常磐津英寿
表示
文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真 | |
本名 | |
---|---|
別名 | 四世常磐津文字兵衛 |
生年月日 | 1927年1月15日 |
没年月日 | 2022年12月15日(95歳没) |
出身地 | 東京府東京市京橋区木挽町 |
死没地 | 東京都中央区 |
師匠 | 四代目常磐津八百八 三代目常磐津文字兵衛 初代常磐津兼豊 |
弟子 | 常磐津文字兵衛 七代目常磐津兼太夫 二代目常磐津兼豊 |
名跡 | 1. 常磐津英八郎 (1932年 - 1960年) 2. 四代目常磐津文字兵衛 (1960年 - 1996年) 3. 常磐津英寿 (1996年 - 2022年) |
活動期間 | 1932年 - 2022年 |
活動内容 | 江戸常磐津節三味線 |
家族 | 父:三代目常磐津文字兵衛(後の常磐津文字翁) 大叔母:初代常磐津兼豊 叔父:四代目常磐津八百八 長男:五代目常磐津文字兵衛 次男:七代目常磐津兼太夫 長女:二代目常磐津兼豊 |
所属 | 常磐津協会 ビクター専属 |
公式サイト | 常磐津英寿 |
主な作品 | |
『牡丹がさね』 『吾輩は猫である』ほか | |
受賞歴 | |
1978・1979・1981・1983年 芸術祭賞優秀賞 1983年 芸能功労者表彰 1984年 モービル音楽賞 1989年 紫綬褒章 1992年 人間国宝 1993年 日本芸術院賞恩賜賞 1994年 日本芸術院会員 1997年 勲三等瑞宝章 | |
備考 | |
日本ビクター専属作曲家・演奏家 常磐津節保存会名誉顧問 常磐津協会顧問 | |
常磐津 英寿(ときわづ えいじゅ、1927年〈昭和2年〉1月15日 - 2022年〈令和4年〉12月15日)は、常磐津節三味線方の奏者・名跡。東京府東京市京橋区木挽町生まれ[1][2]。前名は四代目常磐津文字兵衛。本名は
父は三代目常磐津文字兵衛(後の常磐津文字翁)、大叔母は初代常磐津兼豊、叔父は四代目常磐津八百八、長男は四代目常磐津文字兵衛、次男は七代目常磐津兼太夫、長女は二代目常磐津兼豊。
年譜
[編集]- 1932年 - 叔父の四代目常磐津八百八に師事に習う。
- 1936年 - 父の三代目常磐津文字兵衛、母の初代常磐津兼豊に習う。
- 1941年 - 常磐津英八郎の名で初舞台。
- 1960年 - 四代目常磐津文字兵衛を襲名。
- 1960年 - 日本ビクター専属の作曲家・演奏家となる。
- 1996年 - 常磐津英寿を名乗る。
- 常磐津節保存会名誉顧問、常磐津協会顧問、ビクター専属。
- 2022年12月15日 - 急性心不全のため東京都中央区の自宅で死去[3][4]。95歳没。
主な作曲
[編集]ほか
受賞等
[編集]- 受賞
- 顕彰・表彰
- 1983年 - 芸団協 芸能功労者 表彰
- 1994年 - 日本芸術院会員[3]
- 2014年 - 文化功労者[3]
- 栄典
- その他
出典・参考文献・外部リンク
[編集]- 「常磐津英寿さんが文化功労者に」- 歌舞伎 on the web、日本俳優協会・伝統歌舞伎保存会(2017年12月31日閲覧)
- 「今月の顔 - 常磐津英寿」- 東京中央ネット、中央区(2017年12月31日閲覧)
- 「インタビュー:常磐津三味線方 人間国宝 常磐津英寿」- TV ホスピタル、さいど舎(2017年12月31日閲覧)
脚注
[編集]- ^ “今月の顔 常磐津節・三味線方、作曲家 常磐津英寿”. NPO法人 東京中央ネット (2003年3月). 2022年12月29日閲覧。
- ^ “中央区 ひと 粋・活き 常磐津英寿” (PDF). 中央区文化・国際交流振興協会だより No.47. 中央区文化・国際交流振興協会 (2007年7月). 2022年12月29日閲覧。
- ^ a b c d “常磐津英寿氏が死去 常磐津節三味線演奏家”. 日本経済新聞. 共同通信社. (2022年12月26日) 2022年12月26日閲覧。
- ^ 「常磐津英寿氏死去 常磐津節三味線演奏家」『新潟日報デジタルプラス』2022年12月26日。2022年12月29日閲覧。
- ^ “名誉区民制度 顕彰者一覧”. 中央区. 2022年12月29日閲覧。