甲斐祐之
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1978年7月17日(46歳) | |||
出身地 | 宮崎県宮崎市 | |||
ラテン文字 | Hiroyuki Kai | |||
身長 | 190cm | |||
体重 | 87kg | |||
血液型 | A型 | |||
選手情報 | ||||
愛称 | カイ | |||
ポジション | OH | |||
指高 | 245cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 340cm | |||
ブロック | 320cm |
甲斐 祐之(かい ひろゆき、1978年7月17日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。
来歴
[編集]宮崎県宮崎市出身。母・(旧姓)脇田代喜美は世界選手権で銀メダルを獲得し、モントリオールオリンピックに出場した元ユニチカのバスケットボール選手。父も弟もバレーボール選手。
宮崎市立高岡中学校入学後、母の影響もあり当初はバスケットをやるつもりだったが、バレー部の先生に誘われてバレーボールを始める[1]。中学3年時にさわやか杯宮崎県選抜に選ばれている[1]。高校は地元バレーの強豪・宮崎県立宮崎工業高等学校へ進学、1年からレギュラーに抜擢され、全日本ユースやジュニアに選ばれている[1]。
2000年に新日鐵(現堺ブレイザーズ)に入部[2]。翌2001年にVリーグ新人賞受賞[2]。全日本では2001年のグラチャンでの活躍で定着、2002年の世界選手権に出場、2001年・04年のワールドリーグに出場した。アテネ五輪予選にも出場するも、五輪本戦出場を果たせなかった。2005年に移籍を決意する[3]。
2005年に旭化成に派遣社員として入社、旭化成スパーキッズへ契約選手として入団する[4]。同年には足首を手術している。しかし、2006年、旭化成は廃部となり移籍することになった[5]。
翌2006年から豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)に所属[2]。2007年には全日本に復帰、07年ワールドリーグに出場した。その後2009年まで在籍した[6]。
2009年からJTサンダーズに入部した[2]。在籍中、貴重なベテラン選手として活躍し、天皇杯・黒鷲旗などの決勝進出に貢献した[7]。2014年、契約満了に伴い退団した[8]。
2015年7月、女子Vプレミアリーグの日立リヴァーレは甲斐のコーチ就任を発表した[9]。2017年、監督に昇格。2018-19シーズン途中で体調不良のため休養となる。シーズン終了後に退団した[10]。
球歴
[編集]所属チーム
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “甲斐祐之/選手・スタッフ”. JTサンダーズ公式 (2009年6月27日). 2014年8月23日閲覧。
- ^ a b c d e “甲斐(元日本代表)がJT入り バレー男子”. 中国新聞 (2009年6月27日). 2014年5月9日閲覧。
- ^ バレーボール:堺・甲斐祐之、30日付けで旭化成に移籍 - ウェイバックマシン(2005年4月28日アーカイブ分) - 毎日新聞(2005年4月27日)
- ^ Vリーグ男子の旭化成が廃部 - ウェイバックマシン(2007年8月25日アーカイブ分) - 中国新聞(2006年3月15日)
- ^ 旭化成株式会社からの甲斐祐之選手の退社について - ウェイバックマシン(2007年11月6日アーカイブ分) - 旭化成公式サイト(2007年11月6日)
- ^ 甲斐祐之 退団コメント - ウェイバックマシン(2012年1月18日アーカイブ分) - 豊田合成公式サイト(2009年6月1日)
- ^ “國近公太選手、神田聖馬選手、甲斐祐之選手、イゴール・オムルチェン選手、石橋健選手、大上正裕選手退部のお知らせ”. JTサンダーズ公式 (2014年5月8日). 2014年5月9日閲覧。
- ^ “【バレー】JTのイゴールら退部 主将の国近は現役引退”. 中国新聞 (2014年5月9日). 2014年5月9日閲覧。
- ^ 『2015年度「日立リヴァーレ」体制について』(PDF)(プレスリリース)日立リヴァーレ、2015年7月15日。オリジナルの2015年9月24日時点におけるアーカイブ 。2015年7月17日閲覧。
- ^ 『退部選手・スタッフのお知らせ』(PDF)(プレスリリース)日立リヴァーレ、2019年6月5日 。2020年7月18日閲覧。