1902年の相撲
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1902年の相撲(1902ねんのすもう)は、1902年の相撲関係のできごとについて述べる。
台覧相撲
[編集]本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[2]
- 興行場所:本所回向院
- 1月10日より晴天10日間興行
- 3月場所(京都相撲)[3]
- 興行場所:花見小路祇園館跡空地
- 3月1日より興行
- 5月場所(東京相撲)[4]
- 興行場所:本所回向院
- 5月21日より晴天10日間興行
- 6月場所(大阪相撲)[1]
- 興行場所:南地五階南手空地
- 晴天10日間興行
誕生
[編集]- 1月26日 - 伊勢ノ濱寅之助(最高位:前頭6枚目、所属:根岸部屋→中立部屋→二子山部屋→出羽海部屋、+ 1985年【昭和60年】)[5]
- 2月13日 - 荒山宇三郎(最高位:十両6枚目、所属:花籠部屋→峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋→花籠部屋、+ 没年不明)
- 2月23日 - 伊勢錦清(最高位:十両9枚目、所属:清見潟部屋→出羽海部屋、+ 1967年【昭和42年】)
- 3月12日 - 銚子灘傳右エ門(最高位:前頭14枚目、所属:中立部屋→二子山部屋→出羽海部屋、+ 1935年【昭和10年】)[6]
- 3月30日 - 真鶴秀五郎(最高位:小結、所属:追手風部屋→朝日山部屋、+ 1937年【昭和12年】)[7]
- 4月23日 - 霞ヶ浦忠男(最高位:十両5枚目、所属:出羽海部屋、+ 1945年【昭和20年】)
- 5月4日 - 鏡岩善四郎(最高位:大関、所属:粂川部屋、+ 1950年【昭和25年】)[8]
- 5月4日 - 栃ノ花善治郎(最高位:十両2枚目、所属:春日野部屋、+ 1992年【平成4年】)
- 6月6日 - 信夫山秀之助(最高位:前頭2枚目、所属:出羽海部屋、+ 1957年【昭和32年】)[9]
- 7月21日 - 星甲實義(最高位:前頭2枚目、所属:井筒部屋、+ 1944年【昭和19年】)[10]
- 11月18日 - 錦城山勇吉(最高位:前頭2枚目(大阪大関)、所属:小野川部屋、+ 1987年【昭和62年】)[11]
- 12月7日 - 高ノ花武也(最高位:前頭8枚目、所属:出羽海部屋、+ 1960年【昭和35年】)[12]
- 12月20日 - 出羽ヶ嶽文治郎(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、+ 1950年【昭和25年】)[13]
死去
[編集]- 1月9日 - 八陣信蔵(最高位:横綱(五条家免許、大坂相撲)、所属:小野川部屋、* 1837年【天保8年】)
- 5月28日 - 若島幸右エ門(最高位:前頭7枚目(大阪大関)、所属:八角部屋、* 1872年【明治5年】)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 酒井忠正 1964, p. 181.
- ^ 酒井忠正 1964, pp. 177–178.
- ^ 酒井忠正 1964, p. 178.
- ^ 酒井忠正 1964, pp. 179–180.
- ^ 京須利敏 & 水野尚文 2020, p. 70.
- ^ 京須利敏 & 水野尚文 2020, p. 72.
- ^ 京須利敏 & 水野尚文 2020, p. 62.
- ^ 京須利敏 & 水野尚文 2020, p. 66.
- ^ 京須利敏 & 水野尚文 2020, p. 68.
- ^ 京須利敏 & 水野尚文 2020, p. 64.
- ^ 京須利敏 & 水野尚文 2020, p. 63.
- ^ 京須利敏 & 水野尚文 2020, p. 73.
- ^ 京須利敏 & 水野尚文 2020, p. 57.
参考文献
[編集]- 『日本相撲史:中巻』酒井忠正著、ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。
- 『大相撲力士名鑑令和三年版:明治から令和までの歴代幕内全力士収録』京須利敏・水野尚文編著、共同通信社、2020年。ISBN 978-4-7641-0723-6。