尾上健司
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1978年5月12日(46歳) | |||
出身地 | 神奈川県足柄上郡中井町 | |||
ラテン文字 | Kenji Onoue | |||
身長 | 200cm | |||
体重 | 80kg | |||
血液型 | O型 | |||
選手情報 | ||||
所属 | JT東京ブラスターズ | |||
愛称 | オノケン | |||
役職 | 監督 | |||
ポジション | MB | |||
指高 | 260cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 340cm | |||
ブロック | 330cm |
尾上 健司(おのうえ けんじ、1978年5月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)。
来歴
[編集]神奈川県足柄上郡中井町出身。小学校の頃はサッカー少年だったが、長続きしなかった[1]。実兄の影響で、中井中学1年よりバレーボールを始める[1]。近所に富士フイルム・プラネッツの本拠地があり、当時の憧れは青山繁だった[1]。
2001年、青山に憧れ富士フイルムに入団するも、同シーズン末に廃部となった[2][3]。
2002年、JTサンダーズに移籍、主力センターとして活躍した[2][4]。
2003年、全日本代表に初選出され、同年ワールドカップに出場。2005年、2006年に再び全日本代表に選出され、2006年世界選手権に出場した。2007年には天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会制覇に貢献した[5]。
2010年、現役引退[3][4]。その後は日本たばこ産業での社業のほか、9人制バレーのJT東京バレーボール部でプレーし[6]、現在は同部の監督に就いている[7]。
球歴・受賞歴
[編集]所属チーム
[編集]- 中井町立中井中学校
- 神奈川県立秦野南が丘高等学校
- 順天堂大学
- 富士フイルム・プラネッツ(2001-2002年)
- JTサンダーズ(2002-2010年)
- JT東京(9人制)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d “インタビュー1”. JT公式(Internet Archive). 2005年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月17日閲覧。
- ^ a b “インタビュー2”. JT公式(Internet Archive). 2005年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月17日閲覧。
- ^ a b “JT男子の直弘・尾上ら退部”. 中国新聞 (2010年5月8日). 2012年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月17日閲覧。
- ^ a b “直弘龍治選手、尾上健司選手、丹山禎昭選手、後藤幸樹選手が退部”. JT公式. 2010年9月17日閲覧。
- ^ “第51回中国スポーツ大賞”. 中国新聞. 2010年8月27日閲覧。
- ^ JT東京支店. “選手・チーム”. 2015年1月19日閲覧。
- ^ “JT東京 - V9チャンプリーグ2023” (2023年9月5日). 2024年3月6日閲覧。
外部リンク
[編集]- 日本バレーボールリーグ機構の旧サイトにおけるプロフィール - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)