隰州
表示
隰州(しつしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から民国初年にかけて、現在の山西省臨汾市一帯に設置された。
魏晋南北朝時代
[編集]488年(太和12年)、北魏により設置された汾州を前身とする。
隋代
[編集]隋初には、汾州は3郡5県を管轄した。585年(開皇5年)、汾州は隰州と改称された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い隰州は竜泉郡と改称され、下部に5県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | |||
州 | 汾州 | 南汾州 | 郡 | 竜泉郡 | ||
郡 | 竜泉郡 | 吐京郡 | 臨河郡 | 伍城郡 | 県 | 隰川県 石楼県 永和県 楼山県 蒲県 垣県 |
県 | 長寿県 平昌県 |
吐京県 | 臨河県 帰化県 |
蒲子県 |
唐代
[編集]618年(武徳元年)、唐により竜泉郡は隰州と改められた。742年(天宝元年)、隰州は大寧郡と改称された。758年(乾元元年)、大寧郡は隰州の称にもどされた。隰州は河東道に属し、隰川・蒲・大寧・石楼・永和・温泉の6県を管轄した[2]。
宋代
[編集]宋のとき、隰州は河東路に属し、隰川・蒲・大寧・石楼・永和・温泉の6県を管轄した[3]。
金のとき、隰州は河東南路に属し、隰川・仵城・蒲・大寧・石楼・永和の6県と馬門関・永和関・永寧関・上平関の4関を管轄した[4]。
元代
[編集]元のとき、隰州は晋寧路に属し、隰川・蒲・大寧・石楼・永和の5県を管轄した[5]。
明代以降
[編集]明のとき、隰州は平陽府に属し、大寧・永和の2県を管轄した[6]。
1724年(雍正2年)、清により隰州は直隷州に昇格した。隰州直隷州は山西省に属し、大寧・蒲・永和の3県を管轄した[7]。
1912年、中華民国により隰州直隷州は廃止され、隰県と改められた。