山本雅史 (モータースポーツ)
やまもと まさし 山本 雅史 | |
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生誕 |
1964年3月15日(60歳) 奈良県[1] |
国籍 | 日本 |
職業 |
モータースポーツ・コンサルタント 同・マネージングディレクター 同・プロジェクトマネージャー |
活動期間 | 1982年 - 現在 |
雇用者 | 本田技研工業(1982年 - 2022年) |
団体 | MASAコンサルティング・コミュニケーションズ株式会社 |
肩書き |
元ホンダ・モータースポーツ部長 元ホンダF1マネージングディレクター など |
山本 雅史(やまもと まさし、1964年3月15日[2] - )は、日本のモータースポーツ・コンサルタント、同解説者、元カートドライバー。MASAコンサルティング・コミュニケーションズ代表。奈良県出身[1]。
1982年、本田技研工業に入社し、デザイン開発部署を経て広報や管理職を歴任。後年は、モータースポーツ部長やホンダF1のマネージングディレクターを務めた[3]。
略歴
[編集]本田技研(ホンダ)時代
[編集]少年時代の頃より、ホンダ製車両のユニークな仕様に興味を抱いていた[4]。1982年に工業高校機械科を卒業後、本田技研工業(ホンダ)に入社[5]。主に本田技術研究所の関連部署に勤務し、和光研究所で試作ブロックやデザイン開発などに携わる。
この間、1980年代から1990年代初頭にかけてレーシングカートのドライバーとしても鳴らし、当時は全日本カート選手権のトップランカーの一人だった[6][3]。さらに開発企画の一環として参加したオーストラリア大陸縦断ソーラーカーレース「ワールド・ソーラー・チャレンジ」では、カートの経験を活かしメインドライバーも務め優勝を果たした[7][8]。
その後、管理職業務に異動。2011年に栃木研究所に移り、四輪R&Dセンターの技術広報室長などを務める[9][10]。モータースポーツ世界最速を目指す米国の伝統的イベント「ボンネビル・スピードウィーク」に参戦する企画を主導。2016年に同二輪部門P-P650クラスで、ホンダ・CBR600RRが世界記録を樹立した[11]。
同年、モータースポーツ部門で結果を出したマネージメントの手腕を買われ、ホンダ本社のモータースポーツ部長に就任。フォーミュラ1(F1)やロードレース世界選手権(MotoGP)、スーパーフォーミュラ、SUPER GTなどホンダが関わるモータースポーツ関連全般を統括する立場となった[12]。
2019年、ホンダにおけるF1活動の重要性が増してきたことなどから、同4月に新設されたF1担当マネージングディレクターに就任し、社長直属の形でF1関連の活動に専念することになった[13]。
その後、提携したレッドブル系F1チーム「レッドブル・レーシング」「スクーデリア・アルファタウリ(旧名スクーデリア・トロ・ロッソ)」の交渉窓口に携わり、2020年シーズンにアルファタウリが12年ぶりの優勝[14]。翌2021年シーズンにはレッドブルがドライバーズタイトルを獲得し、エンジンサプライヤーとして30年ぶりの偉業に貢献した[15]。
コンサルティング会社を設立
[編集]2022年1月末で40年勤めた本田技研(ホンダ)を退社[10]。独立直後に起業し、コンサルティング会社「MASAコンサルティング・コミュニケーションズ」を設立。主に、レッドブル・レーシングの子会社「レッドブル・パワートレインズ」(RBPT)のコンサルティング業務を請け負う[16]。ほか、国内レースの支援や講演活動を行う意向も明らかにしている[17]。なお、RBPTとの契約は2022年をもって満了。
同2月にスーパーフォーミュラの「Team Goh」とレッドブル提携の流れを受け[18]、26日に同チームの監督に就任した[19]。TEAM GOHは2023年シーズンのスーパーフォーミュラに非参戦のため、監督業務については終了。RBPTとの契約満了とあわせ、2023年はチームメンバーとしてはレースの表舞台から退くこととなった。
人物
[編集]- 当初はエンジン設計を志望してホンダに入社したが、最初の3年間だけの約束で試作ブロック部署の配属を了承。しかし自身に意欲が芽生え、3年を越えても同部署勤務を継続しその後に至る[7]。
- 2021年のF1世界選手権でレッドブル・レーシングがアメリカGPを制し、表彰セレモニーのスタッフ代表として初めて登壇しシャンパンシャワーを浴びた[20]。なおこの開催では、F1車両のスポンサーロゴ「HONDA」を米国法人ブランドの「ACURA(アキュラ)」に変更する手腕を発揮している[21]。
- 好きなドライバーは本山哲、ジェンソン・バトン、フェルナンド・アロンソ。特に本山は、全日本カート時代にチームメイトだったこともある[22]。
- 愛車遍歴はトヨタ・ハイエースに始まり、自社のシビック、プレリュード、インテグラ、オデッセイ、エリシオン、N-BOX SLASH[23]。
脚注
[編集]- ^ a b “元ホンダF1山本雅史の2023総括 フェルスタッペンは「バケモノ」 では「大物」と「努力賞」は?”. 集英社 Sportiva (2023年12月28日). 2024年3月10日閲覧。
- ^ ホンダとレッドブルの関係もハピネス!! - トーチュウF1 Express・2019年3月15日
- ^ a b カーターがF1プロジェクトリーダーへ - J SPORTS・2019年2月27日
- ^ “今年1月でホンダを退社、山本雅史が語る「ホンダ愛」”. motorsport.com (2022年2月13日). 2022年2月14日閲覧。
- ^ “F1、Hondaのウラ話を、山本MDに直撃インタビュー”. Honda公式サイト (2019年). 2020年7月3日閲覧。
- ^ “日本人F1ドライバー誕生のため「シートを用意する」ホンダの本気度”. Sportiva (2017年2月28日). 2022年2月14日閲覧。
- ^ a b “「いまはやりきった気持ち」ホンダF1復活の立役者・山本雅史MD57歳の退職後の新たな挑戦とは<実は入社時はエンジニア>”. Number 文藝春秋 (2022年1月14日). 2022年2月17日閲覧。
- ^ Nakabe, Hiroshi, 1953-; 中部博, 1953- (1994). Hikari no kuni no guran puri : Wārudo Sōrā Charenji. Tōkyō: Shūeisha. ISBN 4-08-783083-7. OCLC 33237057
- ^ 【速報】ホンダがF1担当役員を設置、2016年のマクラーレン・ホンダに期待大! - WEB CARTOP・2016年2月23日
- ^ a b 30年ぶり栄冠の立役者、山本雅史MDがホンダを退社「全身全霊でやりきった。ホンダ人生に終止符を打ついいタイミング」 - オートスポーツ・2022年1月10日
- ^ “CBR600RR ボンネビルスピードウィークでNew World Record”. ホンダレーシング. 2022年2月17日閲覧。
- ^ ホンダの技術開発トップが「F1担当」に!2016年シーズンのホンダF1はどう変わる? - MoTA・2016年2月23日
- ^ ホンダの新人事で山本雅史部長がF1専任に。「国内や二輪でやりきった感はありませんが、F1に集中できる環境はうれしい」 - オートスポーツ・2019年2月21日
- ^ “トスト代表、ホンダに感謝「ベッテル優勝から12年後、今度はガスリーが歴史を再現してくれた」/F1イタリアGP”. TopNews (2020年9月7日). 2022年2月1日閲覧。
- ^ “30年ぶりのF1王座を獲得したホンダ「皆さんと一緒に獲ったタイトル。ホンダの意地を見せ技術力の高さを証明」と山本”. autosport web (2021年12月13日). 2022年2月1日閲覧。
- ^ “元ホンダの山本雅史氏が新会社を設立。レッドブル・パワートレインズとの契約も締結”. autosport web (2022年2月1日). 2022年2月1日閲覧。
- ^ 『オートスポーツ』(三栄)2022年1月28日号 pp.92 - 93
- ^ “山本雅史監督、TEAM GOH加入の経緯語る。レッドブル重鎮のマルコからも“承諾済み””. motorsport.com (2022年3月6日). 2022年3月7日閲覧。
- ^ 2022年全日本スーパーフォーミュラ選手権参戦体制のお知らせ - Team Goh・2022年2月26日
- ^ “ホンダF1山本MD、アメリカGP表彰台からの景色に「感無量」”. Car Watch (2021年10月25日). 2022年2月1日閲覧。
- ^ “セナも掲げたアキュラがF1復活!ホンダ、アメリカGPでワンオフ「1989年のプロストにあやかり優勝を」とレッドブル”. Formula1-Data (2021年10月21日). 2022年2月1日閲覧。
- ^ 【ブログ】マルコ博士のメルセデスPUよりホンダは10馬力落ち発言は本当?/第1回ホンダF1の山本MDに聞いてみよう - オートスポーツ・2019年4月10日
- ^ 【ブログ】「山本さんの愛車遍歴を教えてもらえませんか?」/第3回ホンダF1の山本MDに聞いてみよう - オートスポーツ・2019年5月14日