳥羽僧正覚猷考証」(小松(1977)に収録)。神田 (2010) p.35、など。
- ^ 黒田は第17紙から第20紙、第8紙から第12紙、及び第38紙と第39紙の一部の計3箇所(黒田 (2005))、神田は第17紙から20紙、及び第38紙の2ヶ所としている(神田 (2010) pp.24-32)。
- ^ 『吉備大臣入唐絵巻』の伝来については下記の参考文献のどれにも詳述されているが、小松茂美「『吉備大臣入唐絵巻』考証」(小松 (1977)に収録)が最も詳しい。
- ^ 『看聞御記』嘉吉元年4月26日
- ^ 吉田言倫 『若狭群地県誌』巻第八、古楽部、1714年。
- ^ 小田部雄次 『家宝の行方 ―美術品が語る名家の明治・大正・昭和』 小学館、2004年10月。ISBN 978-4-09-386136-6。
- ^ 堀田謹吾 『名品流転 ―ボストン美術館の「日本」』 日本放送出版協会、2001年2月。ISBN 978-4-14-080581-7。
- ^ 絵巻付属文書にある、江戸時代初期の狩野派の絵師・狩野安信や江戸時代中期の住吉派の絵師・住吉廣行の鑑定。
- ^ ボストン図録 (2012) p.243。
- ^ 神田 (2010) pp.13-24
- 1 吉備大臣入唐絵巻とは
- 2 吉備大臣入唐絵巻の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
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