蔭山弘道
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1967年8月28日(57歳) | |||
出身地 | 千葉県夷隅郡大原町(現・いすみ市) | |||
ラテン文字 | Hiromichi Kageyama | |||
身長 | 200cm | |||
体重 | 89kg | |||
血液型 | A型 | |||
選手情報 | ||||
愛称 | カゲ | |||
ポジション | センター / レフト | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 354cm | |||
ブロック | 342cm |
蔭山 弘道(かげやま ひろみち、1967年8月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。
来歴
[編集]千葉県夷隅郡大原町(現・いすみ市)出身。習志野高校在学中に、第16回春の高校バレーでエースとして初優勝に貢献。卒業後は法政大学に進学。法政大学時代の在学中から日本代表に選出され、1988年のソウル五輪に出場。
1989年のワールドカップに出場し卒業後はバレーボールの名門・富士フイルムに入社し、1990年の世界選手権にも出場した。2メートルの長身を武器にエースとして活躍し、第26回日本リーグでは優勝に貢献し、高校、大学、社会人と全て日本一に輝いている。故障やチーム事情もあり、後年はセンタープレーヤーへ転向するも、晩年までチームの主力選手として活躍した。
2000年に現役引退。その後は社業の傍らでフジテレビのFNS春高バレーコーチングキャラバンを始めとするバレーボールの指導・普及活動にも携わっている。
2010年9月に、第118代 鹿児島県の奄美大島観光親善大使に任命された。
2012年に東京ドームスポーツの特別会員に任命された。
2013年からは富士フイルムデジタルプレスで部長を務めている[1]。
FNS春高バレーコーチングキャラバン
[編集]FNS春高バレーコーチングキャラバンには、第1回~第8回、第11回に参加。
- 第1回(静岡市立清水商業高等学校を担当)
- 第2回(秋田県立秋田工業高等学校を担当)
- 第3回(瓊浦高等学校を担当)
- 第4回(岩手県立盛岡第一高等学校を担当)
- 第5回(金光学園高等学校を担当)
- 第6回(鹿児島県立大島高等学校を担当)
- 第7回(大分県立別府鶴見丘高等学校を担当)
- 第8回(北海道恵庭南高等学校を担当)
- 第11回(宮崎第一高等学校を担当)
球歴
[編集]所属チーム
[編集]関連項目
[編集]備考
[編集]脚注
[編集]- ^ “商談は試合だ 元五輪バレー選手、営業でトップに”. 日本経済新聞 (2018年3月1日). 2024年10月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- 蔭山杯バレーボール大会(蔭山弘道)
- コーチングキャラバン 北海道文化放送(蔭山弘道)
- フジテレビ - 第1回FNS春高バレーコーチングキャラバン
- フジテレビ - 第2回FNS春高バレーコーチングキャラバン - ウェイバックマシン(2003年4月25日アーカイブ分)
- フジテレビ -第3回FNS春高バレーコーチングキャラバン
- フジテレビ - 第4回FNS春高バレーコーチングキャラバン - ウェイバックマシン(2004年8月4日アーカイブ分)
- フジテレビ - 第5回FNS春高バレーコーチングキャラバン - ウェイバックマシン(2006年9月6日アーカイブ分)
- フジテレビ - 第6回FNS春高バレーコーチングキャラバン - ウェイバックマシン(2007年1月23日アーカイブ分)
- フジテレビ - 第7回FNS春高バレーコーチングキャラバン - ウェイバックマシン(2007年11月23日アーカイブ分)
- フジテレビ - 第8回FNS春高バレーコーチングキャラバン - ウェイバックマシン(2009年2月26日アーカイブ分)