賴髙英雄
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賴髙 英雄 よりたか ひでお | |
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1963年10月10日(61歳) |
出生地 | 日本 埼玉県蕨市 |
出身校 | 埼玉大学教養学部 |
所属政党 | 日本共産党 |
称号 | 教養学士 |
親族 | 父・賴髙久雄(蕨市議会議員) |
公式サイト | 蕨市長 頼高英雄の活動日誌 |
第6代 蕨市長 | |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 2007年6月6日 - 現職 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1991年6月 - 2003年6月 |
賴髙 英雄(頼高 英雄、よりたか ひでお、1963年(昭和38年)10月10日[1] - )は、日本の政治家。埼玉県蕨市長(5期)。元蕨市議会議員(3期)。
来歴
[編集]埼玉県蕨市出身。父親は蕨市議会議員を7期務めた頼高久雄。埼玉県立浦和西高等学校、埼玉大学教養学部卒業。
1991年、蕨市議会議員選挙に日本共産党公認で出馬し、初当選を果たした。
1999年・2003年に蕨市長選挙に出馬するが、いずれの選挙でも現職の田中啓一市長に敗れ、落選した。
2007年、日本共産党の党籍を残したまま無所属で蕨市長選挙に出馬し、田中前市長の後継候補である庄野拓也(自民党・公明党推薦)を破り、当選した[2]
2011年、前市議の三輪一栄(自民党・公明党推薦)を下し、再選[3]。
2015年、自民党が候補者擁立を見送り、無投票で3選[4]。
2019年6月2日の選挙では、自民党推薦候補の元新聞記者を破り、4選[5]。
2023年6月4日の選挙では、元自民党県議会議員の新人候補を破り、5選[6]。
市政
[編集]- 初登庁後の会見において、蕨駅西口の再開発をめぐっては「現実的に再開発がここまで進んでいるので、進めざるをえないかも知れない。それによって第2・第3工区も違ってくる」と述べ、見直しの方向性に含みを持たせた。なお選挙戦では、第1工区についても「計画の大幅な見直しや中止」を公約に掲げていたが、2007年9月に市議会で「計画の大幅な見直しや中止は断念せざるを得ない」と表明し、選挙公約を事実上撤回した。
- 2020年11月26日、新型コロナウイルス対策の財源に充てるため、自身の2021年1月から3月までの月額給与を20%減額する条例案を市議会定例会に提出した。副市長と教育長については10%減額する。12月16日、同条例案は可決された[7]。
人物
[編集]- 蕨市議時代は日本共産党公認で当選し、日本共産党会派に所属していたが、市長選出馬に際しては党籍を残したまま、市民団体「フレッシュみんなの会」が支援する形式を取って無所属で出馬した。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、114頁。
- ^ 「大型開発ノー」に共感/頼高さん「税金は福祉に」/埼玉・蕨市に共産党員市長 しんぶん赤旗 2007年6月5日
- ^ 蕨市長選 頼高氏再選/「ともに歩む」市政評価/公約95%実現・着手/幅広い市民が支援 しんぶん赤旗 2011年6月7日
- ^ “蕨の更なる発展に向け賴髙市長の3期目がスタート”. 蕨市 (2015年7月). 2023年3月29日閲覧。
- ^ “蕨市長に頼高氏4選 埼玉「あったか市政第2ステージ」訴え”. しんぶん赤旗 (2019年6月4日). 2023年3月29日閲覧。
- ^ “埼玉・蕨市長に頼高氏5選 元県議の須賀氏退ける”. 産経新聞. (2023年6月5日) 2023年6月5日閲覧。
- ^ “案第69号 市長等の給与の臨時特例に関する条例”. 蕨市議会. 2020年12月29日閲覧。
外部リンク
[編集]- 蕨市長 頼高英雄の活動日誌
- 頼高英雄 (h.yoritaka) - Facebook
- 市長の部屋|蕨市公式ウェブサイト
公職 | ||
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先代 田中啓一 |
埼玉県蕨市長 2007年 - |
次代 現職 |