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1971年のオールスターゲーム (日本プロ野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NPB 1971年のNPBオールスターゲーム
ゲームデータ
セ監督 川上哲治
パ監督 濃人渉
セ投票最多 黒江透修
パ投票最多 池辺巌
第1戦
日程 7月17日
開催地 阪急西宮球場
スコア セリーグ 5-0 パリーグ
MVP 江夏豊
第2戦
日程 7月19日
開催地 中日スタヂアム
スコア パリーグ 4-0 セリーグ
MVP 長池徳二
第3戦
日程 7月20日
開催地 後楽園球場
スコア パリーグ 3-2 セリーグ
MVP 加藤秀司
« 1970
1972 »

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1971年のオールスターゲームは、1971年7月に行われた日本プロ野球オールスターゲーム

試合概要

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前年、日本選手権を連続6回目で制した読売ジャイアンツ(巨人)の川上哲治監督が全セ(オールセントラル・リーグ)を率い、10年ぶりのパ・リーグ優勝のロッテオリオンズ濃人渉監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率いた。

第1戦、江夏豊阪神)による9者連続奪三振が功を奏し5対0で全セが先勝。雨で1日延びた第2戦は逆に各チームの主戦投手をつぎ込んだ全パが全セを2安打完封。第3戦は序盤に全パ・張本勲東映)と全セ・長嶋茂雄(巨人)のホームランが出たもののその後は0行進。1点多く獲った全パが勝ち越しを決めた。

江夏の9者連続奪三振

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江夏はこの年の前半戦は不調(1971年成績:15勝14敗)だったが、ファン投票選出された。第1戦の先発を任された江夏は1回裏全パ1番有藤通世(ロッテ)、2番基満男西鉄)、3番長池徳二阪急)から連続三振を奪った。直後の2回表に2死一、三塁で打席のまわった江夏は全パ先発米田哲也(阪急)から3ラン本塁打を放ち波に乗ると、その裏リーグ首位打者・4番江藤愼一(ロッテ)からも三振を奪い、土井正博近鉄)、東田正義(西鉄)らパ・リーグ強力打者のバットが次々と空を切った。そして3回裏も7番阪本敏三(阪急)、8番岡村浩二(阪急)からも三振を奪うと、米田の代打に加藤秀司(阪急)が登場。加藤からも三振を奪い、9者連続奪三振記録を達成し、江夏はマウンドを降りた。

その後全セ必勝を期して渡辺秀武(巨人)-高橋一三(巨人)-水谷寿伸中日)-小谷正勝大洋)のリレーで臨み、全パを無安打、16奪三振に抑え込んだ。

全員奪三振を目指して投げ続けた江夏はキャッチャーフライを捕球しようとしようとした田淵に「捕るな!」と言ったとされているが、後に江夏はこれを「(スタンドに入るだろうから)追うな!」と叫んだものである、と著書[出典無効]の中で述べている。

選出選手

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セントラル・リーグ[1] パシフィック・リーグ[1]
監督 川上哲治 巨人 監督 濃人渉 ロッテ
コーチ 村山実 阪神 コーチ 野村克也 南海
別当薫 大洋 岩本尭 近鉄
投手 江夏豊 阪神 5 投手 太田幸司 近鉄 2
堀内恒夫 巨人 5 木樽正明 ロッテ 3
松岡弘 ヤクルト 村田兆治 ロッテ
渋谷幸春 中日 成田文男 ロッテ 6
伊藤久敏 中日 村上雅則 南海
水谷寿伸 中日 鈴木啓示 近鉄 6
高橋一三 巨人 3 足立光宏 阪急 4
渡辺秀武 巨人 2 山田久志 阪急
平松政次 大洋 3 米田哲也 阪急 13
小谷正勝 大洋 皆川康夫 東映
大石弥太郎 広島 3 金田留広 東映 3
捕手 大矢明彦 ヤクルト 捕手 野村克也 南海 15
田淵幸一 阪神 3 醍醐猛夫 ロッテ 4
木俣達彦 中日 2 岡村浩二 阪急 6
一塁手 王貞治 巨人 12 一塁手 島本講平 南海
二塁手 武上四郎 ヤクルト 4 二塁手 大下剛史 東映 3
三塁手 長嶋茂雄 巨人 14 三塁手 有藤通世 ロッテ 2
遊撃手 黒江透修 巨人 4 遊撃手 高橋博 南海
内野手 衣笠祥雄 広島 内野手 江藤慎一 ロッテ 11
国貞泰汎 広島 3 基満男 西鉄 2
藤田平 阪神 4 阪本敏三 阪急 4
松原誠 大洋 6
外野手 谷沢健一 中日 2 外野手 池辺巌 ロッテ 4
福富邦夫 ヤクルト 東田正義 西鉄
高田繁 巨人 4 土井正博 近鉄 8
水谷実雄 広島 アルトマン ロッテ 2
柴田勲 巨人 8 長池徳二 阪急 5
ロバーツ ヤクルト 3 加藤秀司 阪急
張本勲 東映 12
  • 太字はファン投票で選ばれた選手。

試合結果

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第1戦

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  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
全セ 0 4 0 0 0 0 1 0 0 5 6 2
全パ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
  1. セ:○江夏()、渡辺秀)、高橋一(巨)、水谷寿)、小谷)-田淵(神)、大矢
  2. パ:●米田()、鈴木啓)、太田(近)、皆川)、村田)-岡村(急)、醍醐(ロ)
  3. 勝利江夏(1勝)  
  4. 敗戦米田(1敗)  
  5. 本塁打
    セ:江夏1号(3ラン・米田)
  6. 審判
    [球審]岡田功(セ)
    [塁審]久喜(パ)・福井(セ)・加藤(パ)
    [外審]山本文(セ)・中村浩(パ)
  7. 試合時間:2時間18分

オーダー

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セントラル
打順守備選手
1[左]高田繁
2[遊]藤田平
3[一]王貞治
4[三]長嶋茂雄
5[右]ロバーツ
6[捕]田淵幸一
7[中]谷沢健一
8[二]武上四郎
9[投]江夏豊
パシフィック
打順守備選手
1[三]有藤通世
2[二]基満男
3[中]長池徳二
4[一]江藤慎一
5[左]土井正博
6[右]東田正義
7[遊]阪本敏三
8[捕]岡村浩二
9[投]米田哲也

第2戦

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  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
全パ 1 0 0 0 0 0 0 3 0 4 6 0
全セ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0
  1. パ:○金田(映)、村上)、足立(急)、木樽(ロ)-野村(南)
  2. セ:●松岡(ヤ)、伊藤久(中)、渋谷幸(中)、大石)、堀内(巨)-木俣(中)、大矢
  3. 勝利金田(1勝)  
  4. 敗戦松岡(1敗)  
  5. 本塁打
    パ:長池(急)1号(3ラン・大石)
  6. 審判
    [球審]砂川(パ)
    [塁審]山本文(セ)・久喜(パ)・大里(セ)
    [外審]加藤(パ)・福井(セ)
  7. 試合時間:2時間5分

オーダー

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パシフィック
打順守備選手
1[三]有藤通世
2[中]張本勲
3[右]長池徳二
4[一]江藤慎一
5[左]アルトマン
6[捕]野村克也
7[二]基満男
8[遊]高橋博
9[投]金田留広
セントラル
打順守備選手
1[中]谷沢健一
2[遊]藤田平
3[一]王貞治
4[三]長嶋茂雄
5[右]ロバーツ
6[左]福富邦夫
7[二]国貞泰汎
8[捕]木俣達彦
9[投]松岡弘

第3戦

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  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
全パ 0 2 1 0 0 0 0 0 0 3 7 1
全セ 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 2 2
  1. パ:皆川、○山田(急)、村上、村田、成田-野村、醍醐
  2. セ:●平松(洋)、堀内、江夏、渡辺秀-大矢、木俣
  3. 勝利山田(1勝)  
  4. 敗戦平松(1敗)  
  5. 本塁打
    パ:張本(映)1号(ソロ・平松)
    セ:長嶋(巨)1号(2ラン・山田)
  6. 審判
    [球審]大里(セ)
    [塁審]中村浩(パ)・岡田功(セ)・砂川(パ)
    [外審]福井(セ)・加藤(パ)
  7. 試合時間:2時間3分

オーダー

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パシフィック
打順守備選手
1[一]加藤秀司
2[遊]阪本敏三
3[右]張本勲
4[中]土井正博
5[左]アルトマン
6[捕]野村克也
7[三]高橋博
8[二]大下剛史
9[投]皆川康夫
セントラル
打順守備選手
1[中]柴田勲
2[遊]藤田平
3[一]王貞治
4[三]長嶋茂雄
5[右]田淵幸一
6[左]ロバーツ
7[二]黒江透修
8[捕]大矢明彦
9[投]平松政次

テレビ・ラジオ中継

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テレビ中継

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※第1戦はNHK総合の独占中継となったが、オールスターゲームのテレビでのNHKの独占中継はこの試合が最後である(2022年現在)。
※第2戦は本来7月18日開催で、中部日本放送TBS系列≫(出演予定 実況:古賀良彦 解説:杉浦清松木謙治郎 ゲスト:虫明亜呂無)で放送されることになっていたが、雨天中止となり、予備日となった7月19日はCBCが編成の都合で中継できなかったため(当時TBS系の月曜ゴールデンタイムには『YKKアワー キックボクシング中継』『ブラザー劇場』『ナショナル劇場』と一社提供番組が連続して編成されていた)、東京12chで代替放送された。当時東京12chは系列局がなかったものの、中京テレビ放送日本経済新聞社の資本があったために事実上のクロスネット局関係にあったが、CTVに中日新聞社の資本がなく、中日ドラゴンズ主管試合の放映権も与えられていなかったため、CTVでは放送されず、中京地区ではMTV・GBSが技術協力の形でネット受けを行った。関西地区では近畿放送(現:京都放送)がネット受けした一方、サンテレビはネット受けせず遅れネット番組や自社制作番組などの自主編成としていた他、中国地方では放送がなかった(出典:産経新聞・近畿版および岡山版、中国新聞、1971年7月19日、各テレビ欄)

ラジオ中継

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脚注

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  1. ^ a b 『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.127

関連項目

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外部リンク

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